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【翻訳】「クルスク・バルジでの戦闘80周年に寄せて1943年夏、クルスクとベルゴロド近郊では、ソ連・ドイツ戦線における壮大な戦闘が繰り広げられた(7月5日~8月23日)。

http://www.fsb.ru/fsb/history/archival_material/Kursk_80.htm

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「クルスク・バルジでの戦闘80周年に寄せて
1943年夏、クルスクとベルゴロド近郊では、ソ連・ドイツ戦線における壮大な戦闘が繰り広げられた(7月5日~8月23日)。

ドイツ国防軍最高司令部(OKW)は、コードネーム「城塞」と呼ばれる攻撃作戦の中で、モスクワとスターリングラードでの敗北の復讐を果たし、戦略的主導権を握ろうとした。

ソ連の国家保安機関は、敵の作戦計画をいち早く明らかにし、赤軍最高司令部にクルスク・バルジの防衛のための包括的な準備を整え、決定的な反攻を開始する機会を与えた。

1943年5月10日、ソ連NKGBの第4総局(前線後方の諜報・破壊工作)は、敵が「...モスクワ、クルスク、オレル方面への決定的な攻撃のために兵力を集中している」という情報を受け取った。

ソ連 NKGB 第 4 局からソ連 NKGB および赤軍参謀本部情報総局(Razvedupr)へ、ドイツ国防軍の総攻撃準備に関する報告。

1943 年 5 月 10 日 モスクワソ連NKGB第4総局からソ連NKGBおよび赤軍参謀本部情報総局へ、ドイツ国防軍の総攻撃準備に関する報告。1943 年 5 月 10 日 モスクワ

1943年6月19日、NKGB第4総局は国防軍最高司令部の戦略計画に関する情報を受け取った。その情報は、パルチザンに亡命したアブヴェールコマンド103の幹部ドミトリー・シンカレンコから提供された。

この亡命者はドイツ情報部の将校から、「...オレルからイェレツ方面、さらにペンザを攻撃することが決定された。ゾンデルフューラーによれば、クルスクとハリコフからヴォロネジ方面へ、ベルゴロドからマロアルハンゲリスク方面へ攻勢を展開し、この前線のこの区間に位置するソ連軍の集団を包囲して破壊することが任務である」。シンカレンコはまた、パルチザンに前線の状況を記したドイツの地図を渡した。

ソ連NKGB第4局第2部からソ連国家安全保障副委員長B.Z.コブロフへの、ソ連・ドイツ戦線におけるドイツの今後の攻勢に関する特別メッセージ。1943年6月19日 モスクワ
ソ連NKGB第4総局第2課からソ連国家安全保障副委員長B.Z.コブロフ宛に、ソ連・ドイツ戦線におけるドイツの来たるべき攻勢についての特別メッセージ。1943 年 6 月 19 日 モスクワ

1943年6月23日、ソ連国家安全保障委員会は、OKWの戦略計画に関するこの情報を赤軍参謀本部情報総局に伝えた。この文書には、情報局長のF.F.クズネツォフの「ソ連元帥、トフ.ワシレフスキーへ」という決議文が残っている。

ソ連国家安全保障人民委員会が適時に入手したドイツの「シタデル」作戦計画に関する諜報情報は、戦略的防衛に移行するという最高司令部の決定と、それに続くクルスクとベルゴロドでの赤軍の反攻の基礎となった。

ソ連NKGB第4総局から赤軍参謀本部情報総局への、独ソ戦線におけるドイツの今後の攻勢に関する特別メッセージ。1943 年 6 月 23 日 モスクワ
ソ連NKGB第4総局から赤軍参謀本部情報総局へ、ソ連・ドイツ戦線におけるドイツの今後の攻勢についての特別メッセージ。1943年6月23日 モスクワ

ロシア連邦保安庁広報センター

公表された文書のリスト

№ 1.ソ連NKGB第4総局からソ連NKGBおよび赤軍参謀本部情報総局(Razvedupr)への、ドイツ国防軍の総攻撃準備に関する報告。1943 年 5 月 10 日 モスクワ

№ 2.ソ連NKGB第4総局第2課からソ連国家安全保障副委員長B.Z.コブロフへの、独ソ戦線におけるドイツ軍の攻撃準備に関する特別メッセージ。1943 年 6 月 19 日 モスクワ

№ 3.ソ連NKGB第4総局から赤軍参謀本部情報総局へ、ソ連・ドイツ戦線におけるドイツの今後の攻勢に関する特別メッセージ。1943 年 6 月 23 日 モスクワ

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