田吾作が死んだ。
田吾作が死んだ。2日前に餌をやろうと思って水槽を覗いたとき、なんだか体調が悪いように感じた。
田吾作はいつも、わたしが行くと水面に近いところまで浮いてきて、イトミミズをあげるとぱくぱく食べる。たまに「イモリの餌」と書かれた小さくて丸い餌をあげるのだがそれはあまり食べない。食べ残すとすぐ水が汚れるので、最近はイトミミズばかりあげていた。
毎年夏になると日差しが強いせいか、水槽の水草がきれいに茂る。田吾作も影になって涼しだろうと思うが、多すぎるのもあんまりだなと思って、水換えをするときにいつも半分くらい捨てる。捨ててもすぐに茂ってくる。透き通るきれいな水草をゴミ箱に捨てるのはいつも気が引ける。なにか有効活用できる方法はないかなといつも思うが結局見つからず捨ててしまう。
田吾作は高校2年生の夏に理科の先生からもらったアカハライモリだ。もうすぐ夏休みになるぞという頃だったと思う。その日の理科の授業はなぜか自習で、授業が終わろうとしているころに先生が「そうだ、イモリがほしいひとがいれば、わたしに声をかけてください。理科室にイモリがいますから。」と言った。あまりにも急だったのでみんなポカンとしていた。なぜそんなことを言い出すのかわからなかったし、普段あまり素っ頓狂なことを言わない先生だから、そんな言葉が急に飛び出したから驚いた。しばらく間があいたあと「イモリってどんなのー?」とか「壁にくっいてるやつだろー!」とか好き勝手言ってみんな笑っていた。
わたしは授業が終わって先生が廊下に出たタイミングで声をかけた。
「先生、イモリほしいです。」
田吾作は、理科の実験で人工的に受精してつくられた、人工のイモリだ。
実験したのはわたしたちではなく、去年の生徒たちで、授業で実験しそのあとも先生が理科室で育てていたらしい。イモリは2〜300個の卵から数匹しか生き残らない。薬を一粒ずつ入れたりするため数十個に区切られたプラスチックの箱に、卵を一粒ずついれスポイトで栄養を与えて育てたのだそうだ。
先生とわたしは仲がよかったわけではない。そもそもあまり話したことがない。テストを返してもらうときすこし言葉を交わすくらいだ。だから先生も驚いていた。誰からも要請が来るとは思っていなかったのだろう。だってそもそもどうやって持って帰るのだろう、イモリなんて。思い出そうとしても、どうやって持って帰ってきたのか思い出せない。でももらって家にいる。
先生は本当にほしいのかと何度も聞いてきた。だから何度もほしいと答えた。あまりにも聞くから、途中でやっぱりいらないと言った気もする。でももしくれるならきちんと育てると約束した。途中でどこかに逃したりしないかとも聞かれた。そんなことするわけないじゃんと思った。先生の言いたいこともわかるけど、ずいぶん疑われているんだなぁと傷ついた。でも信用できた。ずいぶんイモリのことがたいせつなんだなと。
もらってから11年経った。飼育下でのイモリの平均寿命は10年〜20年だと聞いていた。てっきりもっと生きるもんだと思っていたから、水槽を見て田吾作が沈んでいるのに気がついたときごめんという気持ちでいっぱいになった。
田吾作が先に死ぬかわたしが先に結婚するか考えたこともあった。結婚先に田吾作を持って行けるのかな、もしダメだって言われたらどうしようと思ったりしたこともあった。
でも死んでしまった。
片付けられずに1日経った。
のろのろと水槽を覗いてみたら田吾作の周りに薄い膜みたいなのができていた。
ダメだと思って水を抜いた。このままでは水も田吾作もわたしの気持ちもどんどん悪くなってしまう。悪くなる前に片付けようと思って持ち上げたら骨が出てきた。細い、細い、小さな白い骨。
臭いし気持ち悪かった。
昔飼っていたメダカや金魚やどじょうが死んだときと同じ匂いがした。
全部が気持ち悪くなる前に
庭の木の下に埋めた。
みんなここに埋まっている。
水槽もきれいにしなきゃと思って洗った。中に敷いてあった小石と中くらいの石は庭の隅に置いた。中に沈めていた流木はいい感じに苔が生えていたけど捨てた。水草ももういらないから捨てた。もうしばらくは何も飼わないでおこうと思う。あまり田吾作に感情移入したことはなかったけれど、死ぬとすこしさびしい。
水槽があった場所は不自然に空間が残り、その横にはイトミミズとイモリの餌が置いてある。
明日また埋めたところを見に行こうと思う。