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##02 文化の盗用について

ミンミンミンミンミンミンミンミンミンンミンミンミンミンミンミンミン       よくこんなにも鳴き続けられるな...と感心します。暑いですね今年も。


今日はずっと気になっていた文化の盗用について考えたいと思います。

文化の盗用って?

文化の盗用(ぶんかのとうよう 英: Cultural appropriation)とは、ある文化圏の要素を他の文化圏の者が流用する行為である。少数民族など社会的少数者の文化に対して行った場合、論争の的になりやすい。流用の対象となる文化的要素としては宗教および文化の伝統、ファッション、シンボル、言語、音楽が含まれる​。ー引用元:Wikipediaー


今回これを考えるキッカケになったのは1つの動画。自分と違う肌の色の人のGIFなど絵文字は使ってはダメなのか、というもの。よく髪の毛や服装など、対象の人種の歴史や文化について深く学ぶこともせずに真似をすることは文化の盗用だという。が、それがついにGIFにまできた。現代のブラックフェイスらしい。

ここで私の立場を言うと、正直日本に生きてきた私は文化の盗用なんて気にしてる場合じゃない。日本は歴史から見ても他国の文化を取り入れて今では意味も分からず、日本オリジナルのように作り替えて残っているものが多々ある。それを指摘されると大変耳の痛い話なのだ。

話を戻すが、今回このように言っていたのは黒人の方達だった。彼女らが言うには学ばずに使うのがダメらしい。音楽や服装から髪型、今日のGIFなど敬いもせず使いたい時だけ使って飽きたらポイ捨てなど、そういった態度が自分たちの価値を下げられていると感じるようだ。

私たちは他人の娯楽や『カッコイイ』やストリート系に見えるための飾りではない。自分たちがどのように見られたいかは、自分たちに決めさせてほしい」。またそれを理解した上で使うとするならば「そのときの自分の心情を考え、自分が何をしているのか、何をしようとしているのかを考えてほしい」と。

彼女たちの言い分も分からなくはない。黒人の「歴史」はあまりにも無下にされすぎてきた。歴史は常に勝者によって書き換えられる。(勝者というべきかは疑問だが)黒人は居ない者とされてきた時間が長い。だからこそ自分たちが守ってきた文化や思想を大切にしたいのだろう。親しく近づいてきてもそれが一時的なものと感じたら誰でも嫌な気持ちになる。

ただ思うのは、過度のバリアは自分たちを孤立させることになるということ。今までだったらそれで良かったかもしれない。自分たちの尊厳を守るため、それを周囲に気づかせ、立場を確立するためにそのバリアは役に立つだろう。ただこれからは少し違う。現代の人たちは黒人の歴史や彼らが大事にしていることを、全てではないが少なからず学んできた人たちだ。これから必要になってくるのは、みんなが知ったそのパワーを周りに触れさせることだ。

確かに触れてもらう中でこちらの意図とは違う意味で汲み取る人も出てくる。使い方が違う場合やそれこそポイ捨てするやつも出てくるだろう。でもその過程は現実として起こりうることであり、避けることはできないあくまで過程だ。だからこそマスコットとして使ってくる人たちと、リスペクトして使う人たちの見極めが必要になってくるが、今回の場合は全員を避けているように感じた。

慣れることの重要性

話は少しずれるかもしれないが、私の母の話をしようと思う。母は昭和の人間で少し差別チックな発言が言葉尻に感じられることがある。私は昔からそんなところが苦手だったのだが、それがあるタレントにスポットが当たった。マツコ・デラックスさんだ。彼(彼女)の容姿が母には最初受け入れることができなかったらしく、それだけの理由でチャンネルを変えていたほどだ。ーまぁ容姿が受け入れられず(どうしても苦手で)チャンネルを変えてしまうことは幼い頃私にもあったーただ、私にはマツコさんの性格や話す内容はどれも母に近いところがあるし、気が合う方だと感じていたので余計母の反応が残念に思えた。母はマツコさんの話を聞かずに見た目だけで判断していたから。

それから月日が流れ、大人気のマツコさんは変わらずTVに出ている。変わったのは母の方だった。あんなに避けていたマツコさんの番組を全て制覇していて何なら好んで自ら見ているのだ。私がその変化についていけないほどだった。気になって聞いてみると「慣れた」。その一言だった。笑

生きていて1番怖くて1番すごいところは「慣れ」であると思う。最初のきっかけが何だったかは知らないが、嫌でも視界に入ることでその対象を知ることになる。そうすると1つや2つは受け入れらるものが見えてくる。それがずっと続くとその対象に慣れてくるのだ。

この話で何を言いたいかというと、自分を受け入れてほしいと思うならば相手に慣れてもらうことが1つのポイントだということ。自ら他者の中に入っていく、もしくは他者を受け入れることにより、お互いのことをより深く知ってリスペクトし合う。それは人間性だけでなくその人が大事にしたい文化やその理由なども含め。最初は叩かれ、面白がられ、たまには捨てられ、そういうこともあるかもしれない。それでも分かり合いたい、分かりあうべきだ。そういう気持ちが最後により良い関係へと導くのだろう。

結局は相手と本当に仲良くなりたいのかどうかだ。何を求めていてどこをゴールとしているのかで変わってくる。私はこの動画を見たとき、もしくは文化の盗用だと声をあげる方達を見るたびに、彼らは何を求めているのだろう、人間社会のあり方として何をゴールとして考えているのだろう。そんなことが頭に浮かんでしまうのだ。

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