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ナマラエンターテイメントとは

26年前。

僕は12年の東京生活から、新潟にUターンして来た。
目的があって帰ってきたわけではなく、たまたま事故で半年近い入院生活とリハビリ中に、時間があったから漠然と新潟で何かおもしろいことが出来ないものかなあと考えていた。
そんな時に父親が急死したこともあって、新潟に戻り好きなお笑いで食べていきたいと、1997年にNAMARAを立ち上げた。

その頃は新潟にはお笑いのプロダクションもマニュアルもないから、行き当たりばったり、思い付きで、勢いに任せて、自分がしたいことを好きなようにして行った。

1997年 文化不毛の地と呼ばれた新潟でお笑いライブを開催

大好きだった爆笑問題をゲストに第一回新潟素人お笑いコンテストを開催。出場者は17組。
会場には1400人のお客さんが集まった。
世間的に大きな話題となり、テレビ、ラジオのレギュラー番組も始まった。
その後、くりーむしちゅう、ネプチューン、千原兄弟、雨上がり決死隊、バカリズム、テツ&トモ、ダンディ坂野、アンジャッシュ、麒麟、パックンマックン・・・多くの芸人たちとジョイントライブを開催。
立ち上げから5年間は本当にライブの連続だった。

2002年 社会課題とお笑いを繋ぐ

2002年、立ち上げから5年目はひとつの転換期だと思う。
ライブだけでは食べてはいけず、お祭りや宴会での余興だけでは、なかなか収益が上がらなかったのですが、この年は社会問題に関わる仕事が立て続けに舞い込んだのです。
ある中学校の集団暴行事件の被害者の親とのトークイベント、精神障害者を集めてのトークイベント、自殺遺児と一緒に自殺防止イベント、不登校だった人たちとのトークイベントなど、様々な社会問題をお笑い集団NAMARAとして行った。
これを機に、単なる賑やかしのお笑いだけでなく、社会にも切り込むことも出来るお笑い集団と評価され、学校や福祉施設などにも声が掛かるようになった。
この頃から知的障害者施設「太陽の村」の夏祭りに毎年行くようになり、精神障害者とのトークイベント「こわれ者の祭典」も毎年行われるようになった。
NAMARAの定番商品でもある「お笑い授業」は1700校は回っているだろう。

コロナで消えたお笑い、生き残った社会課題

これまで、男女共同参画、観光、環境、国際交流、福祉、教育、防犯、防災、まちづくり、農業、人権、選挙・・と様々なテーマの仕事をさせていただいた。
いつの間にか新潟お笑い集団NAMARAは、一体何屋さんなんだと指摘されることが多くなり、その都度、どれもこれも「お笑いです」と言ってみたものの、僕らも正直、ぴったりとハマるカテゴリーが見つからず、もやもやしたまま20年が過ぎ頃に、SDGs(持続可能な開発目標)に出会う。
なんとなく、薄っぺらいけど、NAMARAはSDGsっぽいことをしているなあと気づき、これをうまく使って、NAMARAのお笑いを説明しようとしていた矢先にコロナがやって来た。
あっという間にイベントは無くなり、仕事半分以上減ったけど、NAMARAのSDGsっぽい仕事はコロナ禍でも生き残った。

ナマラは、「社会課題をエンターテイメントする」

世の中は社会課題だらけ。
その社会課題をおもしろく、分かりやすく伝えたり、啓発したり、解決の糸口を探したりしている現在のNAMARAの仕事を当面打ち出していきます。
よって、NAMARAとは?と問われたら、「社会課題をおもしろくエンターテイメントする集団」ということになります。
社会課題は無くなることはないので、たぶん、ずーとやって行くのだと思うけど、コロナが落ち着いたら、NAMARA立ち上げた当初のように、バカバカしくも純粋に自分たちがおもしろいと思っている「お笑いライブ」もやってみたいと思っています。
いつコロナが収束するか分かりませんが、間違いなく単純に脳みそが空っぽになるような「お笑い」が必要になって来ます。
M-1に出たい新人芸人の発掘も同時進行としてやって行きます。


記事を読んで頂き、有難うございました。
せっかくなので、ハートボタンを押してから閉じて頂けたら幸いです。
基本的にこのnoteでは新潟お笑い集団NAMARAの活動を通して、感じたことや、これからの取り組みなどを紹介していきます。

YouTubeでは、ナマラ江口としてのリアルな活動をお届けしておりますので、こちらも覗いていってみて下さい。


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