『VORTEX』で感じた人生観
「悲しみって何ですかね?」
「泣いた後、すっきりするだろ?」
ギャスパー・ノエと、こんなやりとりをした。
詳しい話は某所にアップされるので、今は置いておく。
『VORTEX』の冒頭、ラジオから流れる精神科医の言葉
「涙は悲嘆からの抜け出すための最良の手段」
を聞けば、ノエが「すっきりするだろ」と答えた理由は明確だ。ノエは泣くことで『CLIMAX クライマックス』(2018)後に訪れたコロナ禍を乗り切ったのだ。
『VORTEX』はペシミズムに満ちた映画だ。それ故、普遍的な悲嘆が満遍なく描かれている。共感できるような悲嘆や絶望をしこたま詰め込めば、どこかしらに共感できる部分があるはず……そんな考えなんだと思う。
そして辛い時、人はそこから逃げ出そうとする。『VORTEX』の夫は、妻の認知症の悪化に耐えきれず、”とある”ことに逃避を試みる。普通に考えれば
「妻がヤベー時に何やってんの?こいつ」
と思われても仕方のないことだ。しかし、オレも”しんどさ”から逃げるために、「何やってんの」と言われるような行動をした覚えがある。全く同じではないけど……。
しんどい、辛い、悲しい……2つに分かれたスクリーンで『VORTEX』は悲嘆を多面的に捉え、これでもかと観客を絶望の人生を見せつける。画面が分割されているせいで、夫と妻の分断が描かれているかのように感じてしまうが、オレはそうは思わない。
パートナーが認知症であろうと、心臓を患っていようと家族の繋がりからは決して逃れられないのだ。オレは実父がどこにいるか知らんし、姉とはほぼ絶縁しているし、母親ともほとんど会話しない。だから「家族の繋がり?ハァ?」と思う反面、妻の家族のつながりには並々ならぬ強さを感じる。
多分、オレも自分の家族と離れられないだろうし、間際には多分、関係を取り戻しているんじゃないなあ・・・と思う。
『VORTEX』には、”幸せだった頃”が色褪せて描かれる。そして”辛く苦しい今”は鮮やかな色だ。しかし、その”今”もいつか色褪せていく。人も家も。
幸せも苦しみも渦(VORTEX)となって、色褪せて、そして天に帰っていく。最後と吐息とともに。それが人生なんでしょ。
ノエからは、アルジェントとニコロディ、アーシアの話も伺った。ニコロディは『VORTEX』クランクイン直前に逝ってしまったとのこと。少しエピソードを聞いたけど、多分これはオレの胸にしまっておく。一生。
(所要時間30分)
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