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今どきの中学校の卒業式レポート

先生あのね。息子の中学の卒業式でした。

潔いほどシンプルなセレモニー

今回の息子の中学卒業式は、私にとっては息子の小学校入学式以来、10年ぶりの学校セレモニーだった。
(私たちは3年間ニューヨークにいたので、娘は日本の保育園卒園と小学校入学を逃し、息子は小学校卒業と中学入学を逃している)

コロナ禍を経た息子の卒業式は、驚くほどシンプルで、スマートだった。

来賓の挨拶なし。お名前の紹介すらなく「出席の来賓については、お手元の紙をご覧ください」。

祝辞の読み上げも区長1人分のみ。「その他は入口に展示してあるので、後ほどご覧ください」。

主なプログラムは、

ー校長先生挨拶
ー卒業証書を一人ずつ授与
ー在校生の挨拶1名
ー卒業生の挨拶3名
その合間に歌が数曲

とてもスッキリして良かった。

ちなみに、入場とか退場は牛歩のようにゆっくりで、息子はニヤニヤしていて、私もニヤニヤしちゃった。
証書をもらう際の道筋など、順番にとてもきれいに動いていて、訓練の跡が見られるのがさすが日本!

それでも、やっぱり泣く私

ちなみに私はすぐ泣く。

悲しくなくても、人の悲しみが私に乗り移って泣く。泣かせようとするトリックにやられて泣く。

だから、子どもたちの歌が「蛍の光」とか「贈る言葉」ではないのは助かった。これらの歌を聴くと、パブロフの犬のように一瞬で涙スイッチが入る。
ところが平成や令和の曲では、涙スイッチが入らないので平静でいられる。(ということを今回、再確認した)

卒業生が歌ったのは、

ー3月9日(レミオロメン)
ー大地讃頌
ー虹(森山直太朗)

そもそも私は、息子の卒業自体には特別な感慨がない。

穏やかな友達に囲まれて、平穏な日々を過ごせたことには感謝をしているけれど、息子の成長は、卒業というセレモニーがなくても日々感じているし、感動もしている。

なので卒業式なんて形式だけだと油断していたけれど、「別れの言葉」を読み上げる生徒が涙で詰まり、在校生も嗚咽を始めて、彼らの心の震えが私の心を揺すり、結局泣いた。

撮影も、先生との接触もなし

式にはプロのカメラマンが入っていたけれど、親子の集合写真はなし。

正直、思春期の子の親としては、「カメラマンによる強制的な親子写真」を期待していた。とはいえ、平日にも関わらず両親参加が多い中、どちらの親も来ていない子もいるだろうから、あえて全員で撮る必要もないかも、と思い直す。

担任の先生方が、生徒たちと退場したまま消えてしまって、挨拶もできなかったのも想定外。

お世話になった先生にお礼を伝える最後のチャンスだと思っていたので、この点だけ消化不良。
だけれど、先生と話してヘンな涙スイッチが入っても気まずいので、感謝の念だけ送っておく、ぐらいでちょうどいいかも。

式の終了後、校舎から出てくる我が子をただ待つ時間が30分ほど。その間に、息子の友達の保護者の方々を一人ずつ見つけ出して、初めて挨拶ができた。

私はこの2年半、保護者の皆さんとの交流はほぼゼロだったけれど、あちらからも、「一緒に図書館で勉強してくれた、なまず君ですね」などと声をかけていただき、皆さんとても感じが良い。

校舎から出てきた息子たちを捕まえて、友達同士で無理矢理、写真を撮ったりして終了。

息子が中1に転入してからの2年半を、母親として数時間でクローズできた感覚。
満足。

そういえば、受付で式次第とともに息子からの手紙をもらった。封筒に息子の雑な字で「鯰美紀様」と書いてあって、もうそれだけでお腹いっぱい。封を開ける気にならない。

本当に私は中学卒業だからと言って、特に感動もないし、悲しむ理由なんかないんだから!

もう泣くのはしんどいので、さらに泣かせようと仕掛けてくるの、やめてほしい…という気持ち。手紙しばらく寝かせておくつもり。

まさかの卒業アルバム

卒業式のお土産として楽しみにしていたのが、卒業アルバム。日頃、息子から話に聞いていた友達たちの写真を見ながら、息子と一緒にワイワイ!するつもりだった。私は。

なのに、息子が見せてくれない。「見せてよ!」と言っても「なんか気まずい」だって。何がどう気まずいのか、意味不明。

高校生になろうとしている息子の成長を、一番感じた瞬間。

寂しいけど、おめでとう。

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