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シリーズ第1作『ライブハウス殺人事件』第3話


第3話

苛立つ警部を廊下に残し、僕は控え室に飛び込んだ。急がなければ。皆の視線を無視し、ひとしきり音響設備をいじってみる。Bに切り替えて再生スイッチを押すと、室内に聞いたことのない曲が流れる。

「……懐かしいな」
ぼそりと零したのはリーダーの黒葉だ。
「俺たちが最初に作った曲。もう……3年前になるか?」
須藤もしみじみと続いた。
犯人の波良戸は無言で大きな目に涙を溜めている。

察するにこれもポーカーフェイスの持ち歌のようだ。しかし僕が聞いた昨夜の1曲目とは 随分 印象が違う。曲調は何となく似ているのだけど、決定的に何かが違った。もう少し聞いてみたかったけれど、室内にしんみりとした空気が流れたことを察し、僕は早々に曲を止めた。

「ああ、なんか……すいません。音響装置を触っていたら、音が流れてしまって……」
弁明しながらも、とりあえずは確認ができた。この聞こえ方であれば、音源さえ用意できれば、さっきの仮説通りの犯行は可能だ。
「すいません。昨夜ライブの最中、この部屋にいたのはどなたですか? 照明係として久井さんがいましたね。それから……音響は金駒さん、でしたか?」

金駒は元々はポーカーフェイスのファンであったらしく、頼み込んで3ヶ月前からスタッフの一員になったらしい。19歳のフリーターの青年だ。

「君と久井さん以外に部屋には誰も入らなかった? 一度も?」

彼を廊下に連れ出して質問した。ホール側の諸々を行なっていた大矢の姿は見なかったという。他にはライブ開始30分前までメンバーがリハーサルを行なっていたくらいで、彼らがステージへ準備に向かうと、そこからは久井と2人だったそうだ。

「じゃあ、あの音響設備は? 他には誰も触っていないんだね?」
「えっ? あ……ああ、あれは準備の時に、僕が一度だけ触りました。さっきのあれ、あのCDをかけてみたくて。あれはポーカーフェイスの最初の曲なんです。オーナーから偶然CDが見つかったって渡されて。こんなものが出てきたぞ……って。僕はまだ売れてなかった1年目の曲を聞いたことがなかったから、ぜひ聞いてみたくて。だから作業中に、あれを……でも、もちろんライブが始まる10分前には、スイッチはホール側のAに戻しましたけど……」

そう言うと金駒はびくりと肩を跳ねさせ、「すいません」と謝った。理由は察せる。僕の後ろに立つ肉食獣が獰猛な視線を投げたのだろう。「それじゃあ仮説がなりたたないじゃないの!」と。

その通りだ。彼が直前までCDを聞き、それから切り替えたのであれば、先の手法での犯行は不可能だろう。少なくともステージに上がっていた波良戸には。遂に尻尾を捕まえたかと思っていた僕も思わず肩を落としそうになる。そこを堪えて話を聞く。

「ねえ、1年目は売れていなかったって言ったよね? そうなの?」
「はい。彼らが売れたのは2年目からなんです」
金駒が黒葉から聞いた話では1年目は死亡したボーカルの定岡が至る所で問題を起こしていたそうだ。それで音楽性の問題だけでなく、余計にファンがつかなかったらしい。

僕が気になっていた2つの項のもう1つが、その『定岡高男の素行ならびに交友関係について』だ。そこには定岡が非常に女好きで、しかも最低の男であるということが辛辣にまとめられていた。資料によればメンバーの波良戸にまで手を付けていたという。犯行動機はおそらくこの辺りによるのだろう。

「それで2年目からは心を入れ替えたって? その定岡くんが?」
金駒が頷いた。定岡は心機一転、真面目にバンド活動に打ち込んでいた、と。そうなってくると手元の資料と食い違ってくる。この定岡という男、同姓からも異性からも嫌われるような、そんな人間だったようなのだ。それを裏付ける証言がびっしりと並べられている。

そこには、ここ2年の直近の証言も多々含まれていた。特にメジャーデビューが決まってからは 一層 女遊びが酷くなったようで、バンドとして正式発表する前から、つまりは昨夜のライブの前から、度々それを口説き文句に使って悪さしていたようだ。

そこを問うと、金駒は、バンドを離れれば相変わらず先々でトラブルや喧嘩が絶えなかったようだけれど、仮面をつけた時だけは実に誠実だったと答えた。

「君がスタッフになってどれくらいだっけ?」
「3ヶ月です。ファン歴は1年と半年。あの……刑事さん? 俺は……何も……」
まったく安部警部には困ったものだ。僕は努めて穏やかな声で言った。
「君を疑っているわけじゃないよ。あまり僕の後ろのことは気にしないでいい。少しでも情報が欲しいってだけだから。彼女も、僕も。わかるね?」
彼はおどおどしながら頷いた。警部にはもう少し離れてもらうことにして話を続ける。

「それじゃあライブの日、そうだね、リハーサルの雰囲気はどうだった?」
「……それは、僕にはわかりません」
「分からない?」
「……僕はまだ、リハ中は控え室に入れないんです。ポーカーフェイスは素性を隠し、ミステリアスであることをウリにしていますから、メンバーの皆さんは箱入りの時から顔を隠して入ってきます。リハは互いの表情を確認するため、仮面を外しますから、それで……。ルールとして大ぴらに素顔を見せて良いのはメンバー同士、それから久井さんと大矢さんまでと決まっていて。僕はまだ、見習いですから。正直、昨夜、この控え室で始めて皆さんの素顔を見たんです」
「スタジオ入りの時から顔を隠してるの?」
「……ファンが待ち構えていたりもしますから」

驚いた。これがプロ意識というものなのだろうか。詳しく尋ねてみると、彼らも元々は顔を出していたという。始めに素顔を隠したのは、定岡の起こすトラブルに他のメンバーが巻き込まれないように、という実に後ろ向きな理由からだったそうだ。

「その頃のポーカーフェイスは全然売れていなくて、インディーズオタクの僕ですら知りませんでした。だから今ではもう、当時の顔を覚えている人なんていないでしょう。彼らの素顔は本当の謎になった。あちこちで名乗っていた定岡さん以外、ですが……。だから、あんなことがあった日ですけど、僕は昨夜、皆さんの顔を初めて拝めて、正直なところ興奮してました」
なるほど、定岡以外の3人は昨夜まで素顔が知られていなかったのか。
「ところでさ、そんなに問題が多かったなら、なんで定岡くんを辞めさせなかったの? そうすれば、そもそも最初から顔を出して活動できたんだよね?」

聞けば、その頃、彼らが愛用していたスタジオが定岡の知り合いのものだったそうだ。無名の彼らも そこであれば無料でライブを開かせてもらえた。それを手放せなかったという。それから定岡はチケットを売りさばく技術――恐喝まがいだけれど――にも長けており、活動資金の調達係としての力はあった。なによりクビだといったらメンバーにどんな嫌がらせをしてくるかわからない、という面もあったのだそうだ。

「まあ1年も経てば、少なくともバンド中の素行の悪さは収まったようで、そこから きちんと売れましたしね。今となっては仮面も人気に一役買ってますし、僕は良かったと思いますけど。ロックバンドですから、多少、過去にあれこれあった方が……格好良いし」
金駒の言うことがわからないわけではない。しかし、どうも引っ掛かる。

バンド活動中だけとはいえ、1年でそんなに人が変わるものだろうか?

「他には何か知らないかな? 最近は本当に問題なかったの、定岡くん?」
「ええ、仮面の Anger は優しかったですよ。見習いの僕にも。いつも気さくに話しかけてくれましたし。問題といえば……うーん、リハに遅刻してくることくらいですかね? それも結構、頻繁に。そういう時は彼が来るまで、大矢さんが代役を務めてリハを進めているみたいです」
「……遅刻癖が?」
「ああ、そうそう。昨日も定岡さんは遅れてきました。いつもと違って仮面まで忘れて素顔でやってきましたね。といって、まあ、定岡さんは……完全に面割れしているので、あれですが……」
めぼしい情報なし、か。
「……あ、あの、もういいですか?」
「ああ、ありがとう」


金駒を控え室に戻すと再びイチからのスタートとなった。仮説は見事に外れ、新たな取っ掛かりもなし。犯人は波良戸、それ以外は変わらず不明だ。スゴロクでいう『振り出しに戻れ』の気分だった。

動機はおそらく交際絡みだろうと察せられたものの、そうなった時点で、これは それほど重要な要素でなくなってしまった。こういった類いの動機は、犯人特定には有効だけれど、凶器や犯行方法へは結びつかないものだから。

つまり既に犯人がわかっている今回の場合において、それほど意味を成さないのだ。毎回のことながら実に釈然としない。犯人がわかっているのに、かくも捜査は進まないものか。もちろんそれは勘による特定だからなのだけれど、それでもこれは歯がゆい。安部警部の気持ちが少しだけ理解できるというものだ。

「ああ、んもう!」
「ちょっ、ちょっと警部! 待ってくださいよ!!」
「邪魔しないで。輝美なのよ、犯人は! 私にはわかっているの! 嘘じゃない!」
当の彼女は再び嵐を巻き起こしかねないほどに荒れていた。
「しかし警部、凶器も犯行方法も不明です。動機だけでは逮捕できません」
「凶器なんてギターでいいのよ。あれで殴り殺したんだわ。そうよ、そうに決まってるわ!」

揉め事の末、咄嗟に、ということであれば、それもあるかもしれない。しかしその場合、ステージ上の Anger は死体だったことになる。あの夜、定岡の歌声に違和感はなかったようだし、それは考えにくいだろう。適当な理由をつけるにしても、あまりに雑過ぎだ。

「晴明くん、離してって! んもう、邪魔しないでよ! 信じてよ! 犯人は輝美なんだって!!」
「それはわかりました! でも待ってください。証拠がないんです。もし警部が言ったように控え室で殺したなら、ステージからは死体が飛んだことになっちゃいますって。死体が飛んで、頭を打って、もう1回死んで、って、そんな馬鹿なことあるわけないじゃないですか!!」

強硬手段に打って出ようとする彼女を僕はどうにか廊下に留め置いた。肩で息をするそれは飢え死に寸前の獣のよう。朝から、いや昨夜から、ずっとお預けをくらっているのだ。もうギリギリだろう。時計を見ればそろそろ12時を回ろうとしている。

「ああ、んもう! 早くしてよ!」
女帝は零れそうな胸を組んだ腕で支え、爪先を鳴らして唇を噛む。廊下を右に左に うろうろする。彼女は既に自分で考えるのはあきらめたようで資料を見てもいなかった。
「ねえ! もういいじゃない! とにかく捕まえましょうよ!」
「ダメです。それじゃあ罪に問えないし、きっと問題になります。そんなの僕は嫌です」

安部警部が禁断症状よろしく、ぶるぶると身を震わせた。

「凶器のような物証が……いや、この際、もう それはいいです。せめて犯行方法が分からないと……今のままじゃあ勝負をかけることすらできない。シラを切られたら負けです」
「んもう! 犯人は輝美だって言ってるのに! 嘘なんかじゃないのよ! 私にはわかるの!」
「わかってます。でも、そういうものなんです。犯行方法が分かるまで待ってください」
「嫌よ! そうだ! 魔法で死体を飛ばせたんじゃない! そうよ! そうだわ!」
「そんなわけないでしょう! 魔法の線は絶対にないです!」
「じゃあ どの線なのよ! ねえ! ねえ! ねえ! どうやって輝美は――」
「ああ、もうっ! うるさいな! 待ってくれって言ってるだろ! 勘で犯人を当てられるなら、ついで凶器も犯行方法も当ててくれよ! こんな時に何をふざけてるんだよ! 魔法で死体が飛ぶわけないじゃないか。それなら生きた人間が飛んでから死んだふりしたって方がよっぽど現実的だよ! 僕だって必死に考えてるんだ! こっちは物証がなくても方法さえ分かれば、って譲歩してるでしょう! 警部もちゃんと考えてくださいよ!!」

思いがけず先に限界が訪れたのは僕の方だった。
――しまった! やってしまった!?
我に返った時には遅かった。上司に対して、というよりも女帝、いや、安部樹里に対して、この言い方は非常に不味い。己の頬が引き攣るのがわかる。

コンッと何かが脛に当たった。視線を落とすまでもない。尖った彼女の爪先だ。右の爪先が僕の左の脛を叩いてくる。コン、コン と しつように。腰に当てるはずの女帝の手が背中側に回され、手首のあたりで組まれている。完全にいじけた子どもだった。

……はじめての時は殴られるかもって焦ったけど。でも、これはこれで辛いんだよなぁー。

彼女の性格からして爆発的なヒステリーを起こすものかと思った。しかし実際は正反対でこうなってしまうのだ。こちらが本気で怒ると安部警部は萎んでしまう。

恐る恐る彼女の顔を覗き込めば、その大きな目にいっぱいに涙を溜めている。俯いてぶつぶつと呟き、そしてまた僕の脛を爪先で小突く。その小さな声に耳を澄ませば「そんなに怒鳴ることないじゃない。何なのよ、部下のくせに。魔法なんて、ほんの冗談よ。私はいつも……本当のことしか言わないのに」

「……あの、すいません、つい。その、すいません」
彼女は僕の声に応答せず、そのままコン、コンと僕の脛を蹴り続ける。

しばらくはこのままで良いか、静かではあるし。そう判断して僕は再び THINKING FACE に戻った。しかし、どうしても犯行方法がわからない。これでは安部警部じゃないけれど、魔法で死体を操ったなどという考えに逃げたくもなるというもの。

波良戸は一体どういう方法で定岡を殺したんだ?

もう一度、じっくりと頭を捻る。何か引っ掛かることはないか。見落としていることはないか。昨日今日と僕は何を見た。そしてどんな会話をした。ほんの小さなことでもいい。手掛かりが欲しい。感情的になった時が一番何かを見落としやすいものだ。そこで何かヒントを見落としているのでは――

っと、啓示は突然降りてきた。

えっ、まさか、本当に? 死体が、って? じゃあダイブ、したのは……

ごくりと唾を飲み込み、同時に僕は覚悟を決めた。控え室に集めたメンバーも昼を過ぎれば不満を露わにするだろう。もう時間はない。たった、今、思い浮かんだ この仮説で勝負に出るしかない。

「警部っ! ……ひ、閃いた……かも?」
もしも この推理が当たっていれば波良戸を逮捕し、そして有罪にまで持っていける。ダメだった時は まあ 僕あたりが謹慎処分と言ったところだろう。
「お待たせしました。腹、減りましたよね? それじゃあ警部、13時までに終わらせましょうか?」
ゴンッ、突如、強烈な痛みが脛に走って僕はその場にしゃがみこんだ。顔をあげれば、先程までと一変し、復活した女帝が猛獣のごとくドアノブを捻っていた。さながら噛みつくかのように。


「輝美、あなたを――」
控え室へ踏み込むなり結論を急ぐ警部の口を僕は慌てて塞ぐ。
「先に僕が話をしますから。警部はその後でご登場ください」
そう言って僕は部屋に集められているメンバーを振り返る。
「皆さん、もう察しているとは思いますが、本件は事故ではありません。事件です。それも殺人事件です」
まずはそう切り出した。

正式に『殺人』と伝えたことで、室内に一気に緊張が走る。
「ではまず大矢さんにお願いがあります。すいませんがポーカーフェイスの曲を1つ歌ってみてもらえませんか? 昨夜のライブの1曲目の歌でいいので」
「歌……歌を? 俺が? えっ? なんで?」
彼は怪訝そうな目でこちらを窺ってくる。同じような顔でこちらを覗く警部を無視し、僕は男の目をじっと覗きこんだ。間違いない。そこには警部の目にはない怯えが広がっている。もちろんこれは勘に頼って感じとったのではない。警察官となった際にの研修時に習った犯罪心理学にもとづく判断だ。
「あれ? 昨夜も歌っていましたよね?」
「な、何を言ってるんだ! 俺は裏方だ。ヴォーカルは定岡で、だから俺が歌うわけ――」
「何を慌てているんですか? 昨夜のリハーサルで、あなたは歌っていたでしょう? 定岡さんが遅れて来たから。よく代役をやるそうじゃないですか? 違うんですか?」
「あ、ああ……それ、それの、こと……か?」
「何のことだと思ったんです? まあ今の叫び声で十分でしょう。はい、録音しました。これで最近の歌声と声紋照合すれば確たる証拠が出ます。ポーカーフェイスの Anger が、実はスタッフ の あなた だった、とね。いや、あなたに変わったんですよね? 2年くらい前に?」

オーナーの伊西や金駒が目を剥いていた。彼ら2人は知らなかったらしい。
「な、何を、言って……」
「まあ、すぐに分かることなので返事はいいです。では大矢さん、今度は背中を見せてください。青痣が残っているでしょうから。昨日、ステージから落ちていますもんね。あの高さです。わかってやっていたとしても、それなりに打ち身や打撲はあるでしょう。たいした勇気ですね」
大矢の顔が、そしてポーカーフェイスの他の3人の顔が、仮面もなしに蒼白になった。
「あなたになら代役は務められたはずだ。死んだ定岡さんの代役がね。というか、そもそも あなたが本物のボーカルだから、代役とは言わないですかね? っで、昨夜、ステージに上がった。そして わざと いつもとはタイミングをズラしてダイブし、客席へ落ちた」

誰もが口を閉ざしている。知っていた者、知らなかった者。どちらも押し黙っている。

「定岡はライブの前に死んでいた。大矢さんは定岡のふりをして控え室に運び込まれ、そこで本物の死体と入れ替わった。そうですね?」

気にしてみれば、おかしな点はあった。ステージから飛んで『後頭部』を打ったのだ。つまりは背中側から飛んだ、ということになる。これは相当に勇気がいることだ。受け身の訓練を積んだ柔道家でも、かなりの覚悟がなければ あの高さから背中からは飛べない。低いステージからならまだしも、あそこからであれば 普通は 俯せで 客に覆い被さるように飛ぶはずだ。それであれば失敗をしても床に手をつけるから。もしも俯せの体勢でファンに担がれてしまっては歌いにくい というのであれば、俯せで飛び、客に支えられてから 仰向けに反転すればよいだけのことである。

「あなたは無理をして背中側から飛んだ。会場が暗いとはいえ、俯せで着地したり、足から降りて、そこから仰向けに倒れては、万が一そこを誰かに見られていたらおしまいだ。だから確固たる決意をもって、後ろ向きに飛んだ。そうした理由は1つ、定岡さんが後頭部を打って死んだからでしょう。だからあなたは背中から落ち、後頭部を打ったように見せる必要があった」

必然的に、大矢、そして波良戸と黒葉――おそらくは須藤も――は、事前に定岡の死を知っていたことになる。だからあの状況で、すぐに Anger の側へと駆け寄れたのだ。警察官である僕が動き出す前に、動けるようになる前に、彼らは動いた。いや、動けた。それは最初からその予定であったからに他ならない。

それから Anger 以外の3人が、あの日、ひた隠しにしてきた素顔をあっさりと客前に晒したのにも理由があった。そう、アリバイ作りだ。そうでなければ これまで頑なに隠し、既に『正体不明』がブランド化しつつあったのに、あんなに簡単に素顔を晒しはしないだろう。あれは暗に『僕たちはステージ上で演奏していましたよ』と、そう示したかったからに他ならない。

「定岡は事前に死んでいた。ただし、あの日、この会場に、リハの時間に遅れて入ってくる定岡を金駒さんが見ている。となれば犯行はその後ということだ。っで、あれば死体はおそらく――」
ぐるりと控え室内を見渡し、僕は視線をドアの横へと向ける。
「その、ロッカーにでも隠しておいたんでしょう?」
僕がそれを示すと、もたれ掛かっていたオーナーの伊西が飛び退いた。目をまん丸にしている。

「鑑識に調べてもらえば分かるでしょう。中から定岡の髪の毛や皮膚が検出されるはずです。彼の死亡推定時刻もそろそろ判明する。そうすれば彼が事前に死んでいたことも確定するでしょう」

1曲目にダイブのある曲を持ってきたのもそのためだろう。誰かが死体を見つける前に……と、そういうことだ。

「ここまでで何か意見があれば、どうぞ?」

大矢の表情が歪んでいる。やはりこれは事故でなく事件だったのだ。本当に毎度のことながら、僕は心中で嘆息を漏らした。恐るべし安部晴明もとい――安部樹里。

「それでは続けます。次に定岡さんはどうやって死んだのか。死因は既に、皆さん、わかっていますね? 心筋梗塞でも、脳卒中でもなく、後頭部の強打です。おそらく何か堅いもので殴られたのでしょう。改めて死体を確認してもらったところ、背中には打ち身がなかったそうです。本当にあの高さから落ちたなら それはありえない。ステージから落ちて後頭部だけ打つなんて無理です。だから何かで殴打されたものと推測できます」
そして僕は視線をリサイクル用の楽器に向けた。
「あの楽器の中のどれかでしょうね。妙に新しいギターが1つ混じっています。殴った時に壊れた……っと、そんなところでしょう」

そこには真っ赤なギターが混ざっていた。はじめて目にした時から何となく気になっていたのだ。僕は楽器に詳しくはないけれど、ライブに向かうバンドのメンバーならば、トラブルに備えて予備を持ってくるものではないか。鑑識が調べた楽器に黒葉のベースは2本あった。おそらく本番用と予備のものだ。ドラムの須藤ですら替えのスティックやタイコを用意していた。それなのに波良戸のギターだけは1本だった。

「波良戸さん、あれはあなたの本番用のギターだったのでは? ああなってしまったので、昨夜のステージは予備の方で行なったのでしょう?」
鑑識の大先輩方には感謝しなくてはいけない。波良戸があそこに置かれた凶器を回収できなかったのは、昨夜、あの2人がここで寝ずに作業をしていたからだ。だから持ち出す隙がなかったのだ。
「違いますか? まあ、違っても あそこにある楽器をすべて調べればわかることでしょうけれど。この部屋に他に凶器として使えそうなものはありませんから。そして凶器に付着した指紋から犯人も割り出せることでしょう。
よっぽど綺麗に拭き取ってあれば別ですが、最近の科学技術であれば――」
そこで大矢が走った。血の色をしたギターを手に取り、それを振り上げ、床に叩きつけた。ガシャンと耳障りな音がライブハウスの窮屈な控室に鳴り響き、半壊していたギターがいよいよ全壊した。
「ああ、そうだよ!」
大矢が叫んだ。
「やったのは俺だよ! コイツでな! っくしょう! 上手く隠せたと思ったのに!!」
そうして彼は上着も脱いで上半身を晒した。振り向けば背中に広い範囲の打ち身がある。色白であったため痣がよくわかった。
「ステージから飛んだのも俺だ! そうだよ、全部あんたの言ったとおりだ!」
天を仰いで喚き、それから大矢が膝から崩れ落ちた。
「……刑事さん。でも、その、皆は……皆は違うんだ。俺が脅して。ボーカルやれる人間がいなきゃあメジャーデビューできねえぞって。だから、皆は……」
どうやら彼は自分のことより共犯とされ兼ねない仲間の身を案じているようだ。
「犯人を匿った者は……罪になるって、漫画で読んだことがある。でも頼むよ。俺がやったんだ。皆には無理矢理……手伝わせて、だから……」
「なぜ、定岡を?」
「あいつは今頃になって戻ってきやがったんだ。それで……あの野郎……」
大矢の話を聞けば やはり2年前からボーカルは彼が勤めていたらしい。定岡は一切のバンド活動をしていなかったそうだ。メンバーから辞めろと言ったのでなく、定岡が勝手に来なくなった。彼らはこれ幸いと新しいボーカルを迎えた。それが大矢だった。

「金がなかったから最初は俺が定岡のふりをして、ライブハウスをタダで借りて……そのために仮面もつけたままに……あいつに恨みを持っている奴が何かしてくる恐れもあったし。特に輝美は女だから。それもあってしばらくは仮面はつけたままにしようって……」
大矢の加わったバンドは一気に人気を集めたのだろう。それで面を外すタイミングを逸してしまった。気づけばそれがトレードマークになっていて、余計に外せなくなった。そうして念願のメジャーデビューが決まったのだけれど、そこへ悪童が帰ってきた。

「ポーカーフェイスのボーカルは俺だ! 俺は辞めたとは言っていない! メジャーデビューするならボーカルは俺がやる!」

目に浮かぶ光景だ。皮肉にも仮面で顔を隠していたため、背格好が同じ定岡と大矢が入れ替っても見た目としての変化はそれほどない。微妙な体型の差も死神の衣装でおおよそ隠せてしまう。

「でも歌声は変えられないだろう?」
「あいつは一旦売れちまえばそんなもん関係ねえって。こんだけ人気があれば誰が歌おうが盛り上がる。よっぽどの音痴でなけりゃあなって」
それは一理あるのかもしれない。デビューを機に歌い方を変えたと言ってもいいだろう。そうすれば定岡は自身がずっと Angere だったテイで大きな舞台に飛び出していける。

「断れば良かったじゃないか?」
「もちろんそうしたさ。そしたらあいつは……」
かつてポーカーフェイスのしてきた悪事――すべて定岡がやったのだが――を晒し、ネガティブキャンペーンを繰り広げると喚いたそうだ。メンバーにも嫌がらせをする、と。
「……何で警察に相談しなかったの?」
大矢はその問いには答えられず黙ってしまった。
「それは……」代わりに声を発したのは黒葉だ。「止めろ!」とそれを大矢が制する。僕は大矢を目で押し留め、黒葉の言葉を待った。
「輝美との交際時にあった、その……いろいろを……」
黒葉は言葉を濁したが察することはできた。未成年の飲酒・喫煙の証拠、もしかしたら情事の時の写真まであったかもしれない。それらで脅してきたということか。

「……決心はついたのか、と昨夜のライブの時にも、あいつがふらっとやってきて。それで俺はカッとなって、近くにあった輝美のギターで――」

「はい、12時18分ね。定岡高男の殺害で逮捕するわ」

深刻そうな空気をひっくり返すようにして女帝の通る声が響き、波良戸輝美に手錠がかけられた。室内の僕以外の人間が揃って目を剥く。金駒などは「この流れで、なぜ Joy が?」と言い出さんばかり。さすがは安部警部、周囲の空気などお構いなし。このブレないキャラには ある意味で脱帽する。

「ちょ、ちょっと!? 何してんだ、あんた! 俺がやったんだぞ? 捕まえるなら俺を――」
「あんたへは そこの晴明くんが手錠をかけてくれるわよ。メインどころに手錠をかけるのは私なの。そんなの決まってるじゃない?」
そう言って警部はちらっと視線を寄越す。僕はそれに従い、大矢に手錠をかける。
「殺ったのは輝美よ。満家、あんたは犯人蔵匿と証拠隠滅ね。さっ、行くわよ」
「おい、何を言ってんだよ! おい!」
僕は彼の肩を叩いて首を横に振る。
「気持ちはわるけど、やめときな。確かに定岡は最低な男だ。僕が呼び捨てにするくらいに。でも罪は罪だ。なるだけ減刑してもらえるよう、僕たちにできることはするからさ」
「何を言ってんだよ! だから俺がやったって――」
「君は僕より背が低い。だけどそれでも定岡とは同じくらいだ。君があの柄の長いギターを上から振りかぶって殴ったなら、普通は頭頂部に当たらないか? もし横に振ったって言うなら、今度は耳とか顔の側面にも傷が残るはずだ。でも定岡は後頭部から首の付け根にかけてを負傷していた。この意味はわかるよね?」
暗に背の低い人間の犯行であると示唆すると大矢はそれで黙ってしまう。
「それだけじゃあ根拠としては少し弱いのもわかる。でも、これからあのギターやロッカーの中を徹底的に調べる。それで何か出てくると思うよ。君と波良戸さんにも別々に聴取をする。そこで辻褄があわないことがあれば嘘なんてすぐバレる。最後まで貫ける自信があるなら、やってみればいい。しかし警察を舐めないことだ。しかも途中で嘘がバレたなら心証を悪くする。反省してないって、ね」
大矢の視線が泳ぎ、肩が揺れる。考えているのだ。どうすることが波良戸にとって一番良くしてやれるのか。イチか罰かで嘘を吐き続けようか。でもバレてしまったら彼女の罪が重くなる。そんな風に揺れているのがわかる。

「私が……やりました」
口を開いたのは波良戸だった。立ち止まり、こちらを振り返って。
「知ってるわよ!」 即答したのは安部警部だ。
「刑事さん、私がすべてやりました。だから、お願いです。満家くんは――」
「何を言ってるんだ、輝美! これは俺が――」
「ああ、んもう! ピーチクパーチク、あっちでも こっちでも うるさいわね!!」
言いながら警部は波良戸の背を突き飛ばすようにして歩かせた。波良戸はつんのめるように歩かされながら、それでも後ろの大矢を気にしている。

「安部警部、今日でもう2日目です。この事件にこれ以上時間をかけるはどうでしょう? 2人に聴取して、どちらかが嘘を言い出したら、その都度 確かめなければいけない。そんな面倒くさいこと、僕はやりたくありません。そもそも僕は事情聴取が苦手ですしね」

女帝が目顔で「あなた、何を言ってるの?」と問うてくる。

「でも、波良戸さんがすべて本当のことをお話してくれるそうですよ」

僕が大矢の手錠を外すと波良戸の瞳から涙が零れた。もちろん僕は黒葉も須藤も不問にするつもりだ。ああ見えて安部警部が それを許してくれる人だとは もちろん折り込み済みである。

「……っとに、晴明くん、いろいろ覚悟しときなさい。行くわよ、輝美!」

女帝はそれだけ言い残し、波良戸を押し退けて大股で進んだ。小柄な女性ギタリストはドアのところで深く頭を下げ、それから自らの足で警部の後についていった。


その後、SOUND 35で後処理をしていると、大矢が1人で謝りにきた。そして、これから波良戸がどうなるのかと しきりに尋ね、自身はどうすれば力になれるのかを聞いてきた。しばらく言葉を交わした後、彼は最期にこう言った。
「やっぱり日本の警察ってすごいんですね。俺みたいな馬鹿じゃあ太刀打ちできないです。一体いつから犯人が輝美だとわかっていたんですか? どうして?」

最初からだよ――とは言えない。
しかも『勘で』とは、とても……

「悪いね。捜査に関することは答えられないんだ」


エピローグ

陽進署への報告終え、時計を見ると思いのほか時間が経っていた。昼飯抜きで働いていたことを思い出し、たちまち空腹に襲われる。
「警部、結局……もう14時半ですね。あぁー、腹減ったなー」
「晴明くんが時間をかけるせいでしょう! んもう、どうしてくれるのよ!」
「……それは、その。すいません。ところで、なぜこんなに飛ばしているんでしょう? 基本的に、僕は……安全運転を推奨していまして……」
「知ってるわよ! いつもトロトロしてるものね、後ろに渋滞つくってまで! あなたは捜査も運転もトロトロね! ああっ、あと30分切っちゃったじゃない!!」
後処理を終えた僕は、今、安部警部の車の助手席にいた。赤のアストンマーチンがボンドカーのごとく高速道路を疾走する。アンベリーナ・ジュリーの運転技術は、本当に007のそれを凌ぐかもしれない。凄まじいスピードに戦きながら僕は恐恐と右手をあげた。
「すいません、あの、質問です。30分、というのは?」
「決まってるじゃない。オーベルジュ・ダン ノンジュのランチが15時までなのよ!」
猛烈に嫌な予感がした。その名は確かミッド・アイランド・スクエアの42階にある高級フランス料理店のはずだ。ランチでも確か1人5000円は超えるような。
「ええっと、あのぉー……なぜ、オーベルジュ・ダン ノンジュに?」
「あら? 奢ってくれるって言ったじゃない? 何でもって?」
まるで覚えがなく、僕は必死に頭を回転させた。
「えっ、まさか覚悟しとけって……このこと、ですか? 勤務上の処罰とかじゃなくて?」
「あっ、杏ちゃんも呼んでおいたわよ。あの子、今日は学校が昼までなんだって」
「えっ!? 警部……どうして僕の妹の連絡先を?」
それよりも、これは3人分の奢りってこと……になるよね? 絶対に?
「さあ、これ以上、杏ちゃんを待たせられないわ! 飛ばすわよ!」
「ちょっと警部! 待ってください 落ち着いて! スピード違反ですって!!」
女帝の愛車がドライバーの気持ちを反映し、秋風を切り裂いて赤い弾丸のごとく突っ走っていく。

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