やりたいことやったもん勝ち

努力とか意志というものをある程度否定しながら生きている。
毎日少しずつやるということが、一番大事であって、それに寄与することができる範囲において、努力や意志というものが光る、ということである。
無理はできない、というところを考えている。また、最近のホットトピックスといえば脱力である。

このnoteを書くにあたって、ある種瞑想のような効果が得られていると日々感じる。
結果にこだわってしまう自分がいる。ゲームとか、将棋とかで負けたりすると、そして特に自分でもひどいなと思うような出来栄えの場合、ついつい結果だけをとらえてしまう。そこには必ず原因があって、それを分析や理解することができれば、きっとうまい方向に行く、少なくとも自分自身が成長するということを頭ではわかっている。ただ、頭でわかっているだけではだめだということは腑に落ちてしまっている、ということである。

切り離すことの重要性、こうやって書くということは、そういうぼんやりとした考えや概念に言葉を与えて、それを自分なりに整理しなおすことができている。もちろん、ある程度公開するために、本当に自分の核のようなものは書くことができないのかもしれない。
ただ、そんなものは本当に存在しているのか怪しい。

『心はこうして作られる』という本を少し読み進めている。
ざっくりとした印象だと、人間のそのような深い核というものはなく、表層しかないんじゃよ、ということが語られていそうである。そして僕はまったくそう思う。

昔はそんなことを思っていなかった。ただ、表層だと考えることができれば、すぐに変わることができるし、変わってしまうことに対して防波堤を築こうととらえることができるじゃない。その理由だけでも、深いコアのような心情があるだなんて考える必要はないということがわかる。
もし仮に自分が上手くいっていて、他の人が上手くいっていないとしても、それはそんな先天的かわからないにせよ、変化しがたいコアのようなものの影響だなんて思うこと自体がおかしい。
ということを理解できているはずである。じゃあ、表層なんだから、うまくいかなくてもくよくよする必要はないじゃないか。
自分の成長の萌芽を見つける。
うまくいかないこと、めんどくさいことに対して向かっていく。
こうやって書く事もめんどくさいから、それだけ続ける甲斐がある。
デトックスだけでうららかな気持ちに浸る必要もない。

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