「見た目」についてあれこれ考える

私を悩ませるものがある。それは「見た目」だ。
ものを見るという経験をしてこなかった私は、それがどうしようもなく苦手なのである。
見た目というのはどうもかなり重要視されているようだけれど、だとしたら私はどうすればいいのか。
人の目は私をどんなふうにキャッチしているのか。どの辺りを見ているのか。
考え始めたら気になって気になってしょうがない。

まあ、あんまり気にしてばかりいると疲れるわけで。
最近は「見た目?何それおいしいの?」と思うことにしていたりする。
そんな表面的なものにこだわったりしないんだからね、と開き直るのだ。
初対面の人に「所帯じみてる」と評価されたときは軽くショックを受けたけれど、それだってもう気にしない。
むしろ所帯じみてるなんて最高ではないか。何ならそれを売りにしてもいい、くらいに考えている。
…でも、やっぱり見た目が気になることもあるんだなあ。
時々「どう見られてるんだろう」の波が襲ってくるから困ったものだ。

ということで、私は思い切った。
YouTubeで質問を投げかけてみたのだ。「見た目ってやっぱり大事なんですか?」と。
心のどこかで「見た目なんて関係ないよ」みたいな答えを期待して。
すると、びっくりするほどたくさんのコメントをいただいた。なんて優しい視聴者さんたち!

見た目って大事?

多かったのは、「見た目は大事だよ」という回答だった。
「もちろん見た目だけで判断することはできないけれど、見た目なんて関係ないとは言えないんじゃない?」と語りかけてくれている。
落胆しそうになった。でもコメントをじっくり読むとその通りだなと思えた。

初めて会って、いきなり内面の深い部分に触れることはできない。
だからまずは、視覚から得られる情報がカギになる。
清潔感はあるか。きちんとした態度で接してくれるか。そういう部分を観察する。好感が持てたら距離を縮めていく。
それが人間関係の始まり。コメントから改めてそのことを学んだ。

見た目なんて、いくらでも誤魔化しがきくものじゃないか。私はそう考えていた。今もそう考えている。
外見を上手く整えて人をだます。そういうことのできる人はたくさんいるものだ。
だから視覚以外の感覚を総動員して相手を見なければならない。
ただ、それでもやっぱり視覚から得られる情報には大きな意味があるようだ。
そこにその人の「本質」が表れることもあるから。
うーん、私の見た目にも無意識のうちに本質が出ちゃってるんだろうか…。

どの辺りを見てる?

そしてもう1つ、「相手のどこをよく見ているか」という質問もしてみた。
それに対する回答は、「目」「服装」「表情」などなど。
なるほど、目か。ぜひとも見てみたい。目を見れば本音がわかるって聞くし。
服装も、その人のことがよくわかる部分かもしれない。生活状況とか思想とか。
相手の表情については私も意識している。顔そのものを見ることはできないけれど、笑顔が伝わってくると気持ちが和む。

よく見るところ。それは、「相手をよく知るための手がかりになるところ」ということなのかもしれない。

ちなみに、「若い女の子への視線とおっさんへの視線では向ける部分が違います」といった意見も。
うーん、まあ、そういうものですよねー…(笑)

私にとっての「見た目」

こうしてコメントと向き合ってみて感じたのは、「私自身も、それなりに見た目を重要視して生きているのかもしれない」ということ。
過剰に気にして心配になる厄介なものとしてというだけではなく、相手の本質に触れるための大切なものとして。心地よいコミュニケーションお取るためのものとして。

もしも人が形のない存在だったら…。
想像すると、寂しい。
私も顔を見ることができれば、きっと「この顔タイプだな」とか思っていたことだろう。声から外見をイメージしながらそんなことを思う。
形がある。それは一人一人違っている。だから感じ取れる幸せがある。
そう、私もその幸せに包まれているのだ。
見えていなくても。

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