25話サムネ

【短編】Jewel of love.〜 SS『あたたかなストーブ』


メリークリスマス!

先日完結しました『Jewel of love.』のサイドストーリーです。

恋人と過ごしている人にも、彼女のようにひとりで過ごしている方にも。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


しゅんしゅんとヤカンが湯気をあげる。


快適な湿度とあたたかさのなかで、 やっぱりあのマフラーをくるりと首に巻いてる唯ちゃんにあたしは心の中で、そっとため息をついた。


正直、キビシーなぁ……


それは、あの人とお金を出しあって買ったプレゼント。


目にすれば、いろんなことを思い出してしまう。とくにあの日、イブの前の日、 あの人があたしを置いて走っていってしまった後ろ姿とか。


ねぇ、部屋の中なのに、どうしてマフラー?


さりげに外したらとすすめるあたしに、唯ちゃんの答えはいつも同じ。


だって、せんせぇにいただいたものですやん。うれしかったんですもん。

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「暑くない?」 

「暑くないですよぉー」

「そう……」

「あ、せんせぇ、暑いですか? ストーブ、止めましょか?」


いや、違うとこ気ィつかおうよ、もっと。

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内心あたしは苦笑して、でも素知らぬ顔で問題集を開いた。


「じゃあ、このページの問題、解いてみて」

「はぁ」


なんだか気の抜けた返事。解くのはもっとノロノロ。


ぼーっとしたり、とろんと首をかしげたままだったり。


最初はやる気ないの? って思ったけれど、それがこの子のペースみたいね。


うん、頭は悪くないんだ。でも制限時間があるのが試験ってもので、もっとテキパキと考えられるようにならなきゃ成績アップはむずかしい……


なんてね。


あたし、音楽関係より、教師のほうが向いてるかも。


立ち上がって、部屋の隅にあるストーブに手をかざす。


円筒形のレトロな石油ストーブ。


 山奥の小屋とか、田舎の古い駅舎にありそうなやつ。


唯ちゃんも、おばあちゃんちの物置で埃をかぶってたのを引っ張り出してきたって言ってた。


『デザイン、かわいいやないですかー』


そのストーブに、またかわいらしい真っ赤なヤカンを乗せている。


これに似合うの探すの大変やったんですよぉーなんて自慢してた。


あれこれこだわってつくりこんだ部屋は、まるで小さなカフェみたい。


床はもちろん、天井にまでせっせと白いペンキを塗ったひとりっ子のお城。


「できましたー」

「あ、今日ははやかったねー、えらいえらい」


褒めると照れくさそうに、うれしそうに、ニコーッと笑う。


うん、やっぱり褒められて伸びるタイプだわ、なんてね。


ああ、やっぱりあたしって、いつも人の反応見てる。


反応見て、好かれるように好かれるように振る舞ってる。


あの人にも、ずっとそうだったな。


唯ちゃんの解答をチェックしながら、悲しいことを思った。


大学生活がスタートした初日のこと、よく覚えてる。


単位の説明で学部全員がひとつの教室に集められた時、心細げに教室の隅に座ったあの人が、実はとても注目を集めていたこと。


なんか、ものすごい美少女がいる……


男の子たちは色めき立ち、女の子たちは嫉妬と羨望の眼差し。


当の彼女は気づいているのかいないのか、とにかくなんだかクソ真面目。


どんな授業も一番前の席を陣取って、無駄にすごくノートを取りまくってる。


ピンクの入りまくったいかにもなファッションなのに妙にガードがかたい感じで、合コンとか誘われてもぜんぜん出てこなくて。


やっぱ彼氏いるんじゃん? だよなー、なんて、男の子たちが他の女の子たちに目移りしていくなかで、あたしはなぜかどんどん彼女から目が離せなくなっていった。


ものすごい美少女、ただそれだけじゃなく。

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仁科凛々子。


その名の通り、芯の強そうな瞳をしてる人。


あの子たぶん彼氏とかいない。


きっとそういうありきたりな理由じゃない。


話してみたい……話してみたい…………

もしかして……


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予感は当たって、ちょっとびっくりするくらい簡単に彼女は落ちた。


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ほらね。いつも一人でいたのは秘密の扉があったから。


臆病で生真面目な彼女。だけど、あたしには心を開く。


ほら、教室では見せない木漏れ陽のような笑顔で、くるりと振り返るんだ。


『あ、アヒルだ! 見て、アリス……』

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恋の抜け殻、それはつまり過去の出来事。


あたしだって前の人とかいないわけじゃないし、ね。


そう思って大きな空を見上げても、なぜだろう、いつも指先が震えるほど胸が痛んだね。ちっぽけなあたし。


だけど、平気。こんなの平気。


いつだってあたしは少しだけ拗ねて、それから必ず笑ってみせたんだ。ひどく申し訳なさそうに俯いたあなたが、 またひとつ、あたしに甘えられるように。


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「せんせぇー、お茶にしましょー」

「コラ、まだ2ページ残ってるよ?」

「宿題でやりますさかい。今日はケーキ焼いたんですよぉー」


返事を待たずに唯ちゃんは、階下に駆け降りて行ってしまった。


やれやれ、家庭教師に来てるんだか、遊びに来てるんだか。


苦笑して、背もたれに深く寄りかかる。


そうね、もうあんまり威厳とかないかも。2回も泣き顔、見られちゃって。


ガチャガチャ、ドタバタ、ガチャン!


階下から聞こえてくる騒がしい音に首をすくめる。


いつも、お茶ひとつにたいへんな騒ぎ。成績はちっとも上がらないけど、楽しそうだからいいのかな。ご両親にも感謝されてる。いいお姉さんができて、唯がすごく喜んでるんですよ。私たちには何も言わないんです。話とか、聞いてやってください……


一人娘を他人任せ。


なんか腹立つよねとこぼしたあたしにあの人は、だけどご両親だって好きで残業してるわけでもないんでしょう? と言った。


『ご両親にも夢があるだろうし、真剣に仕事してたら、いろいろ責任もあるんじゃない?』


かるく首をかしげて言葉を選ぶ、高く澄んだ声。


『真奈美はしっかりしてるから、唯ちゃんもご両親も安心してるんだよ』


 それって、いいことじゃない。週1回のことなんだし、

 ご両親が帰ってくるまで、唯ちゃんと一緒にいてあげたら?


そう言ってくれるあなたが好きだった。誇らしかった。


だけど、すこしだけ淋しかった、金曜の夜。


夜道を駆けてあなたの部屋へ急いだ、金曜の夜。


どんなに会いたくても、3回に1回しか電話できなかった。


会いたいと言えば、週末じゃなくてもあなたは会ってくれたけど、 だけどそのことが時々とても、とてもとても苦しくて。


たちまち熱くなる目頭を、唇をぎゅっと噛んで堪える。


ねぇ、いつだって、あなたから会いたいと思ってほしかった。


はやく来て、会いに来てと、ワガママを言ってほしかった。


そしたら週末だけじゃなく毎日だってあたしはきっと、どんな無理をしても。


なにを裏切っても。


誰を悲しませたとしても。


「ああああ紅茶こぼれるぅぅ~~~」

「もう、いっぺんに運ぼうとするからだよ」


あたしはパッと顔をあげて笑い、いまにも転びそうな唯ちゃんからトレイを取り上げた。


大っきなトレイに乗せて運ばれてきたのは、やっぱりカフェみたいなケーキセット。白い楕円の大きなお皿に、ちょこんと盛られたパウンドケーキ。とろりとゆるい生クリームに、針みたいに細くかけられたチョコレートソース。小さな緑色はミントの芽。


一瞬、悲しみを忘れて、頬を緩める。


わかるわかる。こういうのに凝ってみたい年頃。


きっと台所はメチャクチャだよね。生クリームのボウルに突っ込まれたままの泡立て器やら、テーブルにはみだしまくったチョコレートソースやら。


「今回のケーキは、うまく焼けたんですよぉー」

「すごいね。盛り付けも上手」

「ドライフルーツ、いっぱい入れたんですよぉー」

「うん、すごいおいしいよ」

「ほんまですかー?」


唯ちゃんは、いつもみたいにうれしげに笑ったけど、次の瞬間ちょっと口を尖らせて、拗ねたようにこう言った。


「ほやけどせんせぇ、いっつもおいしいって言わはるからなー?」


あーあ。


ずずっと紅茶をすすって、私は苦笑い。


とうとう唯ちゃんにまで、そんなこと言われちゃうし。


「ほんとにおいしいって思うんだもん」


その言葉は、嘘ってわけじゃない。


そりゃあ、焼き加減とか甘さがとか言おうと思えば言えるけど、 だけど唯ちゃんの手作りなんだからそれなりの味わいを楽しめばいいって、


…………ううん、やっぱり性格かな。


『真奈美って、ホント“気にしぃ”だね』

 

 気にしすぎで疲れない?

 わたしって、よく人を怒らせちゃうのに、

 真奈美、ぜんぜん怒んないんだもん。


『ねぇ、ほんとに怒ってない? 無理してない?』


あの人は時々、ふいに思い立ったように八の字眉毛でそんなふうにあたしに聞いてきて、あたしは何度でも微笑って首を振ってみせた。


そのたびにあなたはうれしげにあたしに腕を絡めて、「真奈美、大好き」と耳元で囁いてくれた。


 あなたのやさしいところが好き……

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なのに、大切に積み上げた日々は、たった一度の竜巻に崩れ去った。


あっけないほど簡単にあなたを翻弄する“アリス”。

あたしには、金髪の美しい悪魔に見えた。


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嫉妬の炎は赤く、血の色よりも赤く胸を焼く。


誰かを殺したいほど憎めると知った、裏切りの夜。


 あなたのやさしいところが好き……


リフレインするのは、悲しい言葉。


やさしさ? 違う。あたしはあなたに愛されたかった。


あなたが望むままの、あなたの理想になりたかっただけ。


胸を掻きむしり、ただ泣くしかなかった無力なあたしを、 カーテンの隙間から冴え冴えと光る冷たい月が嗤っていた。こうなってさえ、どうしてもあの人が欲しいと泣いたあたしを。


ツンと痛くなった鼻の奥に、あわてて立ち上がった。だめだ、また泣いちゃいそう。ストーブにあたるふりでさりげなく唯ちゃんに背を向け、あたしはわざと明るい声を出した。


「ストーブって、なんか甘い匂いするよね」


エアコンとは違う、ふわりと包み込まれるような感じっていうか。


やっぱり炎がつくるあたたかさだからかな?


丸い窓から、静かに燃える炎を覗き込む。


「きれいな青……」

「ブルーフレームってゆうんですよ、こういう青い炎」


そう言って唯ちゃんは立ち上がり、 あたしと並んでストーブに手をかざした。


「ちゃんと手入れせんと、こういうきれいな青色にはならんのです」

「ふうん、どうして?」

「あー、せんせぇのくせにわからんのや?」

「ほんとの先生じゃないもん、ただの大学生だもん」


拗ねたあたしに唯ちゃんは笑って、「えっと、酸素がいっぱいやと炎は青くなります」とテストみたいに答えた。


そうか、炎の色は燃焼状態をあらわすバロメーター。


「なるほどね。よくできました」

「えへへー」


青い炎は美しく静かに揺れて、穏やかな時間を連れてくる。


あたしの嫉妬の炎は赤。いつだって酸素が足りなかったな。


苦しく目を閉じた瞬間、思わず深々とため息が漏れた。


「せんせぇ、ため息ついたら、幸せ逃げますよ?」


からかうように首をかしげた唯ちゃんが巻いているのは、あの日のマフラー。


本心を口に出さなくても、あたしの目は正直みたい。


視線を追って唯ちゃんは、きれいに整えられた爪の先でマフラーをいじった。


「これ、そんなに気になります?」


なんだ、唯ちゃん、やっぱりわかってるんじゃん。


あたしは曖昧に笑って、「気になるってわけでもないけど」と、やっぱり曖昧な嘘をつく。


そう、自分でも嫌になるほど気になるよ。


いますぐ目の前のストーブで燃やしてしまいたいと思うくらいに。


苦く押し黙ったあたしを見て、唯ちゃんはかすかに睫毛を伏せた。


「明日、遊んでくれたら、外してもええけどなぁ……?」


え? いきなりの交換条件に、思わず目を丸くする。


唯ちゃんは「嘘や、嘘」と小さく笑うと、するりとマフラーを外して、あたしに差し出した。

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「これ、お返ししますわ」

「……え、ちょっと」

「せんせぇ、こればっか見てはるんやもん」


押しつけるように手の中に返されたマフラーを、呆然と見つめた。


心のままに捨ててしまえば、楽になるだろうか。


びりびりに千切って燃してしまえば、気が済むのかな。


唯ちゃんが大切にしてくれてる、このマフラーを。


「ごめん、やっぱりこれはもう唯ちゃんのものだから」


あたしはマフラーを広げて、再び唯ちゃんの首に巻いた。


髪をよける指先に唯ちゃんはくすぐったそうに一瞬、首をすくめたけど、嫌がる素振りもなく、巻かれるままにジッとおとなしく立っていた。


どことなく困ったように、目を伏せて。

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「ごめんね、心配かけて」 


マフラーをかけながら、ぼそりと呟く。


唯ちゃんはふるふると首を振り、あたしのセーターの裾を指先でぎゅっとつかんで握りしめた。


「せんせぇは、悪くないです」


快適な湿度とあたたかさのなかで、ヤカンの湯気だけが、しゅんしゅんと音を立てる。あたしは何も言えずに、ただ悲しい気持ちで潤んだ唯ちゃんの瞳を見つめた。


いいとか悪いとかじゃない。


恋は、たぶん……


ほどなく玄関の鍵がガチャガチャと開く音がして、 あたしは唯ちゃんのマフラーから、そっと手を離した。


「さて、じゃあ今日はそろそろ失礼しようかな」


お母さん、帰ってきたみたいだしね。


沈んだ空気を振り払うように、うーんと伸びをすると、唯ちゃんは「えー、もうちょっとええですやん」と拗ねたように唇を尖らせた。


「じゃあ、さっきサボッた2ページ、やってく?」

「ええわ、もう帰ってください」

「あはは」


寒いからいいよというのに、いつも唯ちゃんは玄関の外まで見送ってくれる。


甘えん坊なとこもあるけど、いつもあたしを気遣ってくれる女の子。


じゃあまた来週ねと踵を返すと、せんせぇと、ほんわりした声が追いかけてきた。


「………ヒマやったら、いつでも電話くれてええですよ?」


振り返ると、とろりとあたたかな瞳。

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照れくさそうに見つめられて、凍えきった心がほんの少し緩んだのがわかった。


「ありがと。でも、勉強の邪魔しちゃうといけないからね」

「もー、せんせぇはそーゆーことばっかりや!」

「あのね、唯ちゃん、もうすぐ受験生なんだから」

「大学生になったら、週末とかも遊んでくれはりますか?」


まず、受からなきゃね。


あたしはそんなふうに答えを濁して、夜空の下を歩き出した。


ありがとう、唯ちゃん。

あなたの気持ち、なんとなくわかっているけれど。


もうどこにも駆け出す予定のない金曜の夜。


白い星たちがゆらゆらと潤んで見える、金曜の夜。


冷たい月に呟く。あたしって、ほんとはちっともやさしくないよね。


冬休みがあけた日、ものすごく思い詰めた顔で話しかけてきたあの人。


どれほど勇気を振り絞ったかわかっていながら、あたしは初めてあなたの望みを無視した。


さよなら、友達にはなりたくない。

仁科さん、あなたのこと、まだ全然、好きだから。


だけど、お誕生日おめでとう。


その一言だけがどうしても我慢できなくて、あなたがいつも座る一番前の机にシャープペンシルで薄く書いた。


メッセージに気づいたあなたは、驚いた顔で真っ先にあたしを振り返った。


あたしは素知らぬふりで、ノートにペンを走らせていた。


キャンパスでまたひとりになったあなたは、校舎の陰でこっそり携帯を耳に当て、愛する人と話しています。



バッカじゃないの? なんてくだけた言葉、あたしには言ってくれたことなかったね。心臓を取り出して捨ててしまいたいほど、胸が軋んで痛みます。


暦が春を迎えても、まだ凍るような冬の星空。


曲がり角のところで振り返ると、まだあたしを見送ってくれてる影が見えた。


目があうと彼女はうれしげに笑って、唇が音もなく動いた。


 せんせぇー、おやすみなさい。


あたたかなストーブ。


甘い香りの中であたためられて、あたしは少しだけ微笑むことができる。


それは神様に感謝すべき、真冬の小さな安らぎ。


零れ落ちた涙を見られないように、あたしは後ろ向きでオヤスミと手を振った。


=終=


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


なにも気づかないほど馬鹿じゃないから苦しい。凛々子とつきあっていながら片思いだった真奈美は、凛々子の愛を得たいがゆえにやさしい恋人を演じ続けていました。そんな真奈美を密かに見つめている唯ちゃん。いまは子どもすぎて相手にされていないけど、でもいつか。


そんな唯ちゃん視点のサイドストーリーを、年明けからはすこし配信してみようと思います。まったりペースになりますが、よろしくお付き合いください。

では、みなさま、素敵なクリスマスを!

※追記:続きのサイドストーリー、こちらです。

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