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外交、仕事、ソレは。戦いなのでしょうか?

先生あのね。
20代のあのときから、「戦い」という言葉を聞くと思い出します。

先日、朝起きたら、政治学者の五百旗頭真先生の訃報が飛び込んできた。

五百旗頭さんは私と同じ兵庫県出身。政治学者であり、防衛大学校の学校長を務めたほか、防災や復興にも積極的に携わっていた方だ。

私も20代のほんのひととき、お世話になった。

当時、私は経済団体の国際部の”新人”だった。ある日上司に、「若手社会人のための勉強会があるから、君を送り込む」と言われ、その”勉強会”に参加することになった。数回のシリーズだったと思う。その際の講師が、五百旗頭先生だった。

最初の宿題として、先生の著書『戦後日本外交史』を元とするレポートが課された。

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外交なんぞに興味がなかった私。「困ったぞ」と思った。何を書こうと無知がバレるだけだ。必死で…何を書いたかは忘れた。ろくなことを書かなかったことだけは確かだ。

勉強会の初回、五百旗頭先生はとてもにこやかに迎えてくださったことを覚えている。
企業から派遣された30名ぐらいの参加者が集まっていて、30代男性がほとんどだったと思う(女性は私のほかに、年上女性が一人いたのみ)。

自分が場違いな感じがしたし、楽しさよりも居心地の悪さの方が優っていて、その後の講座がどうだったのか記憶がない。

だけど、一つだけ覚えていることがある。

最初のレポートを読んだ五百旗頭先生が、

おもしろいですね。今回、女性の参加はお二人のみ。そのお二人だけが、レポートで『戦略』という単語を使っているんです。

ところで外交は”戦い”なのでしょうか。皆さんどう思われますか?

楽しそうな笑顔で、そう問いかけた。

私は、すべてを見通されたようですごく恥ずかしかった。

五百旗頭先生からすると、外交も政治も1歳児のような知識しかない私。そんな浅さをカバーしようと必死に何かを書いたのだと思う。

「日本の外交はもっと戦略が必要だ」的な?

ロケットを打ち込んでくるかもしれない国が周りにあるのだから、当然、常時「戦い」だという意味だったのか。

あるいは、ふんわりした言葉選びをすると「のんきな女の子が甘いことを書いてるぞ」と思われそうで、何となくソレっぽいことを書こうとして、「戦略」という言葉が出たのかもしれない。

外交をテーマに書けと言われて、その中で「戦略」という言葉を使ったのが女性だけ、ということに対する五百旗頭先生の解釈は特になかったし、私も「なぜだろう」という疑問が残ったまま。

富良野スキー場にて

ただ、これをきっかけに「戦い」「戦略」という言葉に敏感になった。あえて使うにしても使わないにしても。

その後、フリーランスで仕事をしながら、同様にフリーランスや起業家として仕事をする女性の発信を見ていると、仕事に関する投稿で「戦い」という言葉を使っているのは、男性より女性の方が多いのでは、と感じることがある。

そして、「ソレは戦いなのでしょうか」というフレーズが脳内を流れる。

この世も、生きることも戦いではない。自分が戦うつもりがなければ。

しかし、虚栄を張るとき、承認欲求をエネルギーとするとき、何かに怒りを感じているとき、自分は弱者で油断できないと思うとき、この世が敵に見えるとき、「相手こそが”悪者”」と捉えるとき…

私たちは「戦い」「戦う」という言葉を使いたくなるような気がする。

ちなみに、仕事を「戦い」だと思うことでモチベーション上がる人もいるけれど、私は「仕事は戦いではない」と思うことで、楽しくスムーズに仕事ができている。

五百旗頭先生のご冥福をお祈りします。

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なまず美紀/インタビュア&ライター
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