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親となむと。
ひとって、いいね。
おつかれさまです、なむです!
両親との関係について
ぼく自身の内面に関するお話になります
少し勇気が要ることですが、、、いってみましょう!
生まれたとき
ぼくの両親は、変わった環境で出会いました。
そこは、病棟の中。
お互い療養中に知り合って、そこから結ばれたって聞いてます。
二親ともハンデをもっています。
そんな中で、ぼくは生まれてきました。
田舎の長男坊です。まわりの人たちは、ぼくに期待を寄せました。
「しっかりするんだぞ」「あなたがこの家を支えるんだぞ」
近所の人からかけられた言葉。
マジョリティと違った解釈や価値観を持つ両親。
両親は、自身の価値観をぼくも抱くことを願い、こう語りました。
「私はこの教えに救われた」「あなたも信じてほしい」
両親からかけられた言葉。
でもぼく自身は、その価値観を受け入れる選択は、しませんでした。
きっと、マジョリティに虐げられる親を見ていた影響かもしれません。
大人になって
20歳になって、就職。そこからは自分の考えを伝えることが増えました。
同時に、マジョリティと両親を比べることが増えて。
双方の価値観が違うぞ?って実感しました。
自立すると同時に、けんかも増えました。
マジョリティの考え方で、両親を否定することが多かったと思います。
それでも、とくに母親は自身の価値観を曲げず、ぼくに自身の価値観をずっと理解してほしいと願っています。いまも。
「私はこの教えに救われた」「あなたも信じてほしい」
どうして、こうも頑ななんでしょう?
わからないけど、口論になることが増えました。
父が死んでから
そんな中、2年前に父が死にました。
思うように体を動かせない父親に対し、劣等感があって
ずっとつっけんどんに相手して、ぼくは生きていました。
いま思えば、せこいやり方だったと思います。
亡くなる前に、看取っていたときのこと。ぼくからふと出てきた言葉。
「この家は、任せて。なんとかするわ」
そこでぼく自身も腹が座ったし、父も安心していたようでした。
病気で息苦しい様子で、、、おわかれ。さよなら。
吹っ切れました。
父を支えなければならないから、父にかっこ悪いとこ見せたくないから
と、我慢していたことありました。
もう、いいや。好きに生きていこう。
って、おもいました。一つの転換点だったと思います。
そこからものごとに対し、自分事に向き合えるようになりました。
いま、どう向き合うか?
いまは、母親とぼくと妹の3人で暮らしています。
母親は、あいかわらず。妹と母親は、ギクシャク。
果たしてぼくは、母親をゆるせるでしょうか?
自己実現と現実のはざま。
自分が挑戦するなんて、「どーせむり」って思いがよぎります。
家族に対し、足を引っ張らんといて!って思うこともあります。
コーチとは、「いかに自分と向き合えるか」だと思う。
他人の人生を左右しかねない仕事だからこそ、自分と向き合う必要がある。
そうでないと、語る言葉に厚みが出ない。
人に気づきを与えることができない。
でも。深い学びを経て毎回よぎるのが、家族のことでもあります。
家族の望みとぼくの望みは、相容れないかもしれない。
葛藤のなか、また明日はやってくる。ありがとうございました!
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