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賢者のセックス / 第13章 精液と神社 / 彼女がセックスについてのファンタジー小説を書いていた六ヶ月の間に僕が体験したこと

憑坐

 ソラちゃんは小説の構想を思いつくと、食事の時に僕に説明してくれるのが常だ。僕に説明しながら、頭の中を整理しているようでもあった。例えばこんな風に。

「今悩んでるのはね、君と私、もちろん小説の中では別のキャラになるんだけど、私たちそれぞれの位置づけね。正常位でしてる時に出てくる水天宮の御祭神が天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)だったでしょ。水と子供の守り神の。あれが気になってるんだよ」
「どんな風に気になるの?」
「街は私たちの夢を見ている。その夢の中で私たちはどんな役割や位置づけや意味を与えられているんだと思う? 街が無意識のうちに私たちそれぞれに何かを投影しているのかな。それとも、この子はこういう設定、こっちの子はこういう設定って決めてあるのか」
「夢に出てくる人たちの設定って、わざわざ考えておくものかなあ」「そうだよね。小説じゃなくて夢だもんね。夢という設定」

 僕たちは一緒になってクスクスと笑った。

「それと関係すると思うんだけど、こないだ一緒に地元を回った時さ、最後に田んぼで手を繋いだでしょ」
「中学の総合学習で使ってた田んぼ?」
「そうそう。あそこで手を繋いだら君が突然大声を上げて、私の手を振り払って、田んぼの中に尻もちをついちゃったよね。あの時、射精もしてたんだよね」
「うん。突然、足の裏からなにかが一気に流れ込んできて、あそこが一瞬でかちかちになって、気づいたら精液が出てた」
「いっぱい?」
「かなり沢山出たよ」
「私の手をいきなり振り払ったのは何だったの? あれ、びっくりしちゃったよ」
「あれね……」

 僕は少しだけためらったけれども、正直に話すことにした。

「あの時は身体全体を何かに乗っ取られそうな気がしてさ。このままソラちゃんと手を繋いでたら、ここでソラちゃんを押し倒して犯しちゃうと思ったから」
「犯すって?」
「……ソラちゃんの膣に僕のものを無理やり入れて、そのまま射精する」
「あそこで? それはすごいね!」

 何故かソラちゃんの顔が輝いている。もう少しで僕に強姦されるところだったという話をしているのに、何でこんなに喜んでいるのだろうか?

「それはもうどう考えても、君の精子を私に受胎させたいってことでしょ。わかりやすい。ということは、やっぱりあれかなあ」

 ソラちゃんはスマートフォンを取り出して何かを調べた。

「古事記の天之御中主神の下りに、もう二柱、神様が出てくるんだよ。高御産巣日神と神産巣日神っていって、高御産巣日神が空属性で神産巣日神が土属性。で、どっちも生成力の象徴みたいな神様なのね。私の名前は天來(そら)で、あの田んぼの上から何かが降りてくるイメージで付けられた名前でしょ。で、君はあの辺に実家があるんだよね?」
「実家っていうか、父方のおじいちゃんの家が天谷戸のもっと上流の方にあるよ」
「昔からの家なの?」
「どうだろうなあ。屋号はあるけど」
「じゃあ江戸時代にはあった家なんだね。明治より後に来た家なら名字で済ませちゃうから。ちなみに屋号は何て言うの?」
「かみや」
「紙を売ってたんだ?」
「そっちの紙じゃなくて、神様の家と書いて、神家(かみや)」
「神家!」

 ソラちゃんの表情は真剣そのものだ。

「もしかして、君の一族は社家(しゃけ)だった家? 神社の社の字に家と書いて社家。代々、神主をつとめてた家のことなんだけど」
「ちょっとわからないなあ。おじいちゃんが神主さんでなかったのは確かだけどね」
「ま、よほど大きな神社じゃないと今は神主さんもなり手がいないからね。そうそう、あの辺って神社あったよね、たしか。いつも一〇月一日に秋祭りやってるとこ」
「天谷戸神社?」
「それかな?」

 僕たちはコンピューターデスクの前に移動して、グーグルマップで天谷戸を検索した。天谷戸神社は谷戸の奥の方にあった。よく見ると天谷戸川はこの神社の境内から流れ出しているようだ。そういえば神社の境内には小さな池があって、水が湧き出していたはずだ。あれが天谷戸川の水源だったのか。

「なんか感動しちゃうな。こんなことってあるんだね」

 ソラちゃんが感心したような声を上げた。

「天谷戸って上から見ると奥の方だけふわっと広くなってて、まるで膣と子宮みたいじゃない?」

 そう言いながらソラちゃんは二枚あるモニターの片方に「膣 子宮 断面」で検索した画像を表示させている。半分くらいはエロゲーや一八禁同人誌の画像だったが、例によってソラちゃんは全く気にしていない。

「で、天谷戸神社はちょうど子宮の位置にある、と。もうこの街がさ、私に『後宮小説』のオマージュ書けって言ってるとしか思えないよね。あれは後宮を子宮に見立ててたから」

 たしかにソラちゃんが言う通り、天谷戸(そらやと)神社は谷戸の一番奥が少し広くなったところの中央にあって、まるであの街の子宮に見えた。ベッドタウンの子宮。

「君は精子で、私は卵子。その二人がちょうど膣の中で手を繋いだから、今だと思って街は君に射精させた。そう考えると、なんだかドキドキするね。中学の田んぼは街の膣だったのか」
「街が僕たちの子供を欲しがってるってこと?」
「そういう解釈も出来るかな。緊急避妊されちゃったけど」

 ソラちゃんが苦笑した。

「でも、また凄くイメージが膨らんだよ。私が高御産巣日神の憑坐(よりまし)で君が神産巣日神の憑坐(よりまし)にされているのかもしれない。いや、でも君は見者型シャーマンだったはずだけど、田んぼでは明らかに霊媒型か。何だろうこれ。面白い! ごめん、少し作業してくるね」

精液

 ソラちゃんはいつもより少しだけ長めに僕と唇を重ねてから、書斎に消えていった。僕は食卓を片付けてからリビングルームの照明を消して、ソファの上でゆっくりとビールを飲んだ。向かいにあるタワーマンションの家々の灯りが時折点り、時折消える。

 ソラちゃんがこの小説に注ぎ込んでいる情熱と時間は膨大なものだ。資料代も湯水のごとく使っているようで、最近は毎日のように古書が届く。そして書斎の床に積み上がってゆく。もはやソラちゃんの家の本棚には入り切らないのだ。でも、ソラちゃんは平気な顔だ。

「実家の近くにレンタルボックス借りるからさ。本は見つけたら買っとかないとダメなんだよ。妖精みたいなものだからね」

 色々とよくわからない発言だ。

 ただし、これだけの情熱と時間とお金を注ぎ込んだとしても、書き上げられた小説の中で日の目を見ることが出来る作品は、せいぜい六〇〇本のうちの一本だという。審査委員の好みや文学観に合わなければあっさり切り捨てられるのが、小説の新人賞というものらしい。六〇〇件の入札から選び放題とは、何とも贅沢なことだ。

 どれだけの言葉が人知れず小説となり、そのまま誰にも届かずに消えていくのだろう。

 小説とは、何と壮大な浪費なのか。

 それはまるで、僕の精液のようだ。

 卵子と出会い、子宮に着床して次の世代を生み出すことが出来るたった一つの精子と、それ以外の何かのために放たれては消えてゆく、数え切れない精子たち。

 書斎の扉の下の細長い光を眺めながら、そんなことを僕はぼんやりと考えていた。

 三月も下旬に入った。三週目の土曜日は春分の日だった。ソラちゃんは朝食を済ませると、そそくさと書斎にこもってしまった。資料の読み込みと小説のプロット作りをするのだという。

 僕は一人で地元に戻ることにした。まだ場所を特定出来ていない風景を探すためだ。ソラちゃんがきちんと昼ごはんを食べてくれるのか心配だったので、僕はトマトとカボチャと人参と大根ににんにくとオリーブ油の風味をつけたスープを作り、ダイニングテーブルの上の見やすい場所に置いて、クロワッサンと伊予柑をその隣に並べてから家を出た。

 二回目の現地調査は順調に進んだ。駅前で借りた電動の貸し自転車に乗った僕は、街を反時計回りで回りながら、一つ、また一つと、僕がソラちゃんを愛撫している時に見る風景を発見していった。ソラちゃんの分析通り、これらの風景は全て植物の力が強い場所だった。街を丹念に回るうちに僕は、こんなところにこんな風景があったのかという場所を幾つも見つけた。

 お昼になった。僕は多摩川の堤防の上で餡パンとカレーパンを食べた。それからスマートフォンを取り出して堤防の写真を撮り、ソラちゃんに送った。

「ウルトラマンZでハルキとお父さんが再会した場所、発見」

 ソラちゃんからはすぐに返信があった。

「スープ美味しかったよ。気をつけてね。無事にうちに戻るまでが遠足!」

 思わず笑みが漏れる。言葉でも僕とソラちゃんは繋がっているのだ。ある一ヶ所を除けば。

 僕は再び電動自転車に乗り、探索を続けた。風景は至るところで見つかった。用水路の脇の休耕田に咲くれんげ草。削り取られた崖の下に生えた雑草。都営住宅の前にそびえる巨大なクスノキ。街は僕たちに何を伝えようとしているのだろうか。

 僕の乗った電動自転車は市立体育館の横をゆっくりと走り抜け、丘の上のニュータウンから天谷戸へと下りる狭くて薄暗い道へと入っていった。

写真

 天谷戸大橋は谷戸の出口から三分の一ほどのところにかかっている。ソラちゃんの使った喩えを借りるならば、膣のちょうど中程だ。中学校で借りていた田んぼはそのすぐ下流側にあるけれど、この日、僕が目指したのは上流側の天谷戸神社だった。

 天谷戸川の左岸の道を電動自転車でゆっくりと走る。道は少しだけ上り坂だ。右手には昔ながらの古民家が点在している。どこの庭先にも白い軽トラック。左手のガードレールの下には遊歩道。小さな子どもたちが母親らしき女性と一緒に散歩しているのがちらりと見えた。

 僕は祖父母の家の前を通り過ぎ、左に曲がって小さな橋を越えた。こんな時でなければ祖父母の家に顔を出して色々と聞いてみたいところだが、次に僕が祖父母に会えるのはお互いに新型コロナウイルスのワクチンを打ってからになるのだろう。

 橋を渡ったところの右側が天谷戸神社の参道の入り口である。石造りの小さな鳥居に「天谷戸神社」と彫られた石の額。参道の左手には小さな墓地。たしか、その奥にはお寺もあったはずだ。僕は鳥居の脇の小さな駐車場に電動自転車を置いて、鳥居をくぐった。

 参道沿いには「奉賛 天谷戸神社」と書かれた白い幟が無数に立ち並んでいる。幟の下の方に黒い油性ペンで書き込まれているのは氏子の名前だろう。高岩、檜枝、土肥、菅原。どれも市内のあちこちでよく見かける名字だ。屋号があるのも、名字だけではどこの檜枝なのか、どの高岩なのかわからないからと聞いたことがある。僕の家の天ケ谷という名字も幟の中に見えた。市内には何軒か親戚がいるのだ。でも、祖父母の名前は無かった。

 杉の並木の参道を抜けると、雑木林に囲まれて少しだけ開けた場所に出た。この辺りの雑木林の中でもここは特に木々が高く大きく育っているので、異世界に入り込んだような気分になる。正面には社殿。人の気配はない。鳥のさえずりに混じってキツツキが木を叩く音が聞こえる。社殿の脇にはステンレス製の案内板。今日はあちこちでこれを見た。市の教育委員会が設置したもので、市の文化財について簡単な説明が書かれている。

 天谷戸神社の案内板にはこのように書かれていた。

天谷戸神社《そらやとじんじゃ》

 延喜式神名帳《えんぎしきじんみょうちょう》に武蔵国多摩郡天谷戸神社《むさしのくにたまぐん そらやとじんじゃ》とある。旧社格は村社。

 御祭神は水波能売命《ミヅハノメ》、神産巣日神《カミムスビ》、高御産巣日神《タカミムスビ》であり、境内には津島神社、白山神社、神明神社、稲荷神社、秋葉神社を祀っている。七月に天王様祭礼《てんのうさまさいれい》、九月一日に風祭り、一〇月初旬に秋大祭が執り行われる。本殿は神明造りで明治時代のものである。また境内には神仏習合の名残りとして、庚申塔と弁財天を祀った池がある。

 本殿裏手の丘陵地からは縄文時代中期の遺跡(多摩ニュータウン5号遺跡・9号遺跡)が見つかっており、女性の胸と妊娠中の子宮を強調した背面人体文土偶《はいめんじんたいもんどぐう》と呼ばれる土偶が多数出土している。

                 令和元年 市教育委員会

 僕にはよくわからない話が多かったが、ともかく案内板の写真を撮ってソラちゃんに送信した。それからお賽銭を投げて、ソラちゃんの小説の無事の完成をお願いする。境内を見回すと、左手の奥に幾つかの小さなお宮が並んでいるのが見えた。社殿の右手には木々に囲まれた小さな池。池の奥には白い祠のようなものがある。ここが天谷戸川の水源だろう。

 僕は小さなお宮にも順番にお参りしてから、池をぐるりと一周してみた。六畳間ほどの面積しかない小さな小さな池だけれど、祠の下のあたりからは透明な水が途絶えることなく湧き出している。池の中には沢山の落ち葉と、錦鯉が二匹。この前、ソラちゃんと二人でこの街を歩いていたときに感じたようなざわめきは、全く訪れない。

 ふと僕は思いついてインスタグラムを開くと、検索窓にソラちゃんのアカウント名を入れた。上から二番目に出てきたアカウントをタップ。おしゃれなバリキャリのアラサー女子としてのソラちゃんを集めた場所だ。最近は食べ物の写真ばかりだけれど、これはしょうがないだろう。ここに写っている食べ物のほとんどは実は僕が作ったものだけれど、このアカウントからそんな気配は一切、感じられない。

 画面をスクロールダウンしてソラちゃんが写っている画像を探す。僕はソラちゃんの画像を一枚も持っていない。撮ったことがないからだ。多分、ソラちゃんも僕の写った画像を一枚も持っていないはずだ。だから、僕たちはいつでも「無かったこと」に出来る。きっとそう考えていたのだ。でも、それは色々な意味で間違っていた気がする。

 マスクをつけていないソラちゃんの顔を見つけるまでには、かなり遡る必要があった。やっと見つけたのは去年の七月の投稿だった。僕はソラちゃんの顔を画面いっぱいに表示させ、指先でそっと触ってみた。

 何も起こらない。さすがにSNS経由では、あの何かは発動しないらしい。

 僕はインスタグラムを閉じて池の傍を離れた。

 それを僕が見つけたのは、鳥居をくぐって駐輪場に戻ろうとした時だった。天谷戸神社の鳥居の根元には「昭和五十九年 氏子総代 天ケ谷里史」と刻まれていた。天ケ谷里史《あまがやさとし》。僕の祖父の名前だ。案外、僕とこの神社の関係は深いのかもしれない。僕は鳥居の写真を撮ってソラちゃんとのチャットに送信した。

 それから僕は再び電動自転車に乗り、反時計回りでの街の探査を続けた。

破壊衝動

 坂浜川沿いを走る都道で信号待ちをしている間にスマートフォンを見ると、ソラちゃんからのメッセージが幾つも着信していた。

「多摩ニュータウン5号遺跡ってどこにあったんだろうと思って東京都のウェブサイト調べてみたら、竪峰二丁目団地だった。私が前に住んでたところ(14:05)」
「君の家はやっぱり天谷戸神社と関係が深いんだね(14:09)」
「気をつけて帰ってきてね。交通事故に遭わないように!(14:10)」

 帰ってきてね、という言葉を僕はしばらく見つめていた。その間に信号は青になり、再び赤になった。

 ソラちゃんと僕が離れた状態でセックスをした時に見えた谷戸と水の流れは、天谷戸川の少し上流で坂浜川に流れ込んでいる小さな川を遡ったところにあった。長ネギが植えられた畑の脇の小径を抜けていくと梨畑があり、さらにその先で、まるで隠れ里のようにして小さな谷戸が僕を待っていた。どこから流れ出したのかわからない幾筋もの透明な水が草の陰を走り、梨畑の手前あたりで集まって小さな滝になっている。

 谷戸の中央、一番日当たりが良い場所には大きな梨の木が一本だけ立っていて、数え切れないほどの白い花を咲かせていた。僕は梨の木の写真を撮ってから駅に引き返した。

 この日の夕食は鯵と鮭を焼き魚にして、大根と玉ねぎと南瓜の味噌汁、そして近ごろやたらと安いブロッコリーとトマトでサラダを作って添えた。

 食卓についたソラちゃんは少し疲れて見えた。朝からずっと小説にかかりっきりだったのだろう。ソラちゃんはあまり話をせずに夕食を食べ終えると、「ごちそうさま」と一言つぶやいて書斎に消えていった。声をかけることすらためらわれるような張り詰めた空気が、ソラちゃんの周りに漂っていた。僕に出来たのは、ソラちゃんを見守ることだけだった。

 僕は食卓を片付けてお風呂を入れ、グレープフルーツの香りがするとっておきのバスキューブを洗濯機の蓋の上に置いた。

 この日を最後に、小説執筆プロジェクトの中で僕に出来ることはほとんど無くなった。セックス中に僕が見る風景の調査は全て終わり、地図データの分析も済んで、あとはソラちゃんが小説を書くだけという段階に進んでいたからだ。加えて年度末という時期でもあり、今や僕に出来ることと言えば、ソラちゃんが仕事と小説執筆以外のことに時間を使わなくても済むように、毎日食事を作り、買い物に行き、洗濯と掃除をして、お風呂の準備をすることくらいだった。

 もちろん、今の自分がソラちゃんに必要とされていることはわかっているし、ソラちゃんも事あるごとに「ありがとう」と声をかけてくれる。でも、これまでの二ヶ月間とは違って、ソラちゃんと二人で力を合わせて進んでいるという実感を持つことは難しかった。

 そして、この翌週から僕たちの交わす会話は極端に少なくなった。もちろん喧嘩をしているわけではないのだけれど、僕は小説を書くことに集中しきっているソラちゃんを前にして、何を話して良いのかがわからなかった。一度思い切って「どんな小説を書いているの?」と聞いてみたこともある。でも、ソラちゃんは困ったような表情を浮かべてみせるばかりだった。

 そんなこんなで、この時期の僕たちは同じベッドの上で寝てはいたものの、セックスもしないようになっていた。

 三月が終わり、四月が始まっても、この状態はずっと続いた。そんな毎日は、驚くほど大量のストレスを僕にもたらした。

 やがて僕は、意味もなく何かを破壊したい衝動に駆られるようになった。今までなら、こんな時には気心の知れた友人たちと酒を飲んで紛らわすことも出来たのだけれど、僕たちを取り巻く新型コロナウイルスのパンデミックがそれを不可能にしている。

 僕たち二人を乗せた「ファンタジー小説」という小舟は、それでもなお水平線の向こうを目指して航海を続けるしかなかった。

 四月の中頃、ソラちゃんが仕事で出かけている間に僕はベッドルームの床の上でオナニーをした。ソラちゃんと一緒に住むようになってから初めてのことだった。ソラちゃんの名前を呟きながら射精した後、僕は長い長い賢者タイムを経験した。僕は自分が泣いていることに気づいた。

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