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【鬼滅の刃】OP考察②日本を飛び出した炭治郎🗺 狭霧山~最終選別に隠された激動の中国近代史②孫文(鱗滝)の日本人妻は真菰⁉

明けましておめでとうございます🎍🗻🌅
今週になってやっと眩しかった遊郭編のopedが見れるようになった羊です🐏📺💦

以前タイトルと歌い出しのみで歌詞考察もしましたが、まだ神々しくて実際に映像がしっかり直視できないので、冷静に見れるようになったら歌詞と映像含めて考察もやっていきたいなーと思ってます🎶

本当に美的センスの塊ってこう言うことを言うのか…(ノД`)・゜・。✨✨

先に一点だけ気になったので書いておくと、エンディングの最後で出てくる羽衣は、(別の意味もおそらく隠されていると思いますが)吾峠先生の短編集で「肋骨さん」と言う読み切りに出てくるアバラさんの武器の羽衣だと思います💡

この肋骨さん(アバラ)と言うキャラクターは童磨にそっくりな外見を持ち、感情がわからないヒーローです。
自分の感情がわからない代わりに、他の人が辺りに残していった気持ち(念?)が見える不思議な人で、見た目がカナエで中身がしのぶちゃんに狂気を足したような敵キャラと戦います
✋💧

これは鬼滅の刃本編のなかでは陰陽反転で真逆のポジションですね🔍👀

遊郭編では最後に童磨が出てきます。

どうやらこの羽衣は重要や何かを示すキーワードになっているようです💡

ひとまず遊郭編はこの辺で終わりにして、孫文と日本人妻に移っていきたいと思います😊🎶

真菰は鱗滝左近次の奥さん⁈真菰にそっくりな孫文の日本人妻 大月薫🦊

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えっと、だいぶ時間が空いたので前回までのおさらいをしようと思います👀

【狭霧山~最終選別に隠されたテーマは「中国」
中国の人類の始祖(伏犠女媧)
・中国天地開闢の神、伝説の皇帝
中国近代史
(孫文・共産党・国民党)

これらのテーマが隠されていました🔍

今回展開していくのは、【孫文の日本人妻・大月薫】です。

孫文には中国大陸に宋慶齢というご夫人がいるのですが、生涯の3分の1を日本で過ごしていたこともあり、宋夫人と結婚する前日本にも妻がいました🗾

この日本人妻の大月薫さんという方。
とても美しいのですが、非常に真菰に似ています。
切長の大きな瞳、端正な顔立ち。
正に美少女という言葉がぴったり…✨✨

⇩こちらで大月薫さんのお写真が見ることができます👀🔍
教科書に載っていない歴史がここに! 革命家「孫文」の知られざる横浜中華街での結婚生活とは?

私はこの大月薫さんこそ、真菰のキャラクターデザインのモデルになった方なのではないかと思っております
📝❕

また孫文はこの大月さんと出会う前に浅田春さんという方も愛人としてよく同伴していたそうです。

ちょっと複雑な気持ち…(;´・ω・)💧
ですが、孫文は後に偉業を成し遂げる男性であり、きっと多くの女性を魅了するような魅力的な男性だったのでしょう。

因幡の白兎=浜の神話…横浜「雲井町大火」後に出会った孫文と大月薫🚢

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因幡の白兎は砂浜で白兎が悪巧みをして大怪我をし、真菰に似たガマの穂の上で傷を癒すお話です🐇🌊

この話のロケーションである「浜」が、なんと出雲ではなく「横浜」を指し示していました👀

孫文は1899(明治32)年に華僑が沢山住んでいる山下町に住み、横浜での支援者・温炳臣(おんぺいしん)と同じ場所に住んでいたそうです。

時を同じく1899(明治32)年8月、横浜市内を火の海にした「雲井町大火」と呼ばれる、横浜開港以来の大惨事が起きます🔥

横浜高等女学校に通っていた大月さん。
火災発生時、大月一家は早くに避難したため無事でしたが自宅は全焼。
父親の知人だった温炳臣の家に間借りすることになったそうです🏡

このような経緯で同じ家の1階に孫文、2階に大月薫一家が住むことになったそうです。

いやいや、本当にご縁というか。
人生何があるかわかりませんね…(*_*)

手鬼「お前で14人目だ」"14"という数字は孫文が一目惚れした時の大月薫の年齢🤔❓

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孫文が一目惚れなのかは分かりませんが、大月さんに片想いしたのが大月さんが12〜13才くらいの頃だったそうで、ずっと結婚できる歳になるまで大月さんの様子を見ていたそうです👁👁✨

手鬼が炭治郎に「お前で14人目だ」というシーンがあります。

これは、
・炭治郎の前が真菰と仮定すると真菰は13人目?
(大月薫が12~13歳頃に孫文の想い人になった)

いずれにせよ、一切のロマンスを感じられない戦闘シーンですが(笑)大月薫が孫文の想い人になったくらいの年齢を示す記号なのだと思います💡

炭治郎の「隙の糸」🧵大月薫と孫文の娘・宮川冨美子は元紡績女工

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延々と中国考察をしているので忘れてしまいそうになりますが、鬼滅のシルクロード考察をしているので、「隙の糸」といえば養蚕業❓
と思いますが、ここでは孫文の娘である宮川冨美子さんの紡績女工であったことが由来するようです🧵


そして孫文の娘の宮川冨美子さんの名前が、「冨岡義勇」の「冨」の字が「富」ではない理由になっているのかと👀🌊

ちなみに「隙の糸」は シルクロードと関係した、同じく「糸」で関係する那田蜘蛛山で役割を終えます🕷
( 那田蜘蛛山の舞台はルーマニアの森林ですが、同時にローマでもあるので、「シルクロードの終点」という意味も兼ねて役割を終えているのだと思います。)

宮川冨美子が頼った孫文研究者の久保田文「次」日本女子大学名誉教授

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孫文が中国へ帰還し、娘である宮川冨美子さんを一人で産んだ大月さん。
父親である孫文はいつ帰るかわからない。

そんななか太平洋戦争が勃発し、日中は敵対国に。
育てられないと悟ったのか、大月さんは冨美子さんを里子に出します。
冨美子さんは横浜市内の魚行商人である宮川吉さんの養女になります。
「梅」は真菰の服の模様ですね👀)
紡績女工を経て酒業に従事する男性をお婿さんに。

時代背景から察するに、大月さんも宮川さんも大変な苦労をされたことが窺えます(><。)

里子に出された宮川さんは母親が誰なのか。
自分が孤児なのか、出自を知るために独自に調査を始めました。
(伏羲・女媧・九尾の狐も孤児です💡)

調べていくうちに、自分の父親がどうも孫文かもしれない…。
そこで頼ったのが孫文の研究者・久保田文(くぼた・ぶんじ)日本女子大学名誉教授。

久保田教授はちょうど外交史料館で孫文に関する膨大な史料を手に入れたばかりで、快諾したそうです。
そして冨川さんは外見が孫文そっくりだったそうです…✋ビックリ💦

江戸時代慶應の頃…孫文の曾孫・宮川祥子氏が慶應義塾大学看護学部に在籍

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手鬼が鱗滝に生捕にされた時期が「江戸時代慶應の頃」とあります。

この「慶應」という時代がヒントでした🖋✨✨

祖母に孫文の娘である宮川冨美子さんを祖母に持つ宮川祥子氏が慶應義塾大学看護学部の准教授として在籍されています🏥

【👇慶応義塾研究者データベース】
https://k-ris.keio.ac.jp/html/100012740_ja.html

曾祖母である大月さんに似ていてとても美しく、正に才色兼備…。
ヘルスケア情報学について研究されているそうです📝

おわりに:個人的な話ですがちょっと不思議体験をしました🏥

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実は私の家族のかかりつけ病院が慶応義塾看護学部併設の病院でした。
その精密検査の付き添い中に大月薫さんの記事にたどり着きました💡

ただでさえ嫌な精密検査の待ち時間。
午前中に孫文に気付きたてだったので、頭を孫文でいっぱいにしながらネットサーフィンしまくっていたらなんとびっくり…🏄
今まさに同じ敷地内に孫文の血縁である宮川准教授がいるのかも✋💦

身内は精密検査時に緊張しすぎて発熱😓
今はやりの病気の検査までしていたため終了予定時刻をオーバーし、こちらもかなり肝を冷やしましたがお陰様で検査結果は異状なしでした🙌✨✨

そんなこんなで孫文考察は何だかご縁を感じる不思議な体験…‼
とても印象深かったです☺

次回は孫文を生涯支え続けた日本人実業家・梅屋庄吉です🎶

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