継続したら意味があると思っていた君へ。

何か思いついてそれを書かなきゃと思った散歩中。
わけわからないところでパトカーがとまっていた。僕は悪さをしていないけれど、ちょっと慎重に歩いた。身分を証明できるものはスマホしかなくて、心もとなかった。何も聞かれることはなく、散歩から帰った。
最近は夜寒い、とはいえもう五月も中旬。
思い出した。
継続について価値があると考えていたけれどその考えを少し訂正しようと思う。
継続ではなくて、毎日それをやること、が価値があるのだな、と思う。

自分の少ない経験を振り返ってみても、今確かに自分を支えてくれているなと、血となり肉となってくれているなということの、ほとんどは、確かに毎日やっていたことだった。
例えばこのnoteの更新のためにかかせないタイピングスピード。
これは僕の中高生の時代のほとんどすべてを費やしたオンラインゲームから得たものである。
本当に毎日やっていたと思うし、授業中でも頭の中でゲームがプレイできていた。
TPSゲームだった。ローカルなゲームのさらにローカルゲームをやっていた。
その界隈ではある程度知名度があった、というとなんだかすごそうだけれど、単純に競技人口が少なすぎたという話である。ただ、猛烈にはまっていた。
今でもこれを書きながら頭の中でプレイすることができる。
好きなmapはtownだった。赤スタートだと左側に長い階段があって、立てこもれる小屋がある。そこを抜けるとだいたい遠距離からリボルバーで打ち抜かれる。それかすれ違いざまにショットガンに打たれる。ショットガンはブレーカーという5発入っているものではなくて、アベンジャーという2発しか打てないけれど威力の高いショットガンが好きだった。
でも、僕は結構AIMがよかった。リボルバーを二丁構えて武器を入れ替えながら歩く。そうすると、足音が消せるバグがあったのでEとFキーを交互に押しながら移動していた。今思い返してみると結構シュールな光景だったと思う。

そういう情熱のようなものは、大事なのだけれど、今はあまり情熱がうかんでこない。ただ、毎日やることの効果というか威力のようなものを再確認している。仕事でも趣味でも、体調でも…。
だから僕はこのnoteにこだわっているのだろう。
ちょっと書いていてすっきりした。
毎回うまく書けるわけじゃないけれど、そうじゃないときでも僕の血となり肉となってくれている。

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