下書きのまま、更新するメソッド。

読書を風呂で行っている。
最大のデメリットは、ノートに書けないということ。
書かないと自分の中に残らないような気がしている。
めんどくさがってノートなんて取らなかった学生時代に戻って、爪の垢でも煎じて飲ませたいほどである。

ただ、その行為を納得してやっているかどうか、ということが大事なんじゃないか、と最近いろんな場面で思う。
こうやってnoteを書くことは、とても納得している。何かの結果に結びついているかどうかとか、お金が稼げるかどうかとか、めちゃアクセスされているかどうか、なんてことを指標にしているわけではなく、自分との対話のような形をとれているからなのだろう。

僕は結構周りの目を気にする普通の人間だった。
一年浪人して、大学に受からなかったので専門学校に行くことになったとき、もっともらしい言い訳を周りにしつつ、夜間に通った。
なんてことはない、浪人して専門学校に入るようなやつはいなかったので、その1年の差を気にした。

とってもわかる、感覚である。ただ、まぁ別にそんなことはどうでもいいのである。どうでもよくて、どうでもよくないところが大事なんだということを優先しなければならない。
何がどうでもよくないか、というと、地道にやっていくということである。
毎日やることについて最近書きすぎているので、ちょっとそれはおいておいて、下書きについて考えようと思う。
このnoteは例外的に下書きなしで、だーっとかいて更新!しているけれど、だいたいなんでも下書きをした方がいい。ケアレスミスしない方が珍しい。これは僕が失敗しやすいとかそういう次元の話ではない。

下書きをするメリットは大きく二つある。
一つは、自分が書くときにハードルが下がる。どうせ下書きなので、何を書いてもあとで直せばいいし、ミスがあって当たり前だ、と思える。その心理的な抵抗感を大きく下げてくれるので、下書きは本当に重要なプロセスだと思う。
もう一つは、下書きをすることによって、安心することができる。
書いて出す、ということは、もしかしたら完成しないかもしれない、という恐ろしい空想に自らを追い立ててしまう。もちろん完成しないときもある。だけれど、それは下書きが完成していない、ということなので、下書きを書けばいい。すべてが完成していない、と思ったら、途端にそれに抗う労力がうせていく。スモールステップに分割する、というだけのことなんだけど、下書きという表現がちょっと気に入っている。

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