頭の中がまとまったためしはないし、まとまるという前提はおかしいと思う。

何から話そうか。
こういう書き出しでも許されるということが、書くことの利点である。
書くというか、話すという感覚で書いているのか、僕は。
書くということはなんだか一方通行なイメージがあった。
実際にその作業は書いている瞬間は確かにそうだろう。
ただ、書いてみると、書き続けるとどうにもそうは思えない。
書いて終わりではなくて、書き続けていると、書いて、読んで、また書く。
もちろんコメントや、やり取りをしているわけではないから、反響のようなものは少ないけれど、それでも、僕がどこかノートにひっそりと書き溜めているよりも、なんだか有機的なイメージがある。

一日10分だけ書く事の良さは、自分は物が書ける人間だと心の底から肯定できることである。
逆に考えると、いろんなことが10分あればできてしまう。続けられるかどうかは別問題なのだけれど。
目標を設定するということは、最近ちょっとどうなのかしらん、と思っている。ただ、自分の一部において、目標を設定するということはいいのかもしれない。
つまり、目標に対して全神経を注ぎ込むというよりは、その瞬間だけ全力を出そうとするけれど、そうではないとき、別のことを別のリズムや感じでやってみせる、ということである。

専門家というものも、おそらくその専門分野の中で多様な枠組みがあり、本人が気が付いているかどうか、おそらく気が付いていないのだろうけれど。

じゃあいったいどうすればいいのか。
とても答えは簡単で、自分のこの考えを言葉にしてやればいい。
果たしてそうか?と思うこともあるし、そんなことをしてどうするのだ、とやめたくなることもある。
そういうのをすべて書いてしまって、あとはとっとと忘れるのである。

忘れないように書いていたと思っていた。
ただ、最近毎日こうやって書いてみると、もうすっかり忘れている。昨日の内容はまだその手触りのようなものは覚えているけれど、一週間前の文章なんてもう別人の文章と変わりはない。
だからそれでいいと思う。
前と違うことを言っていてもいいし、前と同じことを言っててもいい。
前よりもスケールが小さくなっててもいい。スケールが小さいと感じたと書いたらいい。書く事の終わりのなさに辟易するのであればそれも書けばいい。
思ったことしか書けないというのはたぶん本当ではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?