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障害を持つ自分の昔の文章を読んで、いま考えること。

私のしょうもない愛について思うことでしょうか。
「愛するということ」というと、フロムが出てくるんだけど、これはあくまで、私の経験というか、自分が思ったこと。

まぁ愛する対象って色々あったりするけれど、愛するということは、すでに自分を受け入れている人が出来ることのように思う。愛する人がいるから、強くなれるのか、強い自分であるから愛する人を受け入れられるのか。

 40クライシスを知っているだろうか。ミッドライフクライシスとも言うらしい。40代・50代に、自分の人生はこんなんでいいのだろうか。と不安や焦りが生じてくることを言う。

 私は、このミッドライフクライシスを自然に乗り越えられているように思う。と言うのも、私の30代は人にはおおっぴらに言えない好き勝手なことをして、思いっきり生きたように思うから。でもそれが、病気の元になっているのも忘れはしないけれど。そういう自分だから、それに対し後悔はないから、今は心にゆとりがあるように感じる。

そして、人を大切にしたいというか、そんな気持ちが今この歳になって強く思ったりする。だからといって、私は心に病を抱えているし、浮き沈みが激しい時があるから、決してできた人間ではない。

愛することって、決して楽しいことではない。もちろん簡単なことでもない。
そこには愛があるから、って自分を押し付けることも、してはいけない。人を自分の思い通りにさせようなんて、もってのほか。

『その人がその人であることに、私は心の底からよろこびを感じる』

今私が心からそのように感じていてるけど。

そう思える人間でい続けたいなぁ。なんて、人間は煩悩があるからね。難しい。でも愛から学ぶことは多い。

この文章は3年前に書いたもの。

現在の私は、昔のめちゃくちゃな行動に美徳を感じていない。
30代に戻りたくないし、もっと早く多くのことを学びたかった。後悔もしたくないけど、障害は30代がきっかけだから。一生懸命に生きたなんて思いたくないなあ。

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