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相対的に考えだしたときに『嫉妬』が生まれる

エヴァンゲリオンのテレビ版の最終話(とその一つ前の話)は作画崩壊と言うか内容も言いたいことが伝えられないしアニメを書き上げる時間もない中で無理やり放送すると言うとんでもない内容で終わりました。
そのケリをつけるために実に四半世紀かけてシン・エヴァンゲリオンまで延々と庵野さんは苦悩していた訳ですが…

さて、その作画崩壊の中で個人的に印象に残っているシーンがあります。それは紙に鉛筆で殴り書きしてパラパラ漫画みたいにして進んでいくシーンで主人公がフラフラと中央にいるんですけれど、それに対して下に線を一本引くとそれが『地面』となり重力が生まれ地面の上を歩くことができる。みたいなシーンです。
その時に、「何かとの関係性が生まれた時に意味を成す」って事があるのだな、なんて思っておりました。

それと同じく人間ってのは他人と比べたときに優劣を感じてしまう生き物なんだよな、とも。

今の生活に全く不満がなくても、ふとしたきっかけで(自分の価値観で)自分よりも良い生活をしている人がいたら、その瞬間にその人と自分の今の生活を相対的に考えてしまい卑屈になってしまったりします。それと同時に(自分の価値観で)自分よりも苦しい生活をしている人がいたら、また相対的に比較してしまい「まぁ、あの人よりは俺のほうがいい生活しているな」みたいに見下してしまったりします。
なんかそうやってバランスをとっているんですよね。

このへんを上手く表現した動画がありますので、ご参考まで。

https://www.youtube.com/embed/1YHWSYp-qQk

それに対して「日本人は他人を見下す文化。出る杭を打つ国だよ。ブータンは日本よりも貧しく見えるけれど”世界一幸せな国”だよ」みたいな事をいまだに言う人がいるかもしれません。

しかしながら、現在では世界幸福度ランキングを見るとブータンはランク外になってしまっています。
それはインターネット、スマホ、SNSの普及によりブータンの人々にも他の国の情報が入ってしまい、それを見て初めて“比較“が生まれ「あれ?俺たちそんなに幸せじゃないのかも?」と思ってしまった結果とも言われています。

まだ比較対象がない(もしくは意識していない)「今の生活に全く不満はない。むしろ幸せ」と言う人が自分よりももっと裕福な生活をしている人を見たときに初めて”相対的”に見てしまった結果、自分が”幸せではない”事を知ってしまった結果だと思います。
もちろんそれは”相対的”に見ただけなので、自分が”幸せ”って思ってれば年収250万円でも問題はないと思います。これが”絶対的”と言う考え方ですね。

自分の人生を不幸って思いがちな人ってどこかで人と比べているんですよね。「あいつのほうが給料高い」とか「広い家に住んでいる」とか。今まで手取り20万円でワンルームの生活に全く問題がなかったのに友人の家に遊びに行ってその家が2LDKだったら「うわ、広いな。部屋のこんな使い方もできるんだ…ワンルームでは無理だな、羨ましい」みたいに。
でも、それを見ても「あんなに広いと掃除大変そうだな。俺は今のワンルームで全く問題ないわ」と考えられれば幸せに生きていけるんだと思います。

恋愛もそうだと思ってます。

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