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言語化するのは難しい 雑記9

 過去8回にわたって書いた雑記は主に私が好きなものや興味のあるものを紹介する形で書いてきたのだが、書いている途中で手が止まってしまうことも多く、自分が好きなものでさえ言語化することが難しいと感じて、いかに自分が普段適当に何かを好きになっているかが浮き彫りになってしまった。

 人にはなにかしら好きな人だったりものだったりコンテンツだったりがあると思うのだが、自分はなぜそれが好きなのか考えたことはあるだろうか? 私はあまりなかった。こうしてnoteを書くことで私が伝えたい内容を言語化することに意識を向ける機会が多くなったのだが、それを行う際に大事な点がいくつか見えてきた気がする。

1.コンテンツに長時間触れる

 コンテンツに触れた時間の多さはそれだけコンテンツの内情を知ることになる。触れれば触れるだけ良いところも悪いところも見えてきて、結果語る内容も充実していくというものである。

2.インプットを多くして傾向を把握する

 好きなコンテンツが一つだけの場合と、多数ある場合を考える。推してる物がたくさんあればあるほど、自分の好みの傾向も固定化されていくはずである。そうなれば自分の好きなものを列挙していくだけで、自身は何が好きなのかという傾向が見えてきやすい。その傾向を言語化すれば、記事一つぶん書けるだけの内容は取り出せるであろう。

3.語彙力を増やす

 いささか個人的な意見だが、物を評する力は己の語彙力に比例すると考えている。語彙力が高いということは、それだけ言葉とその意味を知っているということになる。つまり語彙力が高ければそれだけ物を表現する幅が広がるので、自分の想いを言語化しやすくなるはずである。

4.頭が冴えてる状況で書く

 いくらインプットが多くても、いくら語彙力が高くても、それを引き出すだけの脳のキャパシティが存在していなければ無駄である。頭が冴えている時ほどパフォーマンスを最大限に発揮できるし、そういうふうに自分の思考力を最大限に発揮できるタイミングで書くのが言語化における大事な点だと思う。なおこのnoteを書いているとき、私は既に缶チューハイの二本目を開けているのであるが、びっくりするほど脳みそが働かないし捗らない。こんな状況でなぜか必死こいて文章をこさえている。こんなんで言語化云々を語っているのが滑稽だ。

5.慣れ

 身もふたもないが、書いていけば書いていくほど自分の書き癖が固定化されてきて、自分が何を書けばいいのかという展望も見えてきやすくなるだろう。私の場合、noteの他のユーザーがそうしているような見出しなどをあまり使わず、シンプルに「はじめに→本文→まとめ」といった三段構成で書くことが多い。あまり凝ったことが得意ではないので、これが一番自分に合っている気がする。

 物を言語化していくためのコツ、なんとなく頭に残っていたものをこうして書き出してみてすっきりした。私が記事を書く際にスムーズに言語化していくためにも、前述したこれらの項目を意識して書いていこうと思う。これらの雑記は基本的に殴り書きではあるが、書いていくたびに書きやすくなるコツみたいなものをつかんでいっている気がする。この調子で文章を書くことに慣れていきたいものである。

おしまい

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