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わたしの筋腫ちゃん⑨

《注意》こちらは私自身の疾患やその周辺症状、個人の感想や意見を多分に含んだ内容となっておりますのであしからず。

さて地獄の一夜を乗り越えて…!とはいってもなにぶん眼鏡をかけていない(そしてどこにあるのかもわからない)というのはド近眼の私にとって本当にツラい事態でして。

酸素マスクやら点滴やら心電図モニターやらパルスオキシメーター(あの指先につける酸素飽和度を測る小さな機械…ちなみに時々つけかえられていたのでうっとおしくなって自分でつけかえたらアラームが鳴って看護師さんに余計な仕事をさせてしまいましたどうもすみません)やらあの一晩中収縮を繰り返すニクイヤツ、フットポンプ!やらで身動き取れず(でも寝返りはしろという…そんなムチャな…)一睡もできず悶々としているうちにカーテンの向こうはどうやら明るくなってきたようでして。

はい多分(なにぶん眼鏡が以下略)12月18日の朝。

看護師さんがおしぼりを持ってきてくれてベッド上で顔拭き&うがいをする…がやはりまだ不快。

そして立って歩けと言われた私はなんとか尿管を抜いてほしい一心でふらつきながらも歩いて尿管を抜かれた直後に点滴台を押しながらトイレに直行。

丁度おへその位置には小さいガーゼが防水フィルムで貼られておりトイレ後(つまりは拭くとき)に下腹部の妙なへこみを自覚してうわーやっぱり子宮無いんだ…と思ってベッドに戻り腹痛よりもノドの痛みに悶々としておりました。

たかだか2時間の挿管でこれほどのダメージが咽頭に残るとは正直全然思っていなくて。歩けたときにノドアメのおゆるしが出ましたが持参したお菓子寄りのそれではたいして役にたたずもっと本格的なノドアメを持って来ればよかったと非常に後悔したりしておりました。

そうこうしているうちに夫が面会に来てくれて私は声にならない声でいま何時か聞き、ここでようやく!夫に眼鏡をかけてもらいそして初めて手術を乗り越えて生還したことを実感したのでありました。水分のおゆるしも出たしね。フットポンプその他も取ってもらえたし。

それにしてもいやもう本当に眼鏡大事。術後1年近く経った今でも夜中に目が覚めたとき何時なのかわからないのは軽くトラウマなので今度手術するようなことがあるのなら(あってほしくはないけれど)術後すぐに!眼鏡をかけてもらおう…!と決意をあらたにした私なのでした。

お昼近くに夫が帰宅し、視界がクリアーになった私の気持ちもやや落ち着いて時計を見ながらウトウトしたりとつかの間の至福の時を過ごすまでに回復。

その後は看護師さんの付き添いでナースステーションから離れた病室に移動したり再び頻脈になって点滴が輸液ポンプにつながれゆっっくりになったり念のためと心電図を測ったりIN/OUT(つまりは飲んだ量と出た量)のチェックが開始になったりとあわただしく夕方になり。

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はい夕食ドーン。多い!

でもおかゆと梅干し嬉しい。おいしいけれど腹痛もあり半分ぐらいいただいて輸液ポンプを押しながら廊下を往復したり。

主治医が「こんな格好でゴメンねー」と私服(!)で病室まで様子を見に来たのは夕食後だったかな…あれは回診だったのかな…?

夜の検温で心電図の結果も異常なかったと聞いてひと安心するが腹痛が強くなり消灯前に痛み止めをもらって内服したり。その夜はなんだかそわそわしてなかなか寝付かれず。昨夜一睡もしてないのに。(30分くらい昼寝はした)

そして深夜に事件は起こるのである…

かみんぐすーん。

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