【小説】アブラーム・ルゴジュ、以て瞑すべし

 アブラーム・ルゴジュはキシュダエルド村に暮らす平凡な農民であったが、年老いてから死の恐怖に取りつかれ、最後の審判の後に訪れる主の救いではなくもっと手近な永遠を望んだ。すなわち神に背き、百二十年も生きていると村人から信じられている村外れの魔法使いに密かに弟子入りしたのだ。
 弟子入りしてからほどなくアブラームは死んでしまったが、背信への神罰は覿面であった。彼は死後、夜な夜な墓から起き上がっては巷を彷徨して生者を襲う「生ける屍」(ストリゴイ)となったのである。誰からともなくそう噂が流れ、話が広まるにつれて目撃証言も次々と挙がった。埋葬された者が起き上がるのは、母なる大地がその者を受け入れることを拒んだからである。呪われたストリゴイは死の安息を得ることがない。神を裏切った報い、怖気をふるうような冒涜の結果ではあるが、確かにアブラームは永遠の生を得た――と思われた。
 しかし、それでは済まなかったのが残された親族である。ひとつには身内からストリゴイを出したことがルゴジュ家の汚点となるため。もうひとつにはストリゴイはまず親族の生気を狙うため。ルゴジュ家の者たちは村の寄り合いでストリゴイ退治を提案した。不浄で危険な存在の駆除に反対する者などいようはずもなかったが、ストリゴイが現れたなど、昔はいざ知らず今時分はどこの村でも聞かぬ。長老や神父が知っている限りを吐き出して、どう退治するかの議論が幾日も行われた。
 ある日の正午、村人たちは示し合わせて手に手に鋤鍬や鎌を持ち、墓へと向かった。日は中天にかかり、墓を暴く農夫たちの顔には汗が滴る。柩を掘り出し、蓋をこじ開けると、ああ神よ。そこにはアブラーム・ルゴジュが生前と変わらぬ姿のまま、いや、むしろ生前より生き生きと横たわっていた。口の端には血が滴り、薄笑いを浮かべている。間違いなくストリゴイだ。アブラームの体を日の下に引きずり出し、荒縄で縛り、胸に杭を打って、鎌で首を落とす。杭の刺し傷と首の切断面から血は淋漓と流れ、肺腑からは世にも恐ろしい叫び声が絞り出された。そうして首と胴体が泣き別れた遺体を火にくべることで、当事者にとっては恐ろしくも、かつては往々にしてあったという、平凡なストリゴイ退治の話は終わった――と思われた。
 それではいささか面白くない、と、退治後の寄り合いで言い出したのは小間物屋であった。彼の言うことには、今都会では『吸血鬼ドラキュラ』なる書物が大流行し、その話の舞台となっているカルパチアの辺りには物見高い金持ちの暇人が押しかけているという。そして彼の地では金持ちどもに当地の伝説を説き、曰くありげな石ころを売るなどして金を巻き上げ、空前の好景気に沸いているのだとか。ならば、我々もこの事件を奇貨として稼ぐに越したことはないだろう。
 いささか金には汚いが、ものごとに敏く、口が達者で、また村の外とつながっている数少ない人間がこの小間物屋だ。その言葉には説得力がある。おまけに今年は不作で、村の財政は日に日に厳しくなっている。降って湧いたストリゴイ騒ぎを金に換えられるのなら願ってもないことだ。衆議は一決した。神父もあえて反論はしなかった。では今回の騒ぎを小間物屋が街に広めればよい――村人たちは言ったが、小間物屋はそれを制する。曰く、ことはそう単純ではない。ドラキュラは伯爵だ。一方でこちらのアブラームは単なる百姓だ。金持ちどもが求めているのは怪奇なる幻想(ゴシック・ロマンス)なのだから、ただの農民では格好がつかぬ。本当はどうにかして爵位が欲しいがさすがにそれは無理なので、系図を捏造してドラキュラ伯のモデルとなったヴラド公の落とし胤の子孫とでもしようではないか。死体が蘇って人間を襲うという騒ぎだけでは客は来ない、有閑の紳士淑女が喜んで金を落としたくなるような胸躍り背筋の凍る物語が求められているのだ。たとえばそら、生前に為した勲功と高潔なる人柄、薄幸の美女との悲恋、運命のいたずら、絶望と背信、暗き森への隠棲、悪行への傾倒、報いとしての恐ろしき死に様。そしてストリゴイ――いや、ストリゴイでは方言丸出しで格好がつかぬ、ヴァンピールとしての復活、美しき乙女の白い首元から真っ赤な鮮血を啜る恐ろしい牙。
 しかし、とルゴジュ家の者が口を挟む。俺が言うのもなんだが、アブラーム爺さんは平凡な田舎男だ。語るべき物語も何もない。小間物屋は鼻で笑う。そんなことはどうでも良い。我々はこれからアブラーム爺さんの人生を一から作り直すのだ。なに、この村の者を除いて誰もアブラーム爺さんのことなど知らないのだから、簡単なものだ。平凡な田舎男ではない、気高き魂を持ちながら高貴にして冷酷な血筋と数奇なる運命故に悪に変じた恐ろしい男。今年の不作も、何年か前の洪水も、アブラーム爺さん、いや、アブラーム卿の魔術によるものなのだ。そして正義に燃えた彼の子孫――そう、君たちが、彼を退治し、安息を与えたのだ。君たちはその後、アブラーム卿の呪いにより死んだことにしてもらいたい、表舞台に出れば必ずボロを出すからね。心配するな、分け前は弾もう。
 こうして小間物屋を中心に、ルゴジュ家の歴史が捏造され、アブラーム・ルゴジュの人生が遡及的に形成されていった。村の事物や元あった伝説がことごとくアブラーム・ルゴジュに結び付けられ、その名は石碑に刻まれて村のそこかしこに建てられた。村人たちは口裏を合わせて彼の生き様と死に様、その気高さと恐ろしさを語り、だんだんとそれが本当にあったことのような気がしてきた。おまけにもう一つ、「彼の死体は焼き尽くされたが、一陣の魔風がその灰をさらっていった。いずれどこかで彼は蘇るのかもしれない――」と、話に余計な尾ひれがついた。少しばかり恐怖を残しておいた方が受けるだろう、とこれもまた小間物屋の発案である。
 こうしてかつて平凡な田舎の老人だった男は、忌まわしき魔法使いの弟子から村人の心胆を寒からしめる悪鬼となり、遂には村に人を呼ぶためのつくられた伝説へと変貌を遂げた。もはや生前の彼の原形をとどめる要素はアブラーム・ルゴジュという名前だけである。彼自身が見たら、いったいこれが本当に自分自身だと思えるであろうか。しかし石碑が朽ちぬ限り永久に彼の名は残り続けるし、人々の口の端に上る話では彼は死を超越した存在になったのだ。もとの望みからはかなり歪んだ結末ではあるが、確かにアブラームは永遠の生を得た。アブラーム・ルゴジュ、以て瞑すべし。

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