見出し画像

ジョーカー/アカデミー賞の前に改めて

以前にYAHOO!に投稿したレビューを貼り付けときます。

高レビューという絶望感のゴール

レビューが良かったのと配役が良かったので期待して観に行きましたが、衝撃的なほどに面白くありませんでした。
こういう日常の理不尽さは自分の生活の中でいくらでもあるし、周りからの共感もありません。「だからどーした」って迷惑そうな顔をされて済まされてしまう話です。
この映画を観て「共感!」って言ってるのは男の人とか組織に属してる人だと思います。アーサーが白人男性であるのと同じ様に「マジョリティな俺/私はこう扱われるべき」設定がもともと高い人。よくプロフィールに「普通の日本人」って書いてあるあの感じ。主人公が女性だったりしたら全く成立しませんよ、この話の流れ。
この世の中のマイノリティ側であれば日常的に起きるようなエピソードに過ぎないし、誰も助けてはくれなくて、それでも生きてくしかない。

アーサーに起きる不幸は今まで耳にして来た事件の数々をつなぎ合わせたパッチワークでしかなく、その切り取り方はワイドショー並みの興味本位と軽薄さ。
とにかく何もかもが薄い印象。それを「オマージュ」や「ヒント」みたいに織り込んでるのもただただ軽薄な印象でしかない。
「タクシードライバー」や「フォーリングダウン」はもっと軸があって伝えたいであろう「なにか」を思わせるものがあったけど、これはない。全くない。「どうだこれ?不幸ってこういうのだろ?まだまだも盛り込んどくか?」くらいのノリ。
結局はどこかで観た様なシーンやエピソードをつなぎ合わせただけ。大してセンスがよくない映画マニアが趣味で作った脚本をプロが全力で演じてみました(=けどやっぱり内容ないですね)みたいな感じ。

高レビューを含め、この世の中の薄さに驚愕な映画でした。そりゃアーサーみたいな人は救われないでしょうね。毎日こういう理不尽さと向かい合っていると「気に入らない相手を抹殺してスッキリ」みたいな安直さには怒りしかないです。そんなことで物事が好転する訳じゃないし、ましてや誰が救われるわけでもない。アーサーをバカにすんな。どれだけ見下してんだ??

この映画を面白かったとレビューしている人たちは、映画の中でいうと「マレー」みたいな人なんだろうなと思います。自分の恵まれた環境に当たり前で気づいてなくて、小さな他人の不幸エピソードに共感してると同時に高みの見物してるみたいな。そのくせに自分をアーサーに投影させてしまうという救いのなさ。そんな人たちが自分の日常にアーサーみたいな人がいても話しかけたりするとは思えない。アーサーを視界から消して生活してるタイプでしょ? 

何かするとしたら、せいぜいピエロのマスクをつけて暴動に参加するくらい? その暴動の理由は何でもよくて、ただ自分を正当化して「参加してる」という高揚感に酔ってるだけ。そちら側の人たちだと思うと納得です。もし、そういう人への警告としての映画だとすると良くできてると思います。ホアキン・フェニックスをキャステングしてる意味も出てくるし。全てが面白くないジョークでしたって例のパターン。悪趣味を極めるみたいな。

世の中の反応に一番驚いてるのは作り手側なのではないかと思います。製作者は趣味の悪いコメディのつもりで作ったのに、それが全く伝わらない世の中だったっていうのが正解なのではないでしょうか。映画の中の不幸よりも現実の不幸が優ってる感じ。まさに絶望感満載のエンディングです。

ーーーーー
後追いで、少しだけ監督の‎トッド・フィリップスとホアキン・フェニックスのインタビューを読みました。「この映画の謎は月日が過ぎてから語るつもり」みたいな話があったようです。その時に仕掛けが明かされるんでしょうね。今回「良かった」ってレビューに乗っかってる人はその頃までこの映画のことを覚えてるのかなと思います。まぁきっと「もう一度見返してみよう!」って仕掛けに乗っかってくれる、どこまでもいいお客さんに向けて、商業的にはど真ん中な映画に仕上がっているって事なんでしょうね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?