いよいよ6分で1000文字かけている。

平常心でいようと思っているのではなく、今の自分がそこからどう離れているかを把握して、バランスを取ろうと最近考えている。
疲れているときには休んだり、暇だなと感じた時に何か行動を起こしてみたり。とてもシンプルながら、結構大事な概念だと思っている。
リズムが必要だということを雑談放送から学んだ。過ぎたるは猶及ばざるが如しというのは、西部邁先生から学んだ。
すべてはノートから始めるということは、倉下さんから学んだ。
というより、考えてから書くのではなく、書いてから考えたり、書きながら考えることの方が、はるかに楽で、はるかに校歌があって、はるかに楽しいということに気が付くことができた。
自分が文体を放棄してもなおこうやってnoteにかじりついているのは、書くことの効用というものを信じているからである。
自分がいつか変われるという希望もそうだけれども、実際に自分が今日も一日生きるために、書くことが必要だから書くのである。
歯磨きとか、食事とか睡眠と同じようなもので、何も特別なことではない。
書かなければ、自分自身の考えということを自分で大事にできない。
喋ればいいじゃないかというかもしれないが、喋っているときは書いているときと同じぐらい一生懸命行動しているので、自分の言葉に耳を傾けることができない。もちろんそのしゃべりを録音しているという稀有な人なら別かもしれないけれど、自分の話をフィードバックすることは不可能、というか不自然である。
自然であるほうがいいと思っている。不自然なことはなぜだめなのだろうか。続かないからか、思いつきでうまくいったとしても、それが偶然によるものであって、あまりパッケージ化することができないのかもしれない。
書く場合は逆に、読み返さない方が不自然である。こうやって書いている最中に、あ、改行が足りないな、とか最初の言いたいことからずれてしまったなとか、右上の文字数があと200文字で1000文字になってしまうな、というようなことをあれこれ考えることができる、というか考えてしまうのである。
意志や根性でそういったことを達成するということは、それこそ余分な力が入りすぎている。うだうだ書くためには、正しいフォームで書かなければならない。姿勢はよくしないといけないし、集中して、いっきに書き上げる。そのための外部的な環境は何よりも先に調整されるべきだろう。

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