考える葦たちのユートピア
令和3年1月。
東京の新型コロナ罹患者数は爆発的である。ここ大分県も1日十数人という日が続くが、なんとなく数字に麻痺してきているように思う。
感染者数1桁の日は「今日は少ないな〜」と思ってしまう。
第一波の時、たった1名の感染で震え上がったあの感覚はもうない。
2020年、多くの人は何かしらの生活が変わったのではないかと思う。
私の生活は、実は何も変わっていない。育児の合間に家業の仕事を少し手伝うスタイルを続けている。そして元々、友人も少ないため、休日の過ごし方も変わっていない。
2020年に入って、皆マスクと消毒をするようになったが、何かしらの病に感染したくない私は、以前からマスクや消毒は欠かせないものであった。
ーー時代が自分に追いついてきたんだな。
コロナ流行初期は、そのような勘違いを起こしたものである。それに、こんなことでカリスマぶるのはどうかと思う。
とはいえ、マジで気をつけなければいけない。割と外に出たがりで、天気がいいとフラッと娘を連れて外出することも多かったが、最近はさすがに少し控えている。
なんとなくモヤモヤする日々が続く。
そこで今日は、過去の薔薇色な出来事を振り返ってみたい。
親友詩織ちゃん(仮名)と、毎年長崎県佐世保市にあるハウステンボスのバラ祭りに出向いていた時期があった。
私と詩織ちゃんは薔薇好きである。
2012年から4年間、我々はオソロのワンピを着て、この祭典に参加していたのである。
不思議なことに、何も示し合わせていないのに毎年私が写真の右側に写っている。おそらく、詩織ちゃんと歩く時、いつもこの位置関係にいるのだろう。
顔にスタンプを被せているのでまさかバレていないと思うが、2015年、30歳である。
30歳のおばさん達が、オソロのワンピを着て薔薇を愛でているのである。
…www。
しかし、人生を楽しむためには、ここで自身のことを「痛い」と思ってはいけない。この日だけは、周囲のどんな視線にも無視を決め込む。
会場に着いた途端、20歳である。我々は、キャピキャピと写真を撮りまわるのであった。
詩織ちゃんと出会ったのは、18歳の時である。大学に落ち、浪人した私は予備校で詩織ちゃんと出会う。(追憶〜詩織ちゃんとゴン)
詩織ちゃんと会うと、なんとなく18歳に戻れる。いや、あんた、
ーー35歳。
私は老け顔である。よく言えば彫りが深いのだが、30歳を過ぎた頃から顔に肉が付かなくなった。元々骨格がしっかりしている輪郭は、ゴツゴツが目立つよつになり、目は窪み、頬は痩け、夜中に鏡を見ると、自身の「骸骨おばさんぶり」に驚愕するほどである。
その上、オーラがないらしく、以前、部屋を横切っただけなのに、母から「あんた、本当にオーラがねぇな。」と言われたことがある。
ーーはいはい、すまぬすまぬ(´-ω-`)
オーラのせいかは分からないが、自動ドアとか、自動水栓等は大概一度では反応しない。
こんな私も、20代まではまだ見れたものであった。2015年が自身の限界点であったと思う。その後は、「女性」としては下り坂を転げる一方である。
その点詩織ちゃんは、あまり変わらない。彼女は年齢不詳で有名である。
2016年辺りから、詩織ちゃんも何かと忙しく、私も資格試験を受け出したこともあり、このバラ祭りに行かなくなってしまった。
しかし、もし続けて行っていたとして…
2017年辺りでは、完全に私は可愛い花柄ワンピースを着れていないだろう。
「老い」とは虚しいものである。
最近は、自分が男なのか女なのかさえあやふやである。口髭を剃っている時なんかは、どう見ても少し長髪の中東のおじさんである。
しかし、この中間な状態が心地良くもある。
思い返せば、「性別」による縛りは小さい頃から苦手である。教育現場では、明確に「男女」が区別され、男子とはこのようなもの、女子とはこのようなものと刷り込まれたように思う。
非常にナンセンスなことである。
社会に出ても結局変わらなかった。現代でこそ、女性の活躍推進ウンタラカンタラ…しかしおそらくこの国は変われない。
生物の繁殖としての問題点は大有りだが、いっそのこと「男女」という分け方をなくせば、かなり平和になるんじゃらなかろうか。女性蔑視や不倫問題も世の中から消える。
皆が中性。なんて素敵なんだ。
アウトーー‼︎
皆が中性になったところで、また別の区別や差別は必ず出現する。
生きている以上、私の考えるユートピアは存在しないことになる。
そもそも、こんなこと考えなければいいのだが。考えても何も変わらないし、こんなことに目を瞑って楽しく生きた方がいいに決まっている。
無理である。だって…人間は、
ーー考える葦である。(パスカル)
いや〜、パスカル天才だな。その通り!
とは思うものの、「考える」と「雑念」は紙一重である。
私が陥りがちなのは後者で、常に頭に何かしらのネガティヴな事象が沸々と湧いてくるのである。もはや、「考える」という高等なものではない。
あまりに雑念が湧きすぎて、入眠に差し支えるほどである。
最近は、皇室好きな詩織ちゃんの影響で、皇室の噂話を集めたYouTubeを流しながら寝る。
これが、見事にストンと眠れるのである。ここ何年か、ラジオとか音楽とか色々試したが、何故かこれが一番!
詩織ちゃんと、皇室の方々のお陰で、入眠時の雑念に打ち勝つことが出来たのである。
詩織ちゃんも、私と同様に何かしらの生きづらさを抱えている。彼女も考えすぎてしまうタイプである。
私と詩織ちゃんは、「考える葦」ではなく、「ただの葦」に近付くべきである。
↑ただの葦。
そんな「ただの葦」になるべき我々が憧れる植物。
ーー薔薇。
2012年、我々はこの生きにくい世界に「ユートピア」を発見してしまったのである。
我々は… 薔薇のお姫様である。
ーースマソスマソ(´-ω-`)
しかし、本当に楽しい思い出である。こんなことが人生で4回も出来て、幸せこの上ない。
特に2013年は、ハウステンボス内のホテルに一泊することが出来た。しかも、あの「ローラアシュレイルーム」がたまたま空いて、泊まることが出来た。
なんて優雅な一日。
あの一面薔薇に囲まれた清々しい風景と、詩織ちゃんと飲んだ紅茶の味を忘れることはない。
私も詩織ちゃんも、今は何かと忙しい。日常に追われる日々である。そしてこのコロナ禍。気軽に遠出も出来なくなってしまった。終わりが見えない不安な日々…。
しかし、我々は必ず再び「バラの祭典」を訪れる。
5月のハウステンボスで双子コーデをしているいい歳の2人組、それは私と詩織ちゃんである可能性が高い。
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