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【鬼滅の刃】OP考察②日本を飛び出した炭治郎🗺 狭霧山~最終選別に隠された激動の中国近代史①革命の父・孫文と列強から祖国独立を目指す政治的アクター

こんにちは、名も無き羊飼いですᏊ˙ꈊ˙Ꮚ
前回のテーマは狭霧山~最終選別に隠された中国神話でした。
その下に更に隠されていたのが中国近代史です。

先日最強ジャンプを購入したのですが、漫画のテーマが「こっそり注文したピザを炭治郎たちと梅・妓夫太郎が奪い合う」お話でした🍕

中国近代史で有名な風刺画に、列強がCHINAと書かれた大きなパイを前にどこを自分の勢力下に置くか会議(?)している様子のものがあります。

この風刺画はピザではなくパイですが、これはもしかして今回の中国近代史のテーマと同じなのかな…❓
と、少しだけ思っています🐏💡

では早速ですが、本文に移りたいと思います💨

⚠️尚、全て私の一個人の解釈です。
読まれる前に出版社様、並びに作者様の意図とは異なる可能性があることを予めご承知願います。

「太陽(sun)の名を持つ男」中国革命の父・孫文。鱗滝一門は欧州列強に対抗するアジアの姿。

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狭霧山~最終選別でのテーマ二つ目が中国近代史。
中国独立に貢献し「革命の父」とされているのが孫文です。
この孫文こそ、鱗滝左近次の盤古の仮面の下に隠された素顔でした。

最初に何故鱗滝左近次が孫文であるのか、長々と文章にするとわかりづらいので端的にキーワードを拾っていこうと思います。

鱗滝左近次は鼻が利きます。
孫文の生まれ故郷は清国広州省「香」山県翠亨村。
そして日本人の妻・大月薫(薫=匂い)
思春期に過ごしたハワイのホノルル花瑠瑠(花=匂い)
医学を勉強していた場所である「香」港

そして革命家になる前はマカオで医者をしていました。
(中国神話編で鱗滝は医者でもある神話伝説の帝王・黄帝でした)

孫文は中国本土では抗日運動をしながらも、日本滞在時には日本人妻がいたり、留学経験、軍事顧問に日本人軍人を抜擢するなど実はとても日本と縁があります。

狭霧山で炭治郎(=日本)に仕掛けた数々の罠は抗日を含めた対列強戦線を、そして陰陽反転で炭治郎(=孫文)を育てたのは鱗滝(=日本)です。


ヒノカミ血風譚で鱗滝の持ち技に水の呼吸以外に「罠」があるそうですが、彼にとって「罠」は外せない要素であるので組み込まれたのだと思います。


真菰の名前も響きが「孫(まご)」にちょっと似ていますね💡
MAKOMO(まこも)
MAGO(まご=孫)


炭治郎が鱗滝さんからもらった厄除の面には太陽のモチーフが描かれています。この太陽は「日本」、そして「孫文」を表わしています。
孫文は中国国民党初代主席。中国国民党のシンボルマークは藍色の背景に白い太陽です。そして孫文は欧米では「孫逸仙(Sun Yat-sen)」という別名が有名であり、なんと「太陽(Sun)」が名前に入っています☀


また、次で詳しく説明しますが、教え子の冨岡義勇・錆兎は中国共産党・中国国民党を表わしています。この二つの政党は政治的イデオロギーを異にしていますが国内の軍閥対策や抗日戦線で二度の国共合作をしています。

そして、この二つの政党で共に「革命の父」として尊敬されているのが孫文です☀


祖国のために激動の時代を駆け抜けた革命家たち。義勇は共産党、そして錆兎は国民党を象徴。

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鱗滝左近次は孫文で個人として存在していますが、対して義勇と錆兎は政治的アクターとしてのキャラクター分けをしているようです📝

冨岡義勇は共産党政府です。

現在の中華人民共和国の国歌は「義勇軍行進曲」と言い、抗日戦争がテーマ。雪山の描写が多いのは共産党の「長征」で、国民党との戦いで5000m級の大雪山脈を多くの犠牲を出しながら大移動したものだと思われます。

「小さい頃親戚に預けられたが鬼について話したら精神病を疑われ、逃げ出し雪山で倒れていたところを鱗滝さんに助けられた。」
このエピソードも雪山です❄

そして義勇が他の柱と距離をとっていたのは恐らく、冷戦下に南北陣営の緊張感を比喩表現した「鉄のカーテン」。この中国版が「竹のカーテン」。義勇が他の柱に壁を作っていたのは「竹のカーテン」の暗喩なのだと思います。(義勇の屋敷は「千年竹林」という場所であり、とりわけ孤立していることが強調された柱修行編で判明している。)

さかのぼりますが、炭治郎が最初に義勇と遭遇した時に彼に投げたのは斧。
中国共産党の党旗は鎌と槌(ハンマー)。
このハンマーの形に鎌の刃がついたものを想像すると斧になります。

冨岡義勇は特定の「誰か」を示すというより、「政党」が前面に押し出されているイメージです。

そして錆兎は国民党政府です。どちらかと言えば政党色よりも「台湾」や「蔣介石」が強い印象がありました。

錆兎の登場シーンと瓜二つの「伏羲座像」が台湾の故宮博物院に保管されている点、そして「男ならば…!」という発言、真菰に対する亭主関白風な振る舞いは、日本が統治時代に持ち込んだ気風の「多桑(父さん)世代」なのかなと思います。日本で言うところの所謂「昭和」のお父さん。
「父親の発言権が絶対」の家父長制と言われるものです。

そして「錆兎さびと」という名前です。
国民党の蔣介石夫人の名前が「宋美齢そうびれい」と言います。

SABITO(さびと)
SOUBIREI(そうびれい)

響きが似ていますし、「S.B.I.O」が被っています。

錆兎が炭治郎に稽古をつけていたのは、日本人戦争経験者の間に伝わる「蔣介石神話」なのでしょうか…。うちの祖母もこの話をしていたことがありましたが、史実と広く語られている神話に齟齬があるようなので、ちょっと自信がありません💧

国民党の孫文・蔣介石共に日本留学経験があるので、もしかすると炭治郎(日本)の陰陽反転で錆兎(=日本)、炭治郎(=国民党)なのかもしれません。

そして錆兎の死は、国際連合創立当初から議席を持っていた中華民国(国民党政府)が、1971年アルバニア決議により国際連合から追放されたことを意味しているのだと思います。

炭治郎のポジションは主に日本の役が多いです。しかし、禰豆子を救うため義勇(=陰陽反転で日本)に丸腰で挑んだふりをするなど、抗日戦線でゲリラ戦を繰り広げた中国の便衣兵も兼ねているようなので「炭治郎=日本」が固定というわけではないようです。

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真菰は政治的アクターではなく、孫文が結婚した日本人妻・大月薫と財政面から孫文の革命をバックアップした日本人資産家・梅屋庄吉だと思われます。

鱗滝左近次は鼻が利く(薫かおる)、そして藤襲山では月が出ていました。
真菰の服は梅の花のような模様をしています。

私は中国近代史でのメインテーマはこの孫文と大月薫、そして梅屋庄吉であると踏んでおります👀💡

「炭治郎は誰よりも硬く大きな岩を切った男」。孫文に影響を与えた、有色人種でありながら白人列強支配に風穴を開けた日本🪨

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革命活動のため世界中を飛び回っていた孫文。
アフリカ大陸とアラビア半島を結ぶスエズ運河を通った際、現地のエジプト人たちが喜びながら「お前は日本人か?」と聞いてきたそうです。

理由は孫文が日本人に見えたから。
日露戦争で日本が勝利したことが世界中の有色人種の意識向上になっているのだと、この経験で実感を持った孫文。孫文の中で極東アジアにおける日本の存在が彼の中で大きなものとなりました。

錆兎と真菰が炭治郎が手鬼に襲われピンチの時に「あいつの頸は硬い」、「炭治郎は誰よりも硬く大きな岩を切った男」と言っています。

これは孫文に影響を与えた、有色人種でありながら強固な白人列強支配(誰よりも硬く大きな岩)に風穴を開けた日本を炭治郎で表現したものなのだと思います。

神戸で行われた孫文の大アジア主義講演。日本への問いかけに「兎(錆兎)」が隠されている🐇?

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1924年11月、孫文が神戸で行った「大アジア主義演説」。

この有名な演説で日本に対して「西洋覇道の走狗となるのか、東洋王道の守護者となるのか」と問いかけ、欧米の帝国主義に対抗し東洋の王道・平和の思想を説き、日中の友好を訴えました。

この「西洋覇道の走狗」の【走狗】というワードは、「史記 越王勾践世家」の「蜚鳥尽良弓蔵、狡兎死走狗烹」から来ているのだと思います。

意味は「飛ぶ鳥がいなくなると良い弓が不用となってしまわれるように、用がなくなれば捨てられる。」、「兎が死ねば猟犬は不用となって煮て食われるように、敵国が滅びた後には、軍事につくした功臣も邪魔者とされて殺される。」

日露戦争などをみると、日本は真っ向実力勝負でロシアに勝利したというよりも、ロシアを叩きたかった欧州列強に下駄をはかせてもらって勝利した節があるそうです。

つまり、こういった話の上で、孫文がこの節で言いたかったことをザックリ説明すると、「日本も用済みになったら欧州列強に食べられてしまうだろう。だから日中で手を取り欧州に対抗しよう。」
こういったことが言いたかったのではないかと推察されます。


この演説には鱗滝一門に大事なワード、「錆兎」の「兎」が隠されていました🐇 外伝で冨岡義勇が犬のタロに手をかまれるシーンがあったので、「狗」が義勇さんなのでしょう💡

「濡れ手に粟」手鬼は列強✋次々と中国大陸を分割し租借地としてアジアに拠点を築く✂🌏

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弱肉強食の近代史。
欧州列強は世界中に植民地支配を広げ、ライバル国に対抗すべく国力を増強させていきます。


列強は中国大陸に次々と租借地という名の拠点を作っていきます。

鬼は中国大陸を侵食する列強にあたります。
最強ジャンプのピザの話も堕姫である梅と妓夫太郎がピザ(=中国大陸?)を横取り(=割譲?)しようとする話でした
🍕

特に手鬼は「濡れ手に粟」で租借地を獲得していった列強。
日本もこの列強の一つです。

手鬼に食べられてしまった鱗滝左近次の子どもたちは列強によって虐げられ命を落としたた現地の人々や、列強に対抗、又は革命のさなか激しい権力抗争によって志半ばで散ってしまった孫文の戦友なのだと思います。

そして、炭治郎が手鬼を刎ねる際、手鬼が思い出した鱗滝左近次の姿は「革命尚未成功、同志仍須努力 (革命なお未だ成功せず、同志よって須く努力すべし)」と遺言を残し次の世代(=炭治郎)へ独立の夢を託した孫文の姿だったのだと思います。

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」生きるも死ぬも列強次第。祖国独立の悲願。

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鬼滅の刃と言えば「生殺与奪の権」。
物語の冒頭、何故か殆ど喋らない冨岡義勇が打ちのめされている炭治郎に凄まじい形相で長々と説教(?)をします。
こんなに一気に喋るのはこのシーンだけでは…😶?

そして、何故今そんなことを?
初めて読んだ時、違和感を覚えたのを記憶しています。

義勇が何故か「怒れ」と炭治郎に心の中で語り掛ける。
なんで?まだ育てると決めていない段階なのに…。

これらの表現は「義勇」の名前の付く「義勇軍行進曲」の内容の通り、列強からの祖国独立を目指す自国民を鼓舞するための言葉であり、キーワードだったようです。
(抗日の歌だそうですが、下記のセリフを見ると多分ここでは列強全体に対抗するイメージな気がします。)

「弱者には何の権利も選択肢もない」
「悉く力で強者にねじ伏せられるのみ!!」

まとめますと…
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」

この言葉とシーンを要約するならば、
「自国の命運を他国に委ねるな」
「列強に対する中国人として、亜細亜人としての誇り」
「孫文と梅屋庄吉が夢に描いた、中国が中国人自らの手によって独立する未来の渇望」

こういった概念が含まれているのではないかと思われます。


ちなみにこの「生殺与奪の権~」は中国とは全く別の世界線で、煉獄杏寿郎と槇寿郎が深く関わっている言葉です💡 関係の無いと思われていた九尾の狐=義勇=煉獄が結ばれるよう、しっかり線で繋げてありました📝

終わりに:原画展パンフレット鱗滝さんの特徴🎨

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いかがでしたでしょうか💡
この中国近代史は中国神話の暗号を解かないと、なかなか全体像がつかめない難解な作りになっているのかな?と思いました。

勘のいい人は義勇の名前と雪山などからサックリ切り込めるのかもしれませんが…私には無理でした。

ちょっとした気付きとしては、大アジア主義講演が行われた神戸は「天岩戸あまのいわと」がかかっているのかな❓
あと、錆兎が炭治郎に稽古をつけた理由は、「洪水」から東日本大震災で台湾から日本に送られた義援金が一番多かったお礼とかですかね❓

またアジアからは離れますが、錆兎はウサギでラビット🐇
ヘブライ語で「ラビ」は《わが師の意》で、ユダヤ人が宗教的指導者に対して用いる敬称だそうです。だから炭治郎の先生したのかな👀

真意は吾峠先生のみぞ知るというわけですが、とりあえず色々な意味が重なっていそうです🐰🐰🐰🐰🐰🐰

話は変わりますが‼
鱗滝さんの素顔が掲載されていると聞き、早速原画展のパンフレットを友人にお願いして入手しました

(私自身は諸事情により行けず…泣)

素顔の鱗滝さんはベビーフェイスで愛らしく孫文…?とは言い難いものの、孫文のような特徴的な「垂れ目」、髷は孫文が嫌だった「辮髪」?、そして「鬼になめられまくった若い頃」という説明がありました。

「鬼になめられまくった若い頃」
=列強になめられまくった孫文が若かりし日の中国


なのかなぁ…と💡

また孫文は孫中山という別の名前も持っています。
まるで山の中に住んでいる鱗滝さんを表わしているようですね⛰

あと、あまりイメージがありませんが、実は孫文もハワイで洗礼を受けたクリスチャンだったりします✝

ではでは、次回はメインテーマ「真菰は日中友好の象徴🕊孫文と日本の深い関係」です📚✨✨

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