私さ、昔、大学院っていう地獄にいたんだ

 ハローこんにちは、なまむぎなまこです。
 今日は私が大学院生だった頃の思い出をつれづれに語りたいです。自分語りです。隙を与えたおまえらが悪い。

 まずはじめに、皆さんは「大学院」って、どんな場所だと思いますか? 
 うーん、もしかして!「少年院」のようなものだったりするのかな? なんて思う人もいるかな?
 惜しい! 少年院は少年法が適用される範囲、20歳までの罪を犯した人たちが収容される施設なんだよ!
 大学院との違いはね、大学院に行く人たちは日本では20歳以上なんだ!
 大学院に通う人たちのことを「大学院生」と呼ぶよ! 彼らは進学という罪を犯しているよ! 大学院はコキュートス(地獄の最下層)のようなものだよ!

 冗談はさておき。大学院に進むのは、大学生のときに「勉強が楽しすぎて就職したくねえ、もっとこの分野を専門的に深く勉強してえ〜」と、とち狂った学士(大学を卒業した人は、「学士」の称号を得られます)が多いです。たぶん。「大学院は大学よりももっとハードに勉強する場所」のイメージで大丈夫です。単に就職活動がまったく上手くいかなかった大学生が仕方なく進み、大学院生活に耐えられず失踪することもあります。たとえ地方の名もなき(名前はあるが)大学院であったとしても、無計画で進むと多くの場合、死ぬ目に遭います。

 ちなみに文系の学生が大学院に進むことは基本的に茨の道です。
 なぜなら文系の分野にものすごく詳しくても、就職口がないから。
 企業が雇ってくれないんですね。めんどくさそうでしょ? 文系の分野に詳しいやつ。ああ!!!!? めんどくさくて悪かったなあ!!!!!!!?

 特に、日本文学専攻の大学院生は、在学中も就職活動中も地獄を見ます。
 日本文学に詳しいだけのやつをさ、雇いたい企業って何か想像できますか? 私は知らない。知ってたら教えてください。お願いします。雇ってください。

 今の時代でも「日本文学専攻で院進(大学院に進むこと)は金持ちの道楽」と言われることがあるほど、人文系の中でも、日本文学専攻者はもうほとんど再生されないYouTuberみたいな目で見られます。悲しいです。いまやYouTuberの方が子供に憧れられている時代なので地位的にもどうやら大学院生の負けです。2年かけて学んでみた。教授、高評価ボタン押してくださいお願いします。

 さて、大学院には「修士課程」と「博士課程」の二種類あって、「博士課程」はマジで強いです。説明のIQが低い。

 まず大学で「卒業論文」を書き上げて合格し、その後に修士課程に進んで「修士論文」と呼ばれる論文を提出し、教授たちにそのクオリティを認められし者だけが博士課程に進むことができます。
 博士課程に進むと今度は「博士論文」を執筆する必要があり、その質が優れていることと正確であることを教授陣に認められた暁には、その専攻分野の博士号を獲得でき、無事に「博士」として正式に認められます。

 それぞれの段階で論文が必要になりますが、よく言われているのは「卒業論文を書くときは、その大学で一番詳しい人間になるつもりで書け。修士論文を書くときは日本で一番詳しい人間になるつもりで書け。博士論文を書くときは世界で一番詳しい人間になれ」だそうな。他人事みたいに言うじゃん。

 大学を卒業して「学士」になる→修士課程を修了(大学院は「卒業」ではなく「修了」と言います)して「修士」になる→博士号を取得して「博士」になる! というシンプルな過程ですが、この道は遠く険しくつらく長いロードです。
 ちなみに虎舞竜の「ロード」は全13章です。私の修士論文は全7章でした。
くそッ!! 負けた!!!

 なんで博士を目指すのかって?
 出世魚みたいなもんですね。
 学士ハマチ→修士メジロ→博士ブリ。
 ブリはうめえでしょ? そういうことです。そういうことかな?

 ポケモンで言うと、ポケモンを強くしてライバルを倒すまでが学士です。いろんな地方のジムリーダーを倒さないといけないのが修士、ジムリーダーを倒してバッジを集めてやっと挑める四天王が博士。やり込みたいから目指すんです。

 とにかく、なんとなくそんなイメージでいいです。学士< 修士< 博士の強さです。マッチョな説明だな。

 アニメや漫画に出てくる「〇〇博士」の「博士」は、単に「〇〇に詳しい人」という意味で呼ばれているわけではなくて、きちんと勉強して博士号を取得して、その学界から「〇〇博士を名乗っても良いですよ」と認められているということなのですが、逆に言えば、博士号を持っていなければ、その人は博士と名乗るべきではありませんね。
 『名探偵コナン』に出てくる「阿笠博士」は単に本名が「あがさひろし」なのだそうです。「あがさはかせ〜!」はコナンくん達が勝手に呼んでいるあだ名です。恥を知れ。貴様。苦労なくハカセと呼ばれて。なのにすっかり「博士といえば」みたいな位置にいるなんて。憎い。

 そんなわけで、あなたがもしも「ドスケベ博士を名乗りたい!」と思ったら、大学でドスケベを専攻してドスケベに関する資料や論文をたくさん読んでドスケベの卒業論文を提出し、ドスケベに詳しい教授のいる大学院の修士課程に進み、ドスケベについての修士論文を多くの場合2年以上かけて書き上げ、ドスケベの研究を深化させたドスケベ博士論文を何年もかけて(だから大体のアニメや漫画に出てくる博士はみんなおじいさんなんでしょうか? 20代で博士になることも可能ではあるのですが)書き上げ、それが認可されたときにやっとドスケベ博士号が取得でき、あなたはようやく正式に「ドスケベ博士」と呼ばれることができるのです。おめでとう! このドスケベ博士! 近寄るな!

 まあそれはともかく、私は修士課程を修了して、自分の専攻分野にはなんの関係もないところに就職しました。日本文学のジムバッジ(修士号)をゲットしましたが、特に役に立っていません。勉強、頑張ったのに。勉強がとても好きだったので、いま結構つらいです……勉強が……したい…お金がない……
 大学院は、どの課程でも大学と同じように入学金や授業料が必要です。
 これが安かったらね!安かったらね!!!!!よかったのにね!!!!!

 場もあったまってきたところで、あの頃の思い出を語らせてください。
 大学院はこの世の地獄でした。(サビ)
 修士論文を2年以内に書き上げるために、毎日研究。日々論文を読み、先行研究を調べ、ものすごく頑張って捻り出した自説をまとめ、それを教授に容赦無く赤ペンで直されまくり、圧倒的な知識量の差を見せつけられながら自分の不出来さに泣き、逐次研究成果の発表と報告のために、調べて書いて論じて直されてまた調べて書いて論にして直されて。

 あの頃はお盆も大晦日もお正月も研究室にこもり、祝日も休日も無関係でした。また、徹夜することも珍しくありませんでした。いつ終わるのか、まともな論文になる日が来るのかわからないまま来る日も来る日も頭を悩ませてやっとのことで書いた何千文字かの論文の下書きを教授にチェックしてもらい、その結果、ほぼ全文書き直しのようなこともよくありました。もはや刑罰です。
 努力しても努力しても、罪人(大学院生)と獄卒(教授)の間には、氷山の如く圧倒的な知識量の差が立ちはだかっておりました。
 小石を積むようにやっとのことで研究成果を積み上げても、「ここを直しなさい」「ここが足りない」「ここは何を言いたいのか」「ここの論拠が薄い」の指摘が毎秒ごとに入り、それはもうだんだんと「お前はなんて馬鹿なんだ?」に聞こえてきます。
 プライドはとうにへし折れて、報われる日が来るとは思えないのに努力するしかない、そして一刻たりとも休む暇などありはしない絶望の日々でした。

 しかしそれでも「あの頃に戻りたい」と思うのは、そのへとへとのつらい日々がひとつの形を作り、研究の集大成は最後に「ま、良いでしょう」と教授陣に認められる日を迎えて、ありがたいことにその年の最優秀修士論文として選ばれたからです。それはもう、嬉しかった。

 好きなことについてだけをひたすらにくる日もくる日も研究して、頭から湯気が出るほど「どういうことなのか」を考えて、同じ文章を100回も1000回も読み込んで、何十本と論文を取り寄せて、良い論文になるまで何度も自分の文章を推敲して書き直して直されてまた書いて、あの日々は、修士論文というひとつの目標に向かって走り続ける車輪の日々でした。

 今にして思うのは、自分は大学院生活で、「鼻はへし折られた方がいい」ということを学びました。いや、物理的な話ではないです!! 暴力の肯定ではありません!!
 
 例えば、イングランドの宗教家であるウィリアム・ペンはこう言います。
「苦痛なくして勝利なし。
 いばらなくして王座なし。
 苦患なくして栄光なし。
 受難なくして栄冠なし。」
 
 或いは、ドイツの神学者であるマイスター・エックハルトは言いました。
「我が苦悩こそ神なれ、神こそ我が苦悩なれ」

 私の感じたことを私の言葉で言うなら、「本当に辿り着きたいところには必ず苦難があって、それを乗り越えられなければ辿り着くことはできない(…のではないか!?)」ということを学びました。学びきれてますか?

 私の場合には、この「苦難」とは、他人から自分の思い上がりに気が付かされ、自分の矮小さを見つめなければならず、自分の未熟さに赤面しながら、泣きながら、それでも努力を積み重ね続ていかなければならなかった日々のことでした。

 一般的に、誰もが、自分の作り上げたものに少なからず愛情とプライドを持っています。
 幼児が初めてクレヨンを持って描き上げた絵でも、内向的な中学生がノートの隅になんとなく書いたポエムでも、軽音部一年生の高校生が何日もかけて作曲したオリジナルソングでも、大学生が夏休みに作った初めてのMADでも、みんな「最高……天才……」とその出来にウットリするものなのです。これを読んでいまちょっと赤面したひと、いいんですよ。みんなそうなんですよ。特に私の場合は、そのプライドがなかなかに肥大していたのです。

 ついわかりやすいので創作活動のたぐいを例にしましたが、とにかく人は、自分の力で何かに挑戦して、最後には作り上げることができますよね。完成させた当人にとっては、努力の過程もあり、その作品が輝いて見えます。
 それを自分の中にしまい込んで、誰の評価もいらない秘密の宝物にしておけるのなら、それはそれでその人にとって良い体験です。
 しかし、人間とは不思議なもので、「他人の目から見たときにも、これが最高だったらいいのに」という欲望を抱くことがありますね。
 自分の頑張りを、誰かに認めて評価してもらいたくなります。頑張ったから、褒めて欲しいのです。
 だから喜ばしい反応が返ってこなければ傷つくし、落ち込むし、悲しいし、時には「あいつらはわかっていないんだ」と拗ねたくなりますし、不当な評価に怒りたくもなります。

 しかし、自分にこてんぱんなレビューをつけるその評価者が、自分の尊敬する人間である場合はどうでしょうか?
 敬愛し、同じ分野での実力が圧倒的に自分よりも上であり、素晴らしいと認めている憧れの人物である場合、どうでしょう?

 このとき、己の鼻っ柱は逃げ場を失って、正面からへし折られます。いや、物理じゃなくて。
 「でもこの評価者は全然わかってないやつだから」のような言い訳はできません。なぜなら相手はめちゃくちゃわかっているやつであることを、自分はとてもよく知っているからです。

 言い訳も逃げる場所もなく、ただ「自分では傑作だと思っていたけど、そんなことはなかったのか…」と、現実が襲ってきます。それを鼻高々に見せていた自分が恥ずかしくなり、実力差を思い知らされて消えてしまいたくなり、なんなら、もう二度とやりたくなくなります。

 ですが、その相手は愛情をもって、「ここはこうすると良くなるから、やってみて」と教えてくれます。 
 しぶしぶ、ここから消え去ってしまいたくなる気持ちを抱えつつも、苦労しながらその通りにしてみると、なんとまあ今度はそれが見違えるほど良くなることがわかります。

 さてここからは、一般的な話ではなく、私の体験から。

 すべての大学院生には、専門家たちと専門外の評価者たちの前で、自分の研究中のテーマを発表する場が必ずセッティングされます。単に身内だけのカジュアルな発表会のこともありますし、キッチリしたスーツで行かないといけない学会のこともあります。その中間のことも多いです。まあどの規模にしたって念入りな準備がいることには変わりませんので、大学院生になる方はみなさん存分に苦しんでください。応援しています。

 規模はともかく、そこでは、そのテーマがどんなものであるかを専門外の人にもわかるように言葉を選んで説明し、なぜそのテーマがいま研究される必要があるのか、そのテーマにどのような研究価値があるかを、その場の誰もが納得いくように語らねばなりません。どんな道具を使ってもいいし、どのような資料を用意してもいいのですが、これがマジでつらい。

 さて、私はまあまあの自信を持って研究テーマの報告と発表を終えました。こちらの発表が終わると、難しい顔で腕を組む教授陣の中に、ありがたくも外部の大学院からいらっしゃってくださった、とてもとても偉い教授がその中にいらっしゃることに気がつきます。 

 なぜなら、そのお方はスッと手を伸ばしているからです。
 なぜだかわかりますか? 発表の後には教授たちからの質問の時間が絶対に用意されるからです。イヤアアアアアッその手をしまって。お願い。心臓がもはや悲鳴をあげてねじ切れそうです。
 会場にいるマイク係があの方のもとへ小走りで向かいます。マイク係は大学院の後輩のことが多いです。頼む。転んでくれ。
 
 無情にもそのお方にマイクが渡されるやいなや、「素人質問で恐縮ですが…」と、この世でいちばん恐ろしい言葉を聞くことになります。
 なぜならそれは、「この程度のことはそのテーマを研究するのならばもちろん当然に既に理解して完全に知っていなければいけないことなのですが、しかしあなたはどうやらそれが出来ていないようですね。一体それは、どういうことなのでしょうか?」という意味を含んでいるからです。京都の人が言い始めたんでしょうか?
 
 さて、その京言葉(ではない)の後に出された質問は、こちらが思いつきもしなかった視点から鋭い角度で放たれて、こちらの研究者としての自尊心を最後のひとかけらまで抉り取って粉砕するものでした。周囲の評価者もその質問にうんうん、と頷いています。
 どうやらそのえぐい質問には、納得させる回答を今この場で出さなければいけないようです。他ならぬこの私が。この恐怖、戸惑い、焦燥たるや、交感神経がどうにかなりそうです。
 さあ、冷や汗が出て全身が恐怖と焦りと羞恥と困惑に震えます。

 いやあの、そんな、全然私はそんな疑問、今この時まで思いつきもしなかったし、なんならおっしゃっていることがあまりにも高度なので半分以上何を言ってるのかわからなかったです!!!!!!

 そう正直に答えるわけにもいきません。もはや自分ではそう思えなくなってしまっていたとしても、まだ自分は研究者のはしくれとしてそこに立っていなければならないのです。
 でなければ、この発表の場を整えてくださったすべての人たちと、予定を合わせて今日ここに出席してくださった、いろんな地方のいろんな大学から来てくださっている超えらい教授陣に殺されても文句は言えません。

 なので、今すぐ何かを言わなければならないのですが、何を言えば良いのかまったくわかりません。立ち上がり、自席に置いてあるマイクの音量を調整するフリで時間を稼ごうとします。喉の奥が言葉を探して縮み上がり、キュッと変な音を立てます。
 私がなにかせめて一音でも発声しようとしたタイミングで、担当教授が仏のごとく立ち上がり、私の代わりに応答しました。
 この時これで「助かった」と思えるような人は、おそらくこの後の院生生活で死にます。これは、担当教授が「これは今のおまえの手には負えない! 私が出る! おまえは下がっていろ!」と感知したということで、要するにこのあと地獄の修行パートが始まるからです。漫画なら修行パートは読み飛ばせるのに。

 そして担当教授と超えらい権威ある教授とのハイレベルな議論が、発表者である私を置いて熱く激しく交わされます。
 そのときもう一度、「いま自分のいるところは、この人たちよりも何段も低いところなのだ」と、発表を終えたばかりのまさにその場で思い知らされます。「自分は主人公ではないのだ」と、いやでもはっきり理解します。私はヤムチャです。この日から、ヤムチャがやられるシーンがあまりにもつらいです。ヤムチャだってがんばってきたのに、それなのに評価は三流の雑魚ポジション。敗北し倒れ伏した姿はコラージュ画像用の素材として切り取られ、調子に乗っているイケイケの頃の姿の直後にその画像を貼られてネット民に笑われ続けるのです。
 
 さて、目の前でしばし空中戦が繰り広げられるのを見守っていると、いろいろあって悟空とブロリーはうんうんと頷いています。強者同士の言語では何か納得のいく論がとりあえずは出たようです。
 ヤムチャがこの戦いについていけないのはもう自覚していますが、でもこれはヤムチャのかっこいい活躍回のために用意された場所だったのに。そんな回が欲しかった。
 タイマーが鳴って、今回の発表会は終わります。もう今すぐ家に帰りたい。家に帰って泣いていたい。

 さて、院生が出す論文のクオリティは、担当教授の指導の能力をそのまま指すものである、とされているようです。
 実態はそうでなくとも、理想としてはそうでなければならないとして、そのように受け止められているフシがあります。
 ですから、院生が落書きを発表に出してきたら、「担当教授は何してたんだ」ということになるのです。担当教授と院生は、師弟関係なので。

 そんなわけで、へし折られた鼻っ柱と泣きっ面を抱えて、発表会の後はまず、担当教授の研究室に行かなければなりません。
 ブロリーとの戦いを経て更なる強さを得た担当教授が、「そっか! じゃあここもそこもあれもこれも書き直して調べ直して論文を読み直して直して直して直しまくらないといけねぇなぁ! いっちょやってみっか! でぇじょうぶだ、まだ締切まで一年ある! オラワクワクしてきたぞ!」と怒涛の赤ペンを入れてきます。DAN DAN 赤線引かれてく。教授、もはや私の書いた文章より教授の赤ペンの方が文字数が多いです。文字数のスカウターがあったら爆発を起こしています。つまり、これだけの指示に従って書き直さねばならないということですね。オラ ワクワクはしねぇぞ。

 そしてまた休みなく、今度は院生用の研究室にとぼとぼ戻って、指示文章の意を汲みながら直して直して直しまくらなければなりません。当然それは1日や2日で終わるわけはないので、数ヶ月はかかるでしょう。
 なんかもう、素晴らしい論文になるはずだったその紙切れは、今では落書きにしか見えなくなってしまいました。ギャルのパンティでも代わりに提出すればよかったのでしょうか。何日も何週間もかけて用意して、徹夜だってして、発表するまではキラキラ光っていたのに。ガッカリしながら、涙を拭って赤ペンを読み込みます。私、頑張ったのに。なのに、私はヤムチャ。

 まあ、そんな体験を幾度も経ていくうちに、ありがたいことに自分の書いた論文がちょっとずつ良くなっていきました。しかもそれは、単なる自己愛由来の錯覚的な「良さ」ではなくて、他者から見たときにも「悪くないね」と評価してもらえる、信頼のできるクオリティが身についていったのです。

 火の中にぶちこまれて叩かれてぶっ叩かれて引き延ばされて冷水を浴びせられてようやく鋼が刀剣になるように、私が書きたかったものは、他者の容赦ない批評の中にぶちこまれてあちこち指摘されて直されて書き直させられてまた別の視点から思いもしなかった指摘を受けて、ようやくようやく修士論文になり、最終的には優秀論文として認められることができました。

 この経験のおかげで、へし折られた鼻はむしろ以前より高くなりました。
 それまではナルシシズムだけが私の作ったものを誉めてくれていましたが、へし折られ粉砕されて、それでも立ち向かって、ようやくそれは本当に良いものなのだと言えるようになったからです。

 そんなわけで、この経験のおかげで私の傲慢な部分は少しだけ削げて、苦しみの経験を尊ぶようになりました。

 尼子十勇士の一人である山中鹿介のように「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈る気にはなれないのですが、今後も壁にぶつかるたび、もがき続けたあの大学院生の頃を思い出すでしょう。

 大学院は地獄でした。(サビ)
 しかし、乗り越えてみれば、いまや恋しい地獄です。
 人文系の博士課程へのハードルが下がればいいのにあ、と学問とは遠く離れてしまった日常の中で、まだあの日々に未練があります。
 今の私にも、まだまだ削がれるべき未熟さがたくさんあるのでしょう。これからも、たとえ苦痛をともなっても、人間としてより良い方に精錬されていきたいと思います。

 願わくば、我に0.5難1苦と美味しいご飯と健康と500億円を与えたまえ。
 あと、ここまで読んでくださったみなさまにラッキーを与えたまえ。

20231110
なまむぎなまこ 拝

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