見出し画像

手帳会議の季節②〜平等であれ〜

まずは前回の記事、セリアのサンリオ手帳について追記したい。第5週があると第4週のスペースを半分にしてあてがうフォーマットの手帳

こういうの

は結構あるように思う。しかしオレたちのセリアの、オレたちのサンリオ手帳は

第5週も他の週もみんな同じサイズ!

こう!第5週のスペースも他の週と平等である。瑣末なことかもしれないが、わたしはこだわりたい。世の中は不平等なことばかりだから、せめてマンスリーブロックのスペースくらいは平等であれと思う。なんなら願う。手帳のマンスリーブロックだけではなく世の中が平等になりますように。どうか。どうか。

それはそうと前回の記事に「持ってるノートで自作の手帳もありなんじゃね?」などと書いた。昔からノートが好きで、何かにつけてノートを買った。むしゃくしゃしてはノートを買い、自分を宥めた。むしゃくしゃした数だけノートがある。世の中が不平等である限り、わたしはむしゃくしゃし続けて、その都度ノートを買いに走る。ノートに特化した買い物依存症なのかもしれない。どデカい図体の割に実は書く文字が小さいうえ、びっしりと書きたがる癖があるためなかなか1冊を使いきれない。使いきるより早くむしゃくしゃするので、ノートは増える一方なのだった。

このようにして増え続けるノートをどげんかせんといかんと常日頃考えてはいるのだが、解決策として「むしゃくしゃしない生活を送る」ことがいちばんだと思う。まあ、それができたらはなから苦労はしていないので、地道にノートを使いきって数を減らしていくしかないのだろう。そこで自作手帳ですよ奥さん。

日経WOMANを買わなくてもインスタやらYouTubeやらで皆様の手帳をいつでも拝見できるのだから、まったくもっていい時代になったものである。バレットジャーナルのセットアップとか、動画でご教示いただいて誠にありがたいと思う。だが皆様の手帳があまりにも素晴らしすぎて、センスのないわたしはなんだか気後れしてしまうのだ。キレイに!かわいく!書かなくては!!と思いつめてしまって、ただただヘトヘトになるだけでとにかく楽しくない。もはや苦行に近い。

手帳会議というか自分会議?

そもそも手帳は誰かに見せるためのものではなく、自分が見てわかるものであれば別になんでもいいわけで、皆様のステキ手帳を目指すのはとっととあきらめて、首を伸ばして覗き見た上司(男性)の雑な手帳に寄せたほうがずっと建設的なのではないかと思うのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?