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20,08,29。Tさんの思い出②

Tさんは自分達が遊びに行くといつも歓迎してくれましたが、たまに
「ごめんね。今日はお客さんが来ているからまた今度来てくれるかな」
と言われる時がありました。

お客さんを二度ほど見た事があるのですが二回とも明らかに学生では無さそうなのに詰襟っぽい服を着ていた事が印象的でした。自分達のような子供にもきちんと目礼してくれる妙にきりっとした人達でしたが特に怖い印象は受けなかった事も覚えています。

また、お客さんがTさんの事を「先生」と呼んでいた事も覚えています。
「お客さんから先生呼ばわりされるって事は…Tさんはやっぱり作家なんだ!」と勝手に解釈して友達同士で「作家だ」「学者じゃね?」「昔先生だっただけじゃ…」などとひそひそ噂していました。

前回書いた通り自分たち本好きな子供の間では尊敬されていたものの、親達からの評判は今一つ良くなかったTさんの評判が劇的に変化する事が起こります。

Tさんが引っ越してしまう少し前の事でしたが、当時のNHK3チャンネル教育TVの番組にTさんが解説者として出演したのです。郷土学に関する関する子供にとって面白くはない番組でしたから内容はよく覚えていませんが、Tさんは初めて見るスーツ姿でいつもの通りの穏やかで優しい感じでその地域の人たちの歴史について解説していました。

現金な物でそれまで「結局変な人」だった母親たちの評価は手の平を返すがごとく激変しました。TV出演以来「近所に住む名士」な扱いになり、おかげで軽く遊びに行きにくくなってしまうほどでした。

何とはなしに遊びに行きづらくなってしばらくの後、Tさんは引っ越す事になり、引っ越し当日は役に立たないながらも自分を含めたよく本を読ませてもらっていた子供が集まりお別れの挨拶をする事が出来ました。

ちょっとしたイベントのようになってしまった事が照れ臭かったらしく、長々とお別れの言葉は聞けませんでしたが、自分は最後に「これからも一杯色々な本を読んで色々な事を知ってください。君の年頃は「知る」事が一番大事だからね」と言われた事が忘れられませんでした。

自分は引っ越した後のTさんについて知りませんでしたが、一番Tさんの家に遊びに行っていた友達は引っ越してしまった後も文通でやり取りをしていました。その子は友達の中でも一番の読書家で中学生の頃にはハヤカワSF文庫をはじめとする自分の蔵書の目録を作る程の本の虫でした。

高校生になった頃、その友人と偶然再会する事があり話すうちにTさんの事を聞く事が出来、その時に初めて自分達が知らなかったTさんの事を知る事になりました。

Tさんは右派の識者としてその世界ではそこそこ名の知れた方でした。
もちろん行動派ではありませんでしたが豊富な知識と理論的な考え方で一目置かれる存在だったそうです。

自分はTさんが声を荒げたり感情的になる所など一度も目にしたことがありませんでしたし、その手の文献や考え方を勧められた事が無かった為に「右翼」と言う言葉にビックリでした。

穏やかで知的で何となくストイックな印象だったTさんの姿は世情が何となくキナ臭くなってきた現在、ネット上にはびこる自称民族派の輩たちとは全く違います。

己のルサンチマンをより立場の弱い人々への攻撃で解消せんとヘイトをまき散らす醜い行動を見るたびに「軽々に右を名乗るな」と憤りを感じずにはいられません。

子供の頃に読書と知識の収拾の喜びを教えてくれた優しくてどこか凛としたTさんの姿とはあまりにかけ離れた姿だからです。

自分の信条は右でも左でもありませんが、昨日の安倍首相の退陣により、一歩間違えるとキナ臭さがさらに増しそうな昨今、つい書かずにはいられませんでした。国を民を憂う事と他を憎み排斥しようとする事は明らかに違います。自らの信条の研鑽の為に多くの物を引き換えにされていたはであろうTさんの姿を思い出す度その思いは強くなります。

年齢的な事を考慮するとおそらく既に白玉楼中の人であろうTさん。
出来る事なら自分も当時のTさんと同じくらいに歳を経た今、Tさんの大人向けな話をじっくり聞いてみたいと思うのでした。



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