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島から初の甲子園への夢、敗れる。【249目】

昨日、甲子園をかけた
沖縄県予選準決勝でした。

我が母校でもある
宮古高校がベスト4に残ったのは
8年ぶり。

JTAが宮古→那覇の臨時便を
出すほどの盛り上がりでした。

結果は、
負けてしまいましたが、
素敵な夢をありがとう!

島内は老若男女問わず、
大盛り上がり!

今年こそは!と
皆で描いた夢。

知る人ぞ知る大先輩(75歳)が
元気なうちに叶えたい!

先輩は宮古から甲子園へ!
という夢を掲げて
青年会議所時代に
少年野球大会を開催しました。

この大会は今年の夏で、
第43回大会。

本当に野球に対する思いの
ある方です。

先輩が若かりし頃の話。

長嶋茂雄さんを訪ねて東京へ。
(もちろんアポなし)

わずかな情報を元に、
近くの交番に聞いて自宅を探す。
(凄い時代です)

突撃訪問で会える訳もなく。

とりあえず島からのお土産と
手紙を玄関先に置いて帰る。

後日、まさかの連絡があったという。
(相当、熱のこもった手紙だったはず)

そこから、奇跡の
長嶋茂雄 宮古島講演が決まる。

先輩は同時期に、
島にプロ野球のキャンプ誘致も
計画しており、行政を動かし
プロレベルの球場も設立。

この動きが後の
オリックスキャンプ誘致へと
繋がった。

こんなにも熱い先輩が、
毎年毎年、甲子園への
夢を持って活動しています。

私の父も先輩とは
年齢ひとつ違い。

父も試合前日には那覇に
飛びました。

戻った父に聞きましたが、
球場には、
市長や元商工会議所会頭らも
いたようです。
(ともに父や先輩と同世代)

世間ではオジィチャンの
年齢の方々が頑張っている。

飛行機でわざわざ
行く訳ですから。

頑張っていると言いますか、
島に対する思いを持っている。

今回思ったことは、
準決勝から盛り上がる
のでは遅いということ。
(私も含めて)

冷たい言い方ではなく、
「島から甲子園へ」の夢を
どれだけ多くの人達で
共有できるか。

色々とややこしい
現実がそこにあるのは
百も承知。

口だけで課題を共有しても
仕方ありません。

様々なタイミングが
重ならない限り厳しい現実。

現に、甲子園を春夏連覇した
興南高校ですら、
当時の監督が指揮しても
出場すら難しいのですから。

ただし、

お隣の石垣島は出場経験がある。

離島でも、さらには県立高校でも
可能性は大いにあるのだ。

力のある選手が、
島を離れて強豪高へ行く。

これが1箇所(島)に集まれば・・・
と多くの人が言う。

しかし、その子自身の夢もある。

この辺りが難しい・・・

しかし、

そうも言ってられないので、
私たち大人が応援できることは
なんだろうか。

今回、同級生が監督だったので、
今後、夢を叶えるには
何が必要なのか?

本音トークで、
次に繋げていければと
思います。

ありがとうございました。

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