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現実逃避型人間の私

現実逃避、という言葉が、なんだか悪いもの、それもとてつもなく悪いもののような気がする。現実をきちんと見られない人、現実的でない人、自身に対する理想は高くかつ現実は伴っていない人、を世間の目は、悪し様に、鋭く批判している、ような気がする。

そう感じる理由は、私自身が現実逃避型人間だから。自分のことをそうだと思うから、世間の厳しい目を恐れている。どうか、現実逃避をそんなに責めないで「あげて」。どうか、現実的でないものにも陽の目を見せて「あげて」。どうか、、、、

この時点で、すでに、「私」と「現実逃避(をする人)」を、分けて考えていることがバレバレである。自身が現実逃避型人間である現実からさえ、私はなんとかして逃れようと、足りない知恵を絞り出しているのだ。

現実逃避が大渋滞。

きっと私の頭の中では、たくさんの言葉たちが、右往左往していることだろう。

あれ、あっちの壁の切間から、世間の目が覗いてるよ。早くこっちの方に隠れなきゃ。
いやいや。さっきこっちの扉から、世間の目の手下が、事情聴取にやってきたんだよ。こっちはもうダメだ。下はどうかな?
下の方は、まだマシかと思ってるけど、近年「体調」って言うやつが、現実を突きつけてくるんだよ。無駄に隠し事してることで緊張し続けてて、偏頭痛として現れやがる。そろそろ体調を誤魔化すことも苦しくなってきた。

頭の中で、現実逃避型人間である自分、が隠れる場所が、そろそろなさそうである。あとは、ボケるか、、、、(自分でボケる方法などあるものか)
※不適切な言葉ごめんなさい(;'∀')                       

現実逃避型人間である自分、からの現実逃避に限界を感じた私は、次にどうするか?

現実逃避とは、世間では悪いものらしい。しかし私はいつもやっている。
空想の世界に住んでいることが好きだ。空想の中ならば、このもの覚えの悪い頭も、浅慮な思考も、おっちょこちょいなのも、お金の計算ができないのも、欲望を我慢できないのも、人の心がわからないのも、全部全部なかったことにできるのだ。
私はいつか(近い将来)、なんの努力もなしに、生まれもった才能を開花させ、何かの仕事でスイスイ実績を出し、深く考えを巡らせられるようになり、人の気に触ったり怒らせることもなくなり、もちろん自分が怒ることもイライラすることもなくなり、人の心がわかるようになり、誰とでも心の底から仲良くなることができ、お金は儲かり、かつ貯まり、悠々自適な老後を楽しく暮らすことができるようになる。
、、、、、ほら。空想の世界は素敵ではないか。一向に実現する気配はないのだが。

現実逃避型人間である自分、からの現実逃避に限界を感じた私は、次にどうするか?
現実逃避とは、世間では悪いものらしい。しかしどう考えても、これを私は思いっきりやっている。

次の一手を考えなくちゃ。

現実逃避とは、世間では悪いものらしい。ということは、現実逃避型人間である自分、からの現実逃避、も悪いことなのだろう。
ならばせめて、「私は現実逃避型人間です」と公言してしまえば、一個は罪が軽くなるのでは?そうだ、そうに違いない。全力で、現実逃避っぷりを明らかにしてみよう。うん、そうしよう。

と、この記事を書いたのだけど、結局何ひとつ現実は進んでいないのである。
あ、いや。進んではいる。目の前のコーヒーは飲み干されてる。私の寿命は、このアホらしい文章を書く間に30分短くなった。
あぁ、そうか。「時間」というのは、現実だな。もしかしたらこの次の30分を何に使うか、というのが、現実的な思考なのかな? 美味しいご飯を食べるためにキッチンへ行こう、とかね。


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