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「共感覚」をご存じだろうか。
共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、英: synesthesia, 羅: synæsthesia)は、ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく 異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象をいう。
例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに、色や形を感じたりする。複数の共感覚を持つ人もいれば、1種類しか持たない人もいる。共感覚には多様なタイプがあり、これまでに150種類以上の共感覚が確認されている。(Wikipediaより)
この知覚症状を知った私が「あの時のあれって、共感覚?」と一瞬思ったエピソードをひとつシェアさせていただきたい。
小学6年の時、理科の授業にて。
私は先生に指名されて、「酸素は何色か」と聞かれた。
正解は「透明」だった。
教科書に書いてあるし、‘‘普通‘‘は透明以外の答えをしたら大喜利かと思われるだろう。
当時小6の中でもませていた方だったので、授業での発言で外すことはほとんどなかった私だが、その時はなぜか「赤」と答えた。
なぜか。
自分なりの真面目な理屈はあった。
先生がいつも、酸素を「赤」のチョークで、二酸化炭素を「青」のチョークで板書していたからだ。
私の中で酸素に対するイメージが完全に赤になっていたのだ。
おかしいだろうか?
私は先生に赤で酸素と書いてほしかったのだ。
この質問は、先生の選ぶチョークを私が選んであげるためなのだと心から疑いなく思っていた。
私が酸素は赤以外に考えられなくなっていた状態で、級友たちはいっせいに笑った。
「あか~?ww」「行方ちゃんどうしたんw」「以外にボケるタイプ?笑」
彼らに先生に、上記の理屈を説明しようと思ったが、言葉にできなかった。
また教科書に書いてあるほうの答えかよ…
教科書に記載のない、自分の頭に浮かんだ発想はだいたい否定されていた。
教科書をチラ見して正解を言えばいいのだけれど、時々自分の感覚しか信じられなくなる時があった。
答えが透明だと知って、拍子抜けしたのを覚えている。
そんな単純な答えを先生はなぜ聞いてきたのか、おいおい酸素って本当に透明か?
教科書の答えを疑い、周りの常識の空気を抜け出そうとする思考の始まりはあの瞬間からだったかもしれない。
、、こう書いてみて、私のは共感覚ではなく、根からのアホが露呈かつ認識のズレだったかもと気づきました。共感覚に共鳴してしまい、すみません。
結局今になって、酸素は何色かと調べてみたのですが、状態によって色が変化する?のか、沢山の答えが出て来て、よくわかりませんでした。赤になることもあるのかも。
今後も「赤」って答えますわ。
世の中には感覚が違う人がたくさんいてこそ楽しいと私は思いますけどね。もう名付けんでええ。気にせんでええ。あなたはあなたらしく。
では。