お母さんは0、100思考
今日、市場にいくと、いらっしゃい!と威勢の良い声でそばを飛ばしながら話し、野菜をうるおばさんに出会った。
なんでも一生懸命全力で投球している人を素敵だなと思う。
一生懸命全力でやっている姿と言うのは、人の魂を揺さぶる動かす。
素敵だなぁと思う。
私は昔から0 、100な人だねと言われてきた。
何事も0か100しかできないのだ。
今でこそ4人子どもを育てているのである程度融通が効くようになった。
50を取る練習というか。
しかし、やはりベースである脳が偏っているため、なかなか50は取りにくい。
1番そばにいる身近な伴走者である夫から「まいちゃん、また0 、100思想になっているよ。ちょっとでいいから、50を意識してみてごらん」と言われて、はっと気づいて、ちょっと50に近づける程度。
しかし最近思うのだ、0 100思想が私の良いところじゃないかと。
私は何事にも全力で投球する。
妥協はしない。
掃除機は洗濯機の後ろまでかけるし、もちろん冷蔵庫の後ろも冷蔵庫を動かしてかける。
キャベツの芯まで美味しくいただくし、もうお陀仏だなと思うものだって、おいしく調理する。
それは私にとって食べ物や物への敬意だから、
食べ物は命をいただいている。
命が命を失った結果、私の口に入る。
私の口に入ったものが母乳としてのんちゃんに行き、のんちゃんは育つ。
子ども達や夫がお腹を満たし、元気に毎日働ける活動できる。
命をいただくことに感謝の意を込めて、私は絶対に食事を残さない。
命をいただくにあたっての礼儀作法として、相手の誠意として礼儀正しくきちんと食べる。
食事中は実はできるだけ話しをしない。
というより、何かをしながら食事ができないのだ。
昔は、食事にしか集中できないオールマイティー効かない子としてかなり否定されたが、私は食事中は、目の前の食物に向かい合う
耳を塞ぎ、目を閉じ、味覚だけに集中する。
それが私なりの命への向き合いきた方なのだ。
0か100
ものに対してもそう、1つのものは大切に扱う。
大切に手入れをして磨いて物の定位置に置く。
その物があるべき場所へ、そっと置く。
これが私の物への敬意。
0 、100
物を手放すときは、今までありがとうと伝えて、手放す。
新しくできたスペースをきれいに掃除して、清めてから「ようこそ」と言う気持ちで新しいものを迎える。
これが私への物への敬意。
0 100
ジャンクフードだってそう「これはね、どこかの工場で、どこかの人たちが一生懸命作ったもの。大切にしなさい。味わいなさい」とこども達に伝えている。
だから私は、自然な物でなくてはいけないというこだわりは無い。
なんでもありがたいと思っていただけるから。
ものは捨てるところがない、サツマイモのへただって、甘辛煮れば美味しくいただけるし、おやつになる。
くさって使えなければ、サツマイモスタンプを掘って子どもと楽しめる
これを日々の連絡帳に押したり、自分の名刺にポンと押したりする。
「このサツマイモはバブちゃんが学校で収穫してきたものなんです。小さい苗をバブちゃんが選んで、毎日おみずをあげて作ってきたものなんです」って話す。
0 100思想の話。
昔は短所として偏っている性格、融通がきかない性格、ASDよりの脳みそだねと言われて否定されてきたけれど、私はこういう自分を最近好きになっている。
仕事もそう、何事も全力で取り組む人はかっこいい。
どんな仕事でも自分の持てる精一杯の力で100%で対応する人はかっこいい。
それが看護師の仕事だって、コンビニのバイト店員だって、セックスワーカーさんだって、家事だって育児だってそう
何事にも全力で取り組んでいる人というのは見ている人を感動させる。
私の仕事は看護師
救急車で運ばれてきた人が手を抜いている看護師に当たるなんて嫌でしょ。
しんどくってのたうち回っているときに、看護師が全力で仕事をしてくれてないと悲しいでしょう。
だから0 100で仕事をする。
全力で取り組めない時は、その旨を上司に話して仕事を緩めてもらったり、する。配置をかえてもらったり。自分のまかなえる範囲の仕事に。
そして全力で取り組めるように日常でしっかり睡眠をとって、しっかり筋力をつけて自分をコントロールする。
体の面でもメンタルの面でも
最近は、自分を整える。
寝る前に運動をして、お風呂に入ってあったまって、ヨガをしてアロマを焚いて、瞑想してから1日に感謝をして布団に入る。
こういう風に自分の中でルーティンを決めることも大事だなとおもう。
そういう話を今日子ども達としていた。
お母さんの特性なの0 100思想は、融通が効かないと言うところは。
今、私の自慢なところ、誇りに思っているところ。
自分の特性をなげかなくてよいよ。ほこりにおもいなさいと話していたり。
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