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【コーチの自己探究】全体性を回復しても、バラ色の未来は訪れない

昨日は午後から、
ほとんど機能しなくなってしまった。

昔は台風が来たら、
(本当に不謹慎極まりないが)
「危機」にワクワクする自分がいたのに、

大雨と気圧の激流とで身体が動かず、
頭痛や重怠さがまあ酷かった。

全体性を取り戻すこと。
私には思考以外に、感情があり、
身体があり、感覚があること。

それらが外の世界と繋がっていて、
外の世界と自分との境界は曖昧であること。

私は、大いなる何かの一部であること。

それを自認して以降、具体的には
コーアクティブコーチングの旅を始めて以降、
ある一方では、とても生きにくくなった。

自分の身体に起こる辛さや、
人に言うのは憚られる感情が湧いてきても、
それに蓋をすることができない。

それがあることに気づいてしまったら、
それを感じてしまうし、
なかったことにはできないから、
感じ続けるしかない。

昔は、なかったことにしたり、蓋をしたり、
コントロールしようとしていた。
いやそもそも、その感覚や感情が在ることに
気づいてすらいなかった。

だから今は、とても苦しい。

全体性を取り戻すことは、
必ずしもバラ色の未来を保証しない。

むしろ、知らなかった方がよかったと思うことが、今後生きていくうえであるかもしれない。

それでも、今の自分の方が、
昔の自分よりも好きだ。

一日一日、一瞬一瞬、その時感じたこと、
起こることを受け取って、返しての繰り返し。

自分という存在を、
今を生きている感じがとてもする。

「機能」としての人間ではなく、
「生き物」としての人間を生きている。

「会社員」という機能、「女性」という機能、「市民」という機能、「娘」という機能。

もちろん今でも、それらを果たそうと
努めて頑張っている時もある。

それはそれで、未来を生きるうえでは
必要なことだけれども、
究極的には、今を生きるうえでは必要がない。

今を生きることには、なんの機能もいらない。

ただ一つ「今、私はどうしたい?」という、
問いに対する答えがあればいい。

そしてその答えが、
「何もしない」であってもいい。

やりたいことを、やりたいようにやる。
結局、人間はそれが一番幸せな瞬間だ。

その瞬間を感じるために、
役割を生きるという営みがあるなら、
それはそれで、受け入れられる時もあるが、
きっと、どこかで殻を破りたくなる時は来る。

今はただ、それがいつ来るんだろうと。
その時に無理やり自分を持っていこうとは
せずに、曖昧な時間を楽しもう。

それもきっと、人間らしい人生の過ごし方だ
と思う。