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ガリバー "法螺吹き" 男爵の冒険 第一部 巨木の森

これは、毎日少しずつ公開している『ガリバー "法螺吹き" 男爵の冒険』の総集編(一部加筆修正あり)です。

ーーエウロペ神聖帝国、海軍査問会議次席書記、アイザック・ムーア記。

海軍南方艦隊所属、ガリバー・ロッド男爵の証言より。

「わたくしは南方艦隊6番艦、"白星号"に下士官として乗船し、南東諸島の探検任務に就きました。出航後2か月程で激しい雷雨と強風に遭い、やがて高波に呑まれて白星号は沈没したのであります。その後、わたくしが3年の月日をいかに過ごし、再び帝都に帰還した由は、以下に申し上げる通りでございます」

「白星号は同艦隊5番艦の"極星号"と共に出航し、南下する中で何度も嵐に遭いながら、航海を続けました。今回の任務は、この『嵐の帯』の先に到達し、補給地点を確保することでありました。しかし50日ほど南下しましたが、穏やかな海に出ることはありませんでした。白星号は操舵に問題を抱え、極星号も満身創痍でありましたので、作戦を放棄して帰投することになったのであります」

「艦長が引き返すことを決定して数日も経たずに、2隻は再び大きな嵐に見舞われました。白星号はいよいよ波の中に捕らえられ、先行する極星号と引き離されていきました」

「わたくしの艦上における最後の記憶は、マストが風になぎ倒され、艦が真っ二つに割れ、甲板に四方から真っ黒な海水が入りこんで来た光景であります。あっと言う間もなく重い水に足をとられ、体がひっくり返されたと思うと、たちまち海の中へと入りました。もがくうちにわたくしは気を失い、波に流されるままとなったのです」

「次に目を開いた時には、白砂の浜辺に打ち上げられておりました。どれほど海の中を漂っていたのかわかりませんが、沈没した地点からさほど離れてはおりますまい。浜辺にはわたくしと共に流れ着いたと思われます樽の破片、割れたボート、細切れの板材などが散らばっておりましたが、人の姿はありませんでした。陽射しは温かく、時折湿気を孕んだ海風が吹いて、椰子の葉を揺らしておりました」

「楽園のような目の前の景色が大荒れの海からあまりにかけ離れていたせいか、わたくしは目を覚ました後、しばらく呆けてしまったのであります。気がついた時には日が翳りはじめ、軍衣はすっかり乾いておりました。わたくしは空腹と疲労を感じて起き上がり、椰子の並木の方へ、陸地の奥へと歩いて行きました」

「椰子の木立はすぐに、鬱蒼とした原生の林に変わりました。わたくしは軍衣とブーツをまとい、そして幸いなことに、小剣を帯びておりました。覆い被さる小枝を切り払い、わずかに残る獣道を追いながら歩いていきますと、急に目の前が開けたのであります」

「しかし、森を抜けたわけではありませんでした。そこには天辺が見えぬ程の大木が、互いに広く間をとって並んでおりました。幹はまるで時計塔の心柱のよう、等間隔に並ぶさまは、伝え聞く太古のミトラス神殿の列柱廊かと思われるほどであります。大木は天幕のように枝を張り、森の中は薄暗く、洞穴の中を歩いていくようでした」

「背の高い草もなくなり、ぬめぬめとした苔のような植物が地面を覆っておりました。わたくしは日が沈みきる前に休む場所を見つけなければ、せめて水場がないものか、という一心で歩き続けました。振り返ってみるともはや、大森林の入り口は木陰に溶け込み、見えなくなっておりました」

「夜が近づき、森の中はますます暗くなっていきました。わたくしは苔の生えた平らな岩に腰を下ろしました。灌木の林でわずかに感じた獣の気配も大森林ではすっかり消え失せ、警戒心が薄れていたのでしょう。水も食べ物もなく、わたくしは歩き始めた頃の空元気もなくしていました。岩の上に寝転がって空を見上げようとしたその時、地面が激しく揺れはじめたのであります」

「しかし揺れていたのは、岩その物でした。わたくしが慌てて転がり落ちますと、岩だと思っていたものは身にまとった土を振り落としながら、むくりと立ち上がったのであります」

「現れたのは虫のような四本の脚を生やした、幌馬車ほどの大きさはあろうかという四角い塊でありました。表面はゴツゴツしており、地面から掘り出された木の根のよう。丸みを帯びた蔦のような、髭のようなものがあちらこちらからぶら下がっておりました」

「四角い塊が、ばっくりと左右に裂けたかと思うと、中はうっすらと光っておりました。ぬるぬるした、カエルの粘液のようなものが溜まっているのが見えました。わたくしは尻餅をついたまま体をこわばらせ、『ああ、あれは口だ。このまま食べられてしまうに違いない』と思っておりました」

「怪物はわたくしに気づいていないようでありました。四本の脚をうねるように動かしてその場で反転し、こちらに背を向けて歩き去ろうとし始めました。わたくしはこれ幸いと思い、姿勢を変えずに後ずさりました」

「地面は湿ってなめらかな苔に覆われていたために、音をたてずにたやすく移動することができました。少しずつ怪物との距離を取り、そろそろ立ち上がろうかな、そう思った時、手を滑らせて思わず『あっ』と声をもらしてしまいました」

「ごく小さな声でした。しかし怪物は立ち止まり、再び脚をうねらせて口をこちらに向けたのであります。顔と思われる面には眼はなく、でこぼこした突起と左右に開く口があるばかりでした」

「怪物がわたくしに向き直り、口を大きく開いてシューシューと息のような声のようなもの発した時、わたくしはこの怪物に捉えられたことを感じたのであります。四つ脚の怪物は口から粘液を垂らしながら、わたくしをめがけて猛然ととびかかってきたのでありました」

「果たして、わたくしは無事でありました。と申しますのも、わたくしに襲いかかろうとした怪物の真上から樹が落ちてきたのであります」

「幹は短かったのですが太く、張り出した枝には瑞々しい青葉が繁っておりました。根に当たる部分は四本の腕のようなものが生え、蛸か烏賊のようにうねり、怪物に絡みついたのであります。その樹もまさに、怪物でありました」

「樹の怪物に捕まった根の怪物は、途端に大人しくなりました。そうして脚を縮こませて、動かなくなったのであります。樹の怪物に食べられてしまうのだろうか、そう思いながら見ておりますと、樹の怪物からひらり、と人が降りてきました」

「浅黒い肌で、黒い髪を後ろに束ねた、鋭い眼差しの青年でありました。彼は根の怪物に近づいていきました。しゃがみ込むと小さなナイフのようなものを取り出し、怪物から生えた髭を数本切り取り、籠に入れました」

「わたくしは生き延びるには、一人でさまようよりも、この青年に身柄を預けたほうがよいと判断したのであります。青年が籠を背負って立ち上がった時に、思い切って声をかけました」

「わたくしは士官学校で学んだ、帝国各地で使われる言語、古典共通語、古代デルファイ語、東方の交易商の言葉など、思い出せる限りの言語で名を名乗り、小剣を目の前に置いてひざまづき、抵抗の意思がないことを伝えようとしました」

「青年は、耳慣れぬ言語で何かを言いました。決して語気は強くなく、尋ねるような響きでした。わたくしはどう答えてよいのかわかりませんでしたので、青年が言葉を発している間、身動きせずにかの人を見ていたのであります」

「青年はわたくしの剣を拾い上げ、鞘から刀身を抜き差しした後、背中の籠に放り入れました。そうして再び、わたくしに話しかけたのであります。今度は何か命令するような、きっぱりとした口調でした。わたくしは服従の意思が伝わるように願いながら、ただ黙っておりました」

「かの青年は束ねて腰に留めていたロープのような蔦を解き、わたくしの手足を縛りました。そうして軽々と持ち上げると、わたくしを木の怪物の枝に括り付けたのであります。青年はするりと怪物の上に乗ると、幹の中央にぽっかりとあいたうろ穴に入りました」

「青年の胸から下がうろ穴に収まると、木の怪物が身震いしました。四本の腕を根の怪物から離すと、近くに生えていた大木に絡みついたのであります」

「わたくしが思わず『わっ』と声をあげると、わたくしを観察していた青年は口元を動かし、くすりと笑いました。そして真面目な表情に戻り、正面に向き直ると、うろ穴の中にすっぽりと入りました。青年とわたくしを乗せた怪物は腕をうねらせながら、するすると大木を登っていったのであります」

「怪物は大木の幹にしがみつき、どんどん登っていきました。林床で縮こまっていた根の怪物が起き上がり、地面に潜っていくのが小さく見えました。そのうちに枝が張り出すようになり、枝葉が交差して緑の雲のような塊を作りました」

「青年とわたくしを乗せた怪物は、腕を伸ばして太い枝に取りつきました。そうして枝同士を、猿のような身軽さで渡っていったのであります。わたくしは木々の海中を泳いでいく大魚の背にしがみついているような心地でありました」

「上空にはまだ枝が広がっていましたが、木々の海には林床よりも強く陽光が射し込んでおりました。夕陽に照らされた葉が琥珀色の鱗光を散らすさまは、縛り付けられて行き先も知れずに運ばれていく、己が身の上を忘れかけるほどに美しいものでありました」

「森が夕闇に溶けだしたころ、目指す先にひときわ太く背の高い木々が数本まとまって、黒い城のように立っているのが見えました。大木はあちらこちらがうっすらと光っておりました。大木の一つに近づいていきますと、それまで巨大な怪物と思っていたものは、せいぜいが蟻か、黄金虫かという程度の大きさに思われました」

「青年が怪物のうろ穴から顔を出し、大木の幹に手を当てますと、幹の中央がぱっくりと開いたのであります。そうしてわたくしを縛り付けたまま、怪物は大木の中に入っていきました」

「大木の中は天井の高い廊下が続いておりました。大きな木目が波打つ壁には等間隔で薄黄色の灯りが並び、建物の中にいるようでした。いくつかの扉の前を通り過ぎた後、曲線と丸が組み合わさった図形が書かれた扉の前で怪物が止まりました」

「扉がひとりでに、音を立てて開くと、中には同じような姿をした四つ脚の木の怪物が2体並んで佇んでおりました。怪物を留め置く、厩舎のような部屋かと思われました」

「青年とわたくしを乗せた怪物も列に加わり、動かなくなったのであります。青年は怪物のうろ穴から出ると、軽やかに床に降りました。そうしてわたくしを枝から下ろして、そのまま肩に担ぎました」

「わたくしは『ひとまずなされるがまま、行くところまで行ってしまおう』と開き直る気持ちがあったものですから、何も言わず動きませんでした。青年はわたくしと背負い籠を担ぎ、厩舎の奥にある扉の前に立ちました。やはり扉がひとりでに開くと、青年は中に入っていきました」

「短い廊下を歩くと、大きな広間に出ました。脚の短いテーブルがいくつも並び、老若男女が床に腰かけて談笑したり、何か食べたり、あちらこちらを歩き回ったりしておりました」

「青年は皆に聞こえるように、大きな声で呼びかけました。若々しくも太く、聞く者を捉える響きがありました。人びとは話をやめて、こちらを向きました。年少の子どもたちが『わーっ!』と声をあげて走り寄ってきました。大人たちもやって来て、口ぐちに青年に話しかけました。皆、肌は浅黒く、頭髪は緑がかった、艶やかな黒色をしておりました」

「青年は人びとを手で制すると、背負い籠を近くの少年に手渡しました。そしてわたくしをテーブルの上に置き、手でさして話し始めました。どうやらわたくしを拾ってきたことを、皆に説明しているようでありました。人びとは青年の話を聞きながら、時々わたくしの顔をのぞき見ておりました」

「青年が語り、周りの人びとと議論している間、わたくしはテーブルの前に並んでわたくしの顔を覗きこんでいる人びとを観察しようと思いました。男も女も、老人から子どもまで数十人ほどがその場におり、物珍しそうに目を輝かせていました」

「わたくしが暴れる素振りを見せなかったためか、皆が青年を信頼しているからか、わたくしを恐れたり、ひどく虐めてやろうという者はありませんでした。子どもたちがわたくしの肩や腕を突いて『ひゃあ』と言って逃げ去ったり、数人のご婦人が物珍しそうにわたくしの衣服をあらためて、きゃあきゃあと黄色い声をあげたりしております」

「青年が2、3回手を叩くと、周りにできていた人の輪がほどけていき、話し合いが終わったようでした。人びとは思い思いに散っていき、広間は再び楽しげな声に包まれました。わたくしはこれからどうなるのだろう、と思っておりますと、青年と話をしていた中年と年若い男性2人に担ぎ上げられたのであります」

「2人はわたくしを担いで広間を出ると、通り過ぎる人に奇異の目で見送られながら、長く広い廊下を歩いていきました。いくつもの扉の前を通り、延々と一本道を歩き続けました。いったい何リーグ歩いたか検討もつかなくなった頃、男たちは扉を開けて部屋に入りました」

「棚と脚の短い小さなテーブル、そして分厚いマットレスがあるだけの簡素な部屋でした。男たちはわたくしをゆっくり床に下ろしました。床一面に生えた草が、毛足の短い絨毯のようにわたくしを受け止めました。2人組の男性はすぐに部屋を出ていき、扉がひとりでに閉まりました」

「部屋か静かになると、わたくしはのたうつようにして仰向けになりました。見上げた天井には葉が丸まって球になったものがぶら下がり、薄黄色の光を発して室内を照らしておりました」

「ぼんやりと光る球を見ていると、鈴のなるような、しかし乾いた音が聞こえてきました。扉が開き、はじめに出会った青年が入ってきたのであります。青年は両手にジョッキのような形をした植物を持っておりました」

「植物のジョッキをテーブルの上に置くと、青年はわたくしを縛っていた蔦を外してくれたのであります。そうしてテーブルの上に置いていたジョッキを取って、わたくしに渡しました。中を見ると、澄んだ薄緑色の液体が溜まっています。青年はもう一つのジョッキを取り、自ら口をつけてごくごくと飲みました」

「わたくしは手元のジョッキに顔を近づけてみました。液体から少し青さがある爽やかな香りが漂ってきました。目を閉じて一口飲むと、香ばしい匂いが鼻を通り抜けていきました。飲み込むと胃の中から例の爽やかな香りが立ち上がって、口の中に広がりました。舌には微かに甘い風味が残っておりました」

「わたくしの体は乾ききっておりましたので、再びジョッキに口を付けるとぐいと傾け、残っていた液体を飲み干してしまいました。全身に水分がじんわり広がっていき、わたくしは深く息をつきました」

「思わず『ありがとう』と青年に言っておりました。かの人は意味は分からなかったでしょうが、わたくしが涙ぐんでいるのを見て、静かに頷いて聞いてくれました」

「青年は自らのジョッキを空にしてから二言三言、何か言葉を発すると、ジョッキを持って立ち上がりました。かの人がわたくしを見てポン、と手を叩くと球の光が消えました。再び叩くと光が戻りました。数回手を叩き、光を点けたり消したりしてから部屋を出ていきました」

「青年が出て行った後、わたくしも両手を叩いてみました。青年の時と同様に光が消え、再び点きました。わたくしは部屋にあったマットレスの上に寝そべり、再び手を叩いて部屋の灯りを消しました。目を閉じると、1日の中で起きたことが次々に思い出されました」

(まとめ読み版2に続く)




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