サヨナラ日本①〜2度目の成人式〜

2度目の成人式をむかえた40歳の冬、わたしはアムステルダム〜ベルリンの旅に出ていました。
元々、ヨーロッパの文化が好きで個人主義やリベラルな思想が自分に合っていて、移住を考えていたのでした。

アムステルダムは毎年夏に訪れていて、大好きな野外フェスティバルがあったので、8月はアムステルダムで過ごすのがここ数年のお決まりでした。

わたしは90年代に青春を過ごしたので、日本のクラブカルチャーがまだ海外に引けを取らない、むしろ世界中から東京が憧れられていた時代に、東京で毎晩踊りあかして過ごしていました。
DJとしても活動を始め、東京の名だたるクラブや、大小問わず色んなraveにも出演していました。

そんな事もあって、アムステルダムやベルリンには若い頃から憧れがありました。
むしろ大学を卒業するとすぐにでも海外に行きたい、そんな想いがありましたが、卒業と同時に父親が脳腫瘍で倒れ、そういう家庭の事情もあり国内に留まる事になってしまったのです(父親はその後4年ほど闘病後に亡くなりました)。

そして、2度目の成人式をむかえる40歳で今一度、海外にチャレンジしたくなったというわけだったのです。
いい歳して、とか周囲からは言われましたが、とにかく可能性を考えてみたかったのです。
なのでいつも行く夏ではなく、冬のアムステルダム〜ベルリンを見てみようと思いました。

何せ冬が厳しいのだと、10年くらい前にベルリンに移住した友人が言うので、そんな厳しい冬なら一度体験してみないと現実的に移住は難しいと思い、わざわざ厳しい冬の2月を選び、旅をしました。

率直に言うと北ヨーロッパの冬は本当に厳しかったです。
寒さの質というかエネルギーが日本とは比べものにならないくらい凄かった。
特にベルリンはハードでした。
なるほど、寒い冬は元々住んでいるドイツ人でさえ、鬱になったりイライラしたりして苦しむらしく、関東生まれ東京育ちのわたしにとっては衝撃的な寒さでした。

しかも天気もずっと薄曇りというドヨーンとした雰囲気、ベルリンに移住している日本人の友人を何人か集めて飲みに行ったら、その友人達から「わざわざ遊び来てくれてありがとう〜みんな集まれる機会作ってくれてありがとう、気分明るくなった」と逆に感謝されたりもして、移住10年でも冬のベルリンはこたえるのだな〜と思いました。
寒くても名門クラブのベルクハイン、トレゾアは激混み長蛇の列で、入るのに2時間弱もかかり、寒さで気が狂うかも、と思ったくらいでした。

アムステルダムは海が近いという事もあってか幾分かベルリンよりはマシであったけども、それでも現地で合流した北海道生まれの友人は寒くて死ぬ、と文句をたれるほどの寒さでした。

アムステルダムでは、実際に日本人で現地でビジネスをしている方に事前にアポイントをとって会ったりして、現地の暮らしぶりや社会の雰囲気、ビジネスをする上での苦労話などをヒアリング、日本人が比較的多いフェーンまで足を運び、駐在員向けのビジネスや日本というカルチャーを推すビジネスができないか?想定もしたりして、不動産屋にも入って、拙い英語でお店の物件の情報を見たりもしました。

オランダは日本人のビザが下りやすいのでチャンスではあるけども、お店系のビジネスだとアムステルダム中心街は家賃も高く厳しいと感じました。
少し郊外でなら、飲食店やサービス業もあり得るかもしれません。

わたしの個人的感覚ですが、ベルリンはストイック過ぎて、自分が暮らすには少し疲れるかもと思っていました。
そこがアムステルダムだと適度にユルいというか、少しイギリス寄りな雰囲気もあって、ちょうどいい感じの社会的雰囲気や国民性を感じたのでした。

アムステルダムは観光都市で海外からのお客さんも多くて、コーヒーショップや飾り窓のカルチャーもあってウェルカムなムードを感じていました。
もう何年もアムステルダムには通っているのでコーヒーショップのローカル向けの銘店オススメは、また別の機会で書きたいと思います。

そんなふうに過ごしていた40歳の冬、コロナパンデミックが本格化してきたのでした。
2020年2月、もうすでに南ヨーロッパの一部ではアジア人が罵られたり、軽い暴行されたりというニュースがネットで見受けられる様になったのです。

2019年晩秋〜年末に中国武漢から始まったとされるコロナパンデミックは数ヶ月でヨーロッパや世界各地に飛び火したのです。

海外旅行者にも、帰国が望ましい旨のメールや情報がネットで流れてきたので、迷いました。
既にベルリン〜アムステルダムと半月ほど滞在していて、エアビーを延長し後1か月くらい居たかったのですが、状況を知るとなかなか厳しいと感じたので2月末に急いで帰国しました。

2度目の成人式を迎える40歳で、移住のための下見と思っていたわたしにコロナウィルスの暗い影は大きく重く被さり、わたしの計画は相当に狂わされたのでした。
何せその時はまさかコロナパンデミックが、こんなにも長期化するとは思ってもいなかったのです。
ひと冬で終わる、季節性インフルエンザとか以前のSARSの様なもので、すぐにこの騒ぎはおさまる、そんな風に考えていたのです。

帰国してもオランダでどんなビジネスをやろうか、事業計画書を書いて過ごしました。

ちなみにドイツやオランダで、コロナ関係のアジアンヘイトにあった事は一度もありませんでした。
時期も2020年2月末なので、まだそういう風潮ではなかったのかもしれませんが、ドイツやオランダを過去に旅行していて、汚い言葉をかけてくるのは大概移住して住んでいる同じカラーズか、南ヨーロッパの旅行者が多かった様に感じます。

1番多いのは中国人と言われて罵られるパターンでした。
ファーストフード店でも「チャイニーズ?」と聞かれたので「ノー、フロムジャパン」と言ったのですが
「チャイニーズは辛いの好きだろ?辛いソース大盛りにしてやろうか?」と強引に辛いソース大盛りにされたりもしました(辛いの好きなので別にOKだったのですが)。
きっと悪意はないのでしょうが、そういう類の人種差別(というか勘違い)は海外ではよくあることです。

2度目の成人式をむかえた2020年の春、今度は東京でもパンデミックパニックが大きくなり、社会が一旦停止しました。
確か4、5月は本当に社会が一時停止した事を今でも覚えています。

わたしはその頃、様々な資料やデータを読み漁り、このパンデミックと100年前のスペイン風邪の比較で、このウィルスとの戦いは長期化すると予測し、移住を一度断念しました。
というのも、このコロナパンデミックで、そもそも移住して何年も経つ友人達がお手上げ状態で帰国してきたので、これはマズい、タイミングではない、と思いました。

アムステルダムで、お話を伺ったあちらで起業してらっしゃる方も、コロナを機にビジネスをたたんで帰国したくらいだったので、相当ヨーロッパは犠牲者も出たし、社会が受けたダメージは計り知れないものがあると思います。

それでも胸の内では、この国を出て海外でチャレンジしたいという気持ちは強くなるばかりでした。
この国を離れたい、そういう思考に至るにはわたしなりの理由がありました。

そのお話は、次回お書きしたいと思います。

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