石黒好美の「3冊で読む名古屋」 ⑤ 貧困をどう書くか
(※ 本記事は2023年9月30日のニュースレター配信記事のnote版です)
【今回の3冊】
・『偏見から共生へ 名古屋発・ホームレス問題を考える』(藤井克彦・田巻松雄、風媒社)
・『ルポ川崎』(磯部涼、新潮社)
・『ここはとても速い川』(井戸川射子、講談社)
会社員時代に「ホームレス」と呼ばれる人たちと関わるボランティアを始めた。その後、福祉関係の職を転々とし、ついにライターとして独立した時にも「私は貧困問題を書くんだわ」と当然のように思っていた。
バブル後からずるずると衰退し続けている日本では、貧困問題がメディアに取り上げられることが増えてきた。けれど、その報じられ方はあまりにもステレオタイプだ。
給料は上がらないのに物価はうなぎ上り、貧困生活は対岸の火事ではありませんと不安を煽るもの。
家が貧しくて三食食べられない、進学もできない、かわいそうな人たち(子どもが多い)がいますと悲痛な声を上げるもの。
そして、貧しくても、こんなに頑張って生きています、○○大学に合格しました、夢を叶えました、と美談に仕立てるタイプ。(この美談タイプは希望があるようで「頑張ればなんとかなる、貧乏なのはお前が頑張らないせい」と責任を個人に押しつける論に転換されやすい一面もある)
貧困問題がトピックになることが増えても、貧困は良くない、怖い、忌避すべきもの、というイメージが強化されるばかりなのである。それは事実でもあるので悪いことばかりではないのだろうが、「だから給料を上げろ」「減税しろ」「社会保障を手厚く」という紋切り型の解決策と「企業にも国にも金はないから無理なのだ」という思考停止型のあきらめがもたらされるばかりでもあるのだ。
結果として「自分だけは何とか貧しくならないように」とサバイバルする人ばかりが増える。貧困問題は「かわいそうだけど、自分には何もできないし」と、「政治」や「心の美しいボランティア団体の人たちとか」が解決してくれるだろう、と思われたままなのではないだろうか。もっと多くの人に、貧困とそれにまつわる不公正についてリアリティを持ってもらえるような記事を書きたい。「美しい人」でも「かわいそうな人」でも「怠けている人」でもない人として、貧困の状態にある人のことを書けないだろうか。
と、意気込んでライターを始めてからはや7年、かく言う自分もその方法をつかめないばかりか、目の前の仕事に追われるばかりで貧困やホームレス状態にまつわる文章自体に取り組めないでいる。他ならぬ私自身が貧困から目を逸らしてどうする、ということで、今回は初心に帰って、貧困問題を「どのように書くか」を考えてみたいと思う。
偏見を他人ごとにしない-『偏見から共生へ』
まず手に取ったのは、藤井克彦・田巻松雄『偏見から共生へ』(風媒社)だ。1970年代から2002年までの名古屋の野宿者支援の活動をふりかえりつつ、時代ごとの世間の野宿者に対する見方や、生活に困窮する人々に関わる制度の変遷、行政の対応なども絡めて書かれたクラシックである。
この時代の野宿者や日雇い労働者に対する偏見は凄まじく、飯場と呼ばれる職場が用意した寮(個室はなく大部屋だったりする)のような場所で生活ごと管理・監視されつつ、建設現場などで劣悪な条件でこき使われ、工事が終われば放り出される。仕事にあぶれて役所に行けば、窓口で「ホームレスはダメ」と言われ生活保護も受けられないという状況だった。(※「住居がないから」という理由で生活保護が利用できない、という法律はこの時代から今に至るまでありません)
ボランティアと野宿者、日雇い労働者たちが力を合わせて企業や名古屋市に抗議し、少しずつ、けれど確実に状況を変えていった様子が豊富なデータと緻密な活動の記録とともに記述されている。特に日本の生活保護行政のあり方をダイナミックに変えた「林訴訟」について書かれた章は圧巻である。
不公正に対して厳しく異議を申し立てる毅然とした姿勢は、企業や行政にだけ向けられているのではない。支援活動に関わるボランティア、そして著者自身が持つ偏見や矛盾、傲慢さに対しても厳しい問いかけがなされる。「哀れみ」や「同情」で人と向き合っていないか。「支援される人」から「立ち上がる力」を奪っていないか。「良いことをしている自分」「社会問題に取り組んでいる自分」に酔っていないか。『偏見から共生へ』に最も胸を打たれるのはここだ。支援に携わっている自分の中にもある偏見、矛盾、後ろめたさを認め、蓋をしない。むしろその矛盾こそ、野宿者とともに闘う仲間となり、野宿者に対する差別的なまなざしを隠さない、多くの市井の人たちとも話し合い、つながり合う回路を開く契機になると教えてくれるのだった。
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