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あの日の空 9.11から20年

20年前の9月11日、私はニューヨークにいた。よく晴れた秋の1日。空は青かった。

ニューヨーク特派員として1998年から3年間、マンハッタンに住んでいた。ツインタワーは生活の中にあった。「あぁ、あっちが南か」。世界貿易センターは、道が格子状に張り巡らされたマンハッタンの最南端にあったから、ダウンタウンをぷらぷらしているときに方角を確認するのに便利だったのだ。

タワーが崩れるのを、この目で見た。その後しばらく、晴れた日に外を歩くのが怖かった。ときおり軽いめまいがして、目の前のビルが倒れてくるような気がした。

毎日の生活の中にあった大きな建物が消えてなくなってしまったのだ。凄まじい喪失感があった。何か自分の中に大きな穴が空いてしまったような。

(↓ テロ直後の経験はこちらに書きました)

テロから一週間 静かな街だった

テロがあったのは火曜の朝だった。夏休みで両親が遊びに来ていたので、月曜まで休みをもらって、親子三人でニューオリンズ旅行を楽しんだ。火曜の朝はツインタワーがある金融街にインタビューに行く予定で、いつもより早めに出社。その後テロが起きたことを知った両親は、私が巻き込まれたのではないかと、一日中心配していたという。夕方ようやくホテルに連絡したとき、母は涙声だった。日本にいる親戚は私のテレビでのレポートを見て、ニューヨークの両親よりも早くに私の無事を知っていたことが、後で笑い話になった。

その後数日間ほとんど寝ずに仕事をした。あちこちから応援が来て、落ち着いたのは週末だったと思う。私は72丁目に住んでいて、ツインタワーから10キロ以上離れていたが、風向きによって何かゴムが焼けるような変な臭いがすることがあった。

とにかく街が静かで、車も走っていなくて、夜は暗くなって、みんなウソみたいに優しかった。「ニューヨーカーがこんなに親切になるなんて笑っちゃうね。」ってなジョークを、支局スタッフのニューヨーカーたちと、言い合った。

追悼式典をみながら、20年前の世界を思う

いま、20年のメモリアルをライブで見ながら、このnoteを書いている。20年前の9月11日に家族を喪った人々が、ニューヨークのツインタワー跡地で、犠牲者2977人の名前を一人一人読み上げる。そして、愛する人への思いと感謝を短く語る。

20年を経てもなお、涙が込み上げる遺族の方々を見ていると胸がつぶれるような思いがする。この日夫を亡くした女性の言葉が胸に刺さる。「この20年、永遠のように長かった。それでも昨日のことのようだ」と。

184人が亡くなったペンタゴン(国防総省)では、ミリー統合参謀本部議長がアメリカの理想を恐れる敵の名前を読み上げ、勇ましい演説をしていた。続いてオースティン国防大臣が、第二次世界大戦時のファシズムとの戦いから説き起こして、国のために命を捧げた兵士に感謝と敬意を表している。そして民主主義を守るのは我々の義務だと語りかける。

あれ? 20年前と同じことを言っている? 急にタイムスリップしたような気になった。

20年前の理想や価値観は、今よりずっとシンプルだった。みんなアメリカンドリームを信じていたし、貧富の差も固定化されたとは思っていなかった。アメリカの民主主義も資本主義も文句なしの世界一だった。こんなに複雑に分断され、共通の価値観が揺らぐ世界を誰が予想しただろう。

一方で、多様性やインクルージョンが大切だということがメインストリームで語られようになり、同性愛者の結婚も珍しい話ではなくなり、20年前に比べれば自分らしさを表現することは容易になったのは間違いない。

今やアメリカの犠牲者の遺族だけでなく、世界中の戦いの犠牲者の遺族が声をあげ、SNSを通じて世界にも伝わるようになった。

世の中は、悪くもなり、良くもなった。善悪をハッキリと分けるのは、時代遅れなのかもしれない。

すべては青い秋の空の、忘れ得ぬ思い出。





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