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【鬼滅の刃】OP考察②日本を飛び出した炭治郎🗺 狭霧山~最終選別に隠された激動の中国近代史③孫文を影で支え続けた日本人実業家・梅屋庄吉

実は孫文だった鱗滝さん
孫文なのですが、その最大の支援者である日本人実業家・梅屋庄吉もまた鱗滝左近次でした✋ビックリ

鱗滝左近次=孫文=梅屋庄吉

「君は兵をあげたまえ、我は財を挙げて支援する」
孫文を生涯支援し続けた梅屋庄吉。
彼は有名な日活映画の創業者でもあります🎬

「富や豊かさは財産や名声にあるのではなく、人の心にあるもの」
人の価値は魂にある。
孫文の支援だけでなく、同時に多くの社会貢献をした庄吉の信条です。

「年号が変わっている!!」260年余り続いた江戸幕府が終焉し、元号が「明治」に変わった日に生まれた梅屋庄吉🎂

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みんなが思い浮かべる手鬼の台詞といったら「アァアアア年号がァ!!年号が変わっている!!」が結構多いのではないでしょうか

「この年号が変わる」というキーワード、鱗滝左近次である梅屋庄吉がこの世に生を受けた日、つまり誕生日を指している暗号でした🎂

1868年11月26日。
260年続いた江戸幕府が大政奉還し、新元号「明治」が始まった日です
📅

庄吉は生まれて間もなく貿易業と精米業をしていた長崎ー上海間の草分け的な商人「梅屋商店」の梅屋吉五郎の養子になります。(長崎一等地の商家へ養子入り)

この梅屋商店には後に三菱財閥を築く岩崎彌太郎が借家に住んでおり、幼い庄吉を背負い遊んだこともあったそうです。

ここで鱗滝一門とは話が異なりますが、俊國無惨は大きな製薬会社の養子入りをしています。梅屋商店は製薬会社ではありませんが、俊國お坊ちゃんのおうちはとてつもないお金持ちの匂いがします💰
もしかすると、三菱財閥がモデルなのかもしれませんね👀🔍

錆兎・真菰・義勇他門下生は庄吉が育てた沢山の捨て子

ちびっこ水一門

困った人をとにかく放っておけない庄吉。
捨て子は勿論、なんと仲の良い友人の隠し子まで引き受けて育てていました✋💦

錆兎・真菰・義勇他鱗滝一門の門下生は皆、庄吉(鱗滝)と妻のトクが育てた孤児だったようです👀

「みんな鱗滝さんが大好き」
真菰のセリフを借りると庄吉(鱗滝)はお父さんみたいな存在だったのでしょうね🌊✨✨

お堂の鬼に殺された人を埋葬した鱗滝。香港と日本で無縁仏や貧しい人のお墓を建てた梅屋庄吉

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炭治郎が鱗滝と初めて出会ったのが「お堂の鬼」。
お堂の鬼をどうやって殺せばいいのか炭治郎がマゴマゴしている間に、鬼が食べ散らかした人々の亡骸を鱗滝さんが手早く埋葬しています。

鱗滝の「墓作り」という点、これは庄吉が香港で無縁仏になった日本人のお墓を建てたり、日本に帰郷後も貧しい人や無縁仏のお墓を作って供養した話が基になっているのではないかと思われます💡

「判断が~」のインパクトの強さにうっかり読み飛ばしてしまいそうな一コマですが、厳しくも優しい庄吉(鱗滝)の「人のために尽くす」精神を表わしているのだと思います✍✨✨

医者の要素:伝染病知識普及を訴える映画作り🎬

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宮崎県日向・高千穂の神社を昇格させるチャリティーイベントで一躍日本の映画界で有名になった庄吉。

社会貢献の一環で伝染病の知識を深める「バクテリアの研究」という映画を作成しました🦠

明治時代、日本人は綺麗好きと言いますが、現代と違って公衆衛生や個人の手洗いうがいなどの習慣が恐らくまだまだ根付いていない頃。
流行り病で命を落とす人も少なくありませんでした🦠
細菌への知識の普及は重要なものだったに違いないでしょう。

庄吉の医学とのかかわりは医者であった伝説の皇帝・黄帝医師をしていた孫文に比べ薄いのですが、ちゃんと医学とかかわりがありました🐏💡

鱗滝が生け捕りにした手鬼は庄吉が改心させた香港の賭博場のギャングたち✋👹

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藤襲山では生け捕りにされた鬼が最終選別用に閉じ込められています。
この鬼たち…特に鱗滝に恨みを持っている手鬼は梅屋庄吉が香港の賭博場で悪さをしていたのを庄吉が懲らしめ家に連れ帰ったギャングたちでした
🎰

現地の警察でも手を焼く、博打で客の身ぐるみを剥ぐ結構ヤバめなギャングたち…(まさに鬼…)。
庄吉はこの犯罪者たちを全員連れ帰り、奥さんのトクに面倒を見ると言いました。トクさんは文句も言わず引き受け、ギャングたちを立派に真人間にしたそうです。すごすぎる🐑💦

こういった話を見ると、鱗滝一門の亡くなってしまった教え子の中には、鱗滝さんのお陰で改心した非行少年少女も混ざっていたのかもしれませんね📝

アメリカ人の中国人への扱いが惨い!東洋人は人ではないのか?孫文とバディになるきっかけ🚢

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長崎には孔子廟があるほど華僑が沢山います🏮
港町でもあるため、庄吉が子供のころから良き隣人であり親しみのあった中国人。

列強に対抗するため庄吉はアメリカへ留学を決意しアメリカへ向かう船の中、その中国人が惨い扱いを受ける衝撃的な出来事がありました🚢

出稼ぎ労働者として乗船していた中国人3人がコレラを発症、感染を恐れたアメリカ人船長はまだ息がある彼らを袋に詰め海に投げ捨ててしまいました😨😨😨

「アジア人を人間とは考えていない。はらわたが煮えくり返る思いだった。」

庄吉が乗船していたアメリカ行きの船は途中、火災が起きたことで庄吉はアメリカ留学をせずに長崎で仕事をし、後に孫文との運命的な出会いのある香港へ渡ります。

梅屋庄吉の曾孫は日比谷松本楼 社長 小坂文乃さん🍛🍽炭治郎の文通と関係している?

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ワイドショーや食レポ番組でもたびたび目にする日比谷松本楼🍛
老若男女、ビジネスマンなどが集う秘伝のカレーがとっても美味しいお店です😊💕学生時代あのあたりをうろついていたときに、私も何度かお世話になりました_(._.)_

こちらの日比谷松本楼の代表取締役社長小坂乃さん。
なんと梅屋庄吉の曾孫なのです‼
鱗滝さんの曾孫さんと思うと、鬼滅マニアとしては非常に胸アツです…‼


炭治郎が鱗滝さんと通をしていますよね✉🦅
もしかして、乃さんのことを指しているのかも❓

小坂さんは孫文と梅屋庄吉についての書籍も書かれています。
もしご興味がある方は是非読まれてみては📚✨✨

獪岳が悲鳴嶼のいるお寺からお金を持ち出したエピソードは冒険家庄吉少年由来か❓

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庄吉は子どもの頃からバイタリティーあふれる冒険家でした。
庄吉少年は優秀だったので飛び級で10歳で小学校を卒業。
「金300円(現在だと約200万円相当)」を家から黙って持ち出し、小学校の修学旅行のつもりで京都を目指しました。

大阪・京都へ足を延ばし、遊郭まで行ってしまったそう。
(もちろん摘まみだされ、塩をまかれた)

10歳ですよ、10歳…。
ちょっと10歳のすることじゃないですよ(親目線)😨

この話でふと思い出したのが善逸の兄弟子・獪岳。
お寺のお金持ち出した話がなんかちょっと似てません…
🤔❓
京都ってお寺多いですし…🌸

もし、もしこのエピソードが裕福な庄吉の陰陽反転で貧しい獪岳少年だとすると、獪岳(10歳?)がお寺から持ち出したお金の金額は結構な額だったのではないかと思われます⚡(もちろんお寺にあるなかで、の話ですが。)

おわりに:梅屋庄吉「日中親善こそが東洋平和に繋がる」🕊🌎

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庄吉の曾孫である小坂さんもインタビューで指摘しているように、現在のアジア情勢は列強が世界各地に植民地を作り割譲していた時代とは状況が全く異なります。

政治的なイデオロギーも異なりますし、日中が敵国同士になった戦争の歴史も経験しました。

しかし、幸いにも現在インターネットの普及、そしてSNSの発達により個人と個人が国を越えて結ばれる時代になりました

グローバルに展開するコンテンツ…例えば娯楽だったら漫画やアイドルなどを通じ、個人同士もインターネットさえあればサイバー空間を通じ国境を簡単に超えて交流もできます💻📶

確かにイデオロギーやナショナリズムは一筋縄ではいかない問題ではあります。しかし、インターネットの普及によってさまざまな側面から、特に個人同士のネットワークによって相互理解が前進する希望はあるのではないでしょうか🌎

実際にこの「鬼滅の刃」という作品を通じて、交流されている中国・台湾・韓国・タイ・その他アジアの方々をTwitterでお見かけしております🕊

「友情は国境を越える」という言葉そのものである孫文と梅屋庄吉。
吾峠先生が鬼滅の刃という作品の中で、アジアの平和を心から祈っているのが伝わってきました。

中国考察をしつつ、吾峠先生に思いを馳せながらそんなことを考えてた羊でした…🐏📚

次回は中国・番外編で鱗滝一門の声優さんアナグラム(暗号)解読です🎤
声優さんご自身は選ばれた理由が暗号になっているのはご存知なのでしょうか…😶❓

参考記事:「孫文を支えた梅屋庄吉」、長崎Webマガジン「ナガシン!」
     「盟友・孫文と梅屋庄吉のゆかりの地、長崎」、
      長崎Webマガジン「ナガシン!」

     「梅屋庄吉と孫文の盟約ー松本楼副社長 小坂文乃さんに聞く

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