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凡人のくせして天才の真似事。それは幸せか不幸か!?【265目】

「音楽は免許制にした方が良い、
そうすれば、不幸な人が減る」

私が音楽をやっていた時に
聞いた言葉です。

アホか!という気持ちと、
まぁそうかもなとも
思いました。

音楽だけでなく、
どの分野においても
凡人と天才がいます。

そこには免許もなければ、
明確な境界線もありません。

自分が出した結果と、
それに対する他人の評価が
全ての世界。

天才は天才のオーラを纏い、
凡人もまた同じ。

そこで、

凡人は2タイプに
分かれるように思います。

ひとつは、

何もしない、
しようともしない凡人。

もうひとつは、

天才の真似事をする凡人。

何もしないタイプは、
字の如く何の影響力も
持ちません。

天才の真似事タイプは、
側から見ると天才っぽく
見える時もあり、多少なりの
結果も出ると思います。

努力の連続でもあり、
表では笑っていても
裏ではチキショウの連続。

自分との戦いでもあります。
天才とも共通する部分です。

自分との戦いの中で、

勝ちを感謝で捉える、
もしくは驕り高ぶる。

反対に、

素直に負けを認めるか、
認めずに他人や社会のせいに
し続けるか。

この線引きが、
実力をはじめ、
その人自身の評価に繋がる
部分だとも思います。

そもそも、

天才の真似事を
している時点で、

この先の進路予測が
難しく不安定な状態でもある。

常に迷いが付き纏います。

しかし、

迷いながらも、
努力は続けるので
基礎体力は付くでしょう。

また、同時に物事への
選球眼も養われる。

いつのまにか、自分と同じ
凡人レベルの見極めも
できるまでに。

そうやって
研ぎ澄まされていくほど、
その矛先が自分に向くと
自分自身の言動が嫌になる。

嫌になったら
また考えて行動。
その繰り返し。

そう考えると、
天才を目指すのは
不幸の始まりかもしれません。

別の言い方をすれば、
天才を目指すゲームに
夢中になっている幸せ。

追いつけないと
分かっていながらもです。

なので、

最初から自分は凡人である
と認めて、

これは(人生)は、
天才を目指すゲームだと
割り切れば楽ですね。

ゲームのスタートが、
10代なのか20代、30代、40代で
難易度は変わります。

そして、

ゲームなのに、
負けた時、素直に認めず
嘘や卑怯な手を使うから
おかしくなるのです。

上手く行かない時は
チキショウの精神でOK!

常に自分を冷静に
見つめて軌道修正して
いければと思います。

ありがとうございました。

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