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奇跡の世代:いつだって推せる背中がある訳では無い

奇跡の世代にいれたらと思う。何か大きなことをやろうとすると、自分の小ささと微力さを感じるだろうし、それは最大でいえば80億分の1なのだから当然だろうけど、もっと小さな規模でも同じようなことを感じる。

大学時代の苦い経験

大学時代に留学生関連の団体に所属していた。留学生はJICAや政府の派遣で来ている人もいて、彼らは日本語を話せないことが多い。経済やビジネスモデルを学びに来ているため、日本語を勉強することは目的ではないし、そんな時間もない。私の大学は声を大にして、そのような留学生を受け入れることに力を入れていると言っていた。しかし、受け入れ態勢に課題は多かった。留学生は家族と共に来日していることも多いが、子供の幼稚園や小学校での様々なこと、銀行や役所での手続き、そして体調不良や定期検診、歯医者や皮膚科などの様々な病院案件で彼らは非常に困る。日本語はカタコトで、地方の様々な窓口対応者は英語などできない。医者も高学歴だろうけど、話す英語は全くダメで終いにはオノマトペで話し始める。
「頭はどんな感じで痛いですか?ズキズキ?ガンガン?」
擬音語など全く通じないことは、知っておいて欲しいと思うものだ。
ただ、社会に文句を言っても仕方ない。地方の現実はそんなものだ。銀行窓口のスタッフも病院の薬剤師も、歯医者の衛生士も、市役所の公務員も英語を話すまでには至っていないし、それは誰の責任とかでもなければ、そんなものを社会に訴えても殆ど石を投げているようなもので、目の前の困っている留学生を助ける術には全くもってなっていない。そこで、私のように困っている留学生の友達を見かけた学生たちは、彼らの通訳として様々なサポートをし始めた。
そしてある時、自分たちが卒業した先で、同じように困る留学生が溢れかえるだろうという先見の明を持ち、大学の団体として留学生をサポートするシステムを作った。大学直属である。銀行手続きでは個人情報が多いため、銀行スタッフ側が通訳の存在を嫌うことが多い。しかし、大学公認のスタッフであれば、銀行側の責任も薄れるからか、進んで通訳として利用してくれる。この時、大学直属にするために奔走してくれた若い女性の先生がいたことを、私は生涯忘れない。彼女もまた留学生に頼りにされる存在で、いつも多くの留学生が、日本で生活することに様々な点で難しさを感じていることを知っていた。彼女もまた目の前の留学生を助けること、将来留学してくる学生たちに、より良い環境を提供することを目指していた。敢えていえば、学生も彼女も自分たちの業務の中にそんなものはなかったが、まさに有志でこの活動を始めたのだった。こうして大学直属の留学生サポート団体が成立した。大学は声を大にして留学生を受け入れていたが、それまでは受け入れる以前の準備や環境整備をほとんどできていなかった。しかし、学生主導であってもそのような団体ができたことは、留学生にとっても、英語を使って人助けをする日本人学生にとっても、そして十分な責任を果たしてこなかった大学にとっても重要なことであったし、間違いなく前身であった。団体は留学生センターという場所に所属した。私は団体の初代リーダーを務め、サポートシステムの構築と、持続可能に後輩達を受け入れ、育てていく形を作ることに尽力した。病院など、大学外でのサポートが主だったため、日本人学生の安全確保にも力を注いだ。これらは全て工夫だった。あくまでもボランティアで活動する学生たちに負担少なく、かつ本来の留学生を手助けするという目的を達成するために、工夫に工夫を凝らし、団体を成熟させようと尽力した。例の先生も同じだけか、それ以上に尽力してくれた。2年が経ち、団体は形を整え、システムは周り、後輩たちは増え、留学生の利用状況も非常に良くなった。地元の病院や歯医者、学校や銀行も私たちの活動に多く賛同してくれて、大学とそれを囲むあらゆる場所は繋がりつつ、社会という大きな力で留学生の受け入れを充実させた。
そして、3年目、私たち学生とともに団体化と組織作りに尽力してくれていた先生が産休に入った。1年間の不在だったが、その間に組織は大学の他の先生達によって事実上解体させられた。理由は「留学生の個人情報を日本人学生が知ることに対するリスク管理」と「病院などでの重要事項を生徒が取り扱うことに対するリスク管理」というようなものだった。しかし、事実としてこの決定をした先生達は留学生に頼られるような存在の人たちではなかったし、事実上の解体決定に関する話し合いに、団体を主導した生徒は1人も参加させてもらえなかった。リスク管理とは何だろうか。リスクを無くすことではない。リスクがあってもやらねばいけないことに対して、工夫や努力をもって対応することではないのか。私に言わせれば、決定をした3人の先生たちは誰一人としてリスク管理という言葉の意味を分かっていなかったし、留学生が実際にどれほど困っているかに目を向けていなかった。そしてまた、学生達の反対の声が彼女たち3人の上の方に聞こえることは無かった。留学生センターは少人数の場所だったために、その何人かの中に、私たちの活動の意義に賛同して、共に動いてくれる人がいなければ成り立たなかったわけだ。産休に入った先生は、若かったがエネルギーに溢れ、意義のある仕事に手間をかけることを惜しまなかった。でも、そういう人が少ないのだと思った。そんなに自分の仕事に誇りを持っているような人は、なかなかいないのだと思った。

団体を作る段階から、リスクが多少存在するのも、仕事量が増えるのも大変だということは誰もが分かっていた。彼女はあらゆる所に頭を下げて、学生達の声を聞き取りながら代弁して、団体が大学公認になるために奔走してくれた。そこが一番大変だっただろうけども、彼女は成功を導いてくれた。だから、だからこそ、私は彼女の尽力と力と功績を決して忘れない。団体を作るのはそれだけ大変だが、壊すのは簡単だったようだ。仕事が増えるのが嫌な人たちが、思いつきの理由で解体してしまった。
掻い摘んで話したが、私は団体を作る時に奇跡の世代に恵まれていたことと、それを一瞬にして失ったのだと分かった。


奇跡の世代でありたい

リスクを一緒に背負ってくれて、責任を一緒に感じてくれて、一緒に歩んでくれる人がいてくれて、そうして初めて物事は始まると思う。そこから軌道に乗せるまで長い道のりだろうけど、それでも0から1を作るのは大変だから、誰かがそれを始めた時に一緒に頑張ってくれる人になりたいと思うわけだ。ただ、それだけの事だが、今、このブルキナファソという、日本人の多くが聞いたことも無い国にいて、0から1を作ろうとしている身として、奇跡の世代に恵まれたいと強く思う。もう二度と、こんなにも意義を感じることをやらないかもしれないから、この9ヶ月、残りの7ヶ月弱が社会的に見て無駄にならないことを望んでいる。
私は、自分の取り組みが本当にSDGsを掲げる世界の一助になるとどこかで信じている。貧困問題とゴミ問題を同時に改善できると信じている。革新的なアイデアだとも思うし、9ヶ月後に消えてなくなることが、社会的に見て勿体ないと思っている。
けれど、その一方で有名になりたくない自分もいる。ただでさえ時間に追われる日本人という人種に生まれたのに、さらに色々なものに追われるのは嫌だという考えは変わらない。SNSでバズったり、どこかで下手に取り上げられるのも本望ではない。それでも、今はそれよりも自分の取り組みの可能性を感じているからこそ、取り組まなければいけないと、自分に課している。


草鞋やボールを作るアイデアをどこかで生かしたい


何度かnoteで訴えてきたが、誰かが始めた時にそれを後押しする人々が必ず必要だ。0から1を作り出すような人間がいる時に、その人が活動を終える前に背中を押さなければいけない。私の活動はあと7ヶ月で終わりを迎える。決して終われない状況にならない限り、必ず終わる。しかし、前述したようにアイデアやアプローチの方法は、間違いなくこれからの世界に役立つだろう。
私の活動が終わる前に、アイデアに命を吹き込むために、私は奇跡の世代を欲している。ビニール袋やプラスチックゴミから、草鞋やボールを作るアイデアに命を吹き込みたいと思うわけだ。貧困層に初期投資0の仕事を提案できるアイデアに命を吹き込みたいのだ。あと7ヶ月の間にそれをしなければいけない。情報社会だからこそ、誰にだってできることはある。情報を拡散して、力を持ってこの問題に取り組める人たちに届けて欲しい。どんな経由で情報が伝わっていくかは予想できないから、だから誰にだってできることだと思う。
7ヶ月後、私はこの国を去り、ゴミ問題に積極的に取り組み日はもう訪れないと思う。それが何を意味するか。私のやり方でゴミ問題を取り組む人はもう現れないだろうし、そうなれば推せる背中はもはやない。
最後にもう一度だけ、0から1を作るのはとても難しく、それを3.4.5とするのには奇跡の世代が必要になる。0にするのはいつでもできるが。

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