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トルティーヤという名の免罪符を片手に、たまにうっかり手の込んだ事をやってしまう自分を煙に巻いてやろうという魂胆

「料理好きで、結構やるんですよね」
という、例のあの感じにモヤモヤするんです。なんだろうか。自慢してるとまでは言わないけれど、なんだかモヤモヤするんです。言語化が面倒くさいのでひと言で書くとすると、
「いや、普通やるやろ。」
というかんじ。皆んな普通やるもんだろと思うんです。やらない人が特別なだけで、人間は生肉や、洗いもしない野菜ばっかり食べては生きられないんだから、やんなさいよと。好きとか嫌いとか、やるやらない以前に、やる必要のある事なんだから黙ってやんなさいよと。特に「料理する系男子です」みたいなアピールが、なんだか本当にしょうがねえなあという気持ちになる。男も女も関係なく、当たり前の事としてやらないと。(もちろん、特に上手だったり詳しかったりする人だっているわけで、そういう人は別としての話)

 …とはいえ、料理は楽しさが分かるとハマれるものではあります。俺もそういう意味では、危うくハマりそうになる事がしばしばあります。これは美味い物作っちゃったな俺は!という時もあるにはあります。
 しかしそんな時は一歩下がって
「これは本当の俺じゃあないんだ。今日はちょっとおかしいんだ俺は。」
と自分を見つめ直すようにします。ウチで料理を出して褒められた時なんかも、同じように自分を見つめ直します。
 要するに、基準線が上がるのが嫌なんです。アベレージのラインが上がると、面倒くさくなってくるんです。一回一回が重たくなるのを避けたいという気持ちがあるので、意識して基準線を下げています。日々の事だから、軽く。ある程度いい加減にやっていきたい。「料理上手」と思われたら負けだと思っています。あくまで普通。普通が一番。

 という事で、「いい加減な食事をとる」事を大事にしています。色々と試した結果、起きたらまずトルティーヤを食べるようにしています。ほぼ毎日トルティーヤ。挽き肉を味付けして炒めた物を、保存容器に入れて冷蔵庫に入れてあります。袋のサラダを買っておいて、サルサソースをかけて、それらをトルティーヤでクルクル巻いて食べる。1つだけで充分です。
 考える面倒も、調理の面倒も、片付けの面倒も省き、かつちゃんと食事になるわけで、これで料理を特別な物としていない自分を演出しているわけです。そもそもトルティーヤなんて、本場の味はもとより、あんまり食べた事もないからこの食べ方で合ってるのかすらよく分かってないですからね。工夫のしようも無ければ、ハマる余地も無いわけです。

 しかしこれがもし、結婚でもして、子どもでもできたら変わるんだろうなという予感はあります。流石に毎日トルティーヤじゃあいかん。やっぱりバリエーションは必要ですね。いい加減な食事プランをGくらいまで考えておく必要はありそうです。簡単で美味しい朝ごはん。冷凍保存を駆使した、栄養価も考えられた朝ごはん。冷凍保存の効率的な活用法とか、作り置きできる副菜とか…。今のうちに知っておくのも悪くないかもしれませんよね。


……
……………危なっ!!怖ぁっ!!

#家事の工夫

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