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「けんちく」へのねじれた感情

 先日、気になる建物があり、「新建築」を買いました。一枚いちまい、ページをめくり、「ああ、やっと私も建築雑誌を素直に楽しめるようになったのだなあ」と感慨にふけりました。

「どーゆーこと?」
て思いますよね。すみません。
 実は昔、建築雑誌とか、見るのも買うのも、大キライでした。

 学生の時だから、もう20年前の話です。
 期待に心踊らせて入った建築学科。でも、入ってみれば、課題もできないし、勉強もわからないし、たちまち劣等生。評価されない→イヤになって努力しない→さらにわからない、できない····という悪循環。
 本当は「けんちく」のこと好きだし、すごく興味あるんだけど、
「けんちく」は私を評価してくれない。仲間に入れてくれない。私を拒否している····
もう、「けんちく」なんて、大キライ!!
て思ってしまったのでした。
 今振り返ると、相当メンドクさいヤツですね。

 だから建築雑誌を見ても
「ふん!気取った建築家が、気取ったこと言って、ヘンな建物作りやがって!」
と思ってました。でも、やっぱり興味あるから、すみずみまで読んだりしてるんですけどね。
 ひどい時は、「けんちく」から離れたくて、本屋へ言っても、建築関係図書のコーナーに近づかないようにしてました。かなり屈折していました。

 「建築家」という概念や価値観が、良くも悪くも、特殊であることも影響してたと思います。大学の課題では、実用的現実的な建物を設計しても評価されない。アート的な、社会問題的な要素も設計に組み込まなければならない。じゃあ、その正解は何?と混乱しても、教授が何か教えてくれるわけでもない。
 そのことは最近、この本↓を読んで確信しました。

 そして、「けんちく」嫌いを大学卒業後も、しばらく引きずっていましたが····

 実務経験を重ねた今、建築雑誌に載っている建物は、気取ったものではなく、関係者の方々の情熱や努力、技術の結晶なんだなと思うようになりました。
 実際に、SNS やインタビュー記事・講演会などで、有名建築に関わった方々の涙ぐましい努力や、熱い思い、人間らしい一面に触れることがよくあります。
 現在活躍している人が、同世代の方が多いので、感情移入しやすいのかもしれません。(自分とは全くレベチで、住む世界が違うのですが)

 ということで、「けんちく」へのわだかまりは完全に解けているわけではありませんが、できるだけ素直な気持ちで勉強していきたいなと思っています。

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