【小説】人おっさん

「プレゼントをあげよう」
 はるか昔、私がまだセーラー服を着ていたころ。いつものように家にも戻らず夜遊びをしていたある日、たまたま歩いていた人気の少ない道で、後ろからそう声をかけられた。振り返るとそこには、脂ぎった中年の男性が立っていた。低い身長、禿げ上がった頭、締まりのない口、てらてらと汚らしく光る肌、だらしなく垂れ下がった腹に、毛深い手。私が、いや、私だけでなく若い女性の多くがイメージするであろう「キモイおっさん」を体現したかのような姿であった。ちょうど満月の晩で、ロマンチックな月の光がロマンチックさのかけらもないその顔を照らしていたのを覚えている。イヤなものを見た、そう思って無視しようとすると、もう一度「プレゼントをあげよう」と話しかけてくる。今度は妙に近いところから聞こえた、そう思った瞬間、首に重みと痛みを感じて咄嗟に身をよじる。振り返ったすぐ目の前にさっきのおっさんが口を開けてにやにやと笑っている。その黄色く汚れた歯にほんの少しではあるが血がついているのを見て悟った。首筋に噛みつかれたのだ。こちらが悲鳴を上げる間もなく、ヒヒヒ、と気持ちの悪い笑いを残して男は体に似合わぬ機敏な動作で走り去っていった。
 変態の犯罪者である。警察に言おうかとも思ったが、自分の体験を思い出すのも嫌で、更には夜遊びをとがめられることを想像してためらわれた。幸い噛みつかれた傷は浅く、虫刺されとごまかせる程度だったので、そのまま忘れることにした。ただ、その道は二度と通らなかった。
 変化があったのは、一か月ほど経った頃であった。その日は朝からなんとなくだるかったのだが、夕方、体に違和感を覚えた。自分の体が自分のものでないような、妙な感覚。熱でもあるのかと思って自分で触った額が妙に油っこい。たまたま近くにあったトイレに入って鏡を見ると、自分の顔が急速にむくんでいくのが見えた。それだけではない。顔つきが変わり、髪は薄くなり、身長までが縮んでいく。自分のものでなくなった顔を見てすぐに気づいた。前に噛まれたあのおっさんそっくりである。自分はキモイおっさんに変貌してしまったのだ。
 なぜだかわからないが、最初に考えたのは「女子トイレにいる今、人に見られてはまずい」というごく実利的なことであった。といって、今着ているのはセーラー服である。外に飛び出れば「セーラー服の中年男性現わる」と騒がれておそらく警察沙汰だし、もしも自分が変化するのがあの体格だとすれば、セーラー服は破れて使い物にならなくなり、更にひどいことになる。慌ててトイレの個室に逃げ込み、鍵を閉めて服を脱ぐ。全裸中年男性の完成である。ひどく惨めな気持ちで何時間もそこに居続けた。幸い夏であったため裸でいても寒いということはなかったが、汗と脂でぬめった自分の体がひたすらに不快であった。あのキモイおっさんに噛まれたことが原因としか思えないが、自分はどうなってしまうのか、一生このままなのか……恐怖と絶望にまんじりともせず夜を明かした。明け方5時ごろに、前の夕方と同じような違和感を体に覚え、手を見ると太く短く毛深かった指がいつものように戻っている。体も、手鏡で見た顔も、元の若い女だった。安堵に涙を流し、しかし一方で、これが最後ではないような、不吉な予感があった。
こういう悪い予感は、だいたい的中する。私は大体一か月ごとにキモイおっさんに変わるようになっていた。その日は一日だるく、夕方に決まって体に違和感を覚え、日没とともにおっさんになり、日の出とともに元の体に戻る。
おっさんになっている間も意識は自分のもので、体も多少固いこと、贅肉で重いことを除けば自在に動かせる。力などは元の体よりあるくらいだ。……だからどうだと言うのだ。なぜ一ヶ月に一度、こんな牢獄のような体に閉じ込められなければならないのか。何がプレゼントだ。自分の運命を呪い、あのキモイおっさんを呪い、世のあらゆるおっさんを呪い、世界を呪った。
 どうにかならないものか。周りや医者には相談したくない。実例を見せない限り信じてもらえないだろうし、実例を見せて信じてもらえて、それが何になるのか。治してもらえるとはとても思えない。自分でも調べてみたが、「キモイおっさんに噛まれたせいで月に一度キモイおっさんになる」なんて頭のおかしい話、他には見つけることができなかった。
 強いて言うなら、似た話は見つかった。狼に噛まれた人が、月に一度、満月の夜に狼になってしまうという伝説――狼男とか人狼とか言うんだそうだ。まさかと思って手帳を見返してみたら、おっさんになる日は確かに、満月だった。つまり私は、「人狼」ならぬ「人おっさん」――。
 ああ、せめて狼だったらどんなに良かったことか!
 狼になるのを治す方法は存在しない、と書かれていたことも私を絶望させるには十分だった。自殺も考えたが、さすがに死にたくはない。悩みに悩んだ末、私は諦めて生きていくことを選んだ。一ヶ月に一度、引きこもってやり過ごせばいい。そう前向きに考えることにしたのだ。
 短大でも、就職先でも、満月の晩だけは死に物狂いで一人の時間を確保した。結婚を考えるような機会も何度かあったが、結局この体質のせいでご破算になった。もしかしたら理解してもらえるかも、と思ったが、相手の気持ちを考えるとどうしても踏み切れなかったし、その先のこと、月一回男に変わる体で子供が作れるかどうか、という問題もあった。さすがに試す気にはならなかったのだ。いつの間にかオールドミスと陰口をたたかれるようになったのは知っていたが、気にならなかった。むしろ吹っ切れて、満月の晩に引きこもるのをやめ、中年男性の体で女の身では入りづらい場所に出かけるようになった。そんな習慣が何十年も続いた。そう、私の体が年をとっても、中年男性は中年男性のままだったのだ。
 そして今。
 私はほとんど寝たきりの生活をしている。使うあてのない小金は持っているが身寄りのない私は、ヘルパーに身の周りの世話を任せ、医者に薬を出させ、彼らに金を渡すために生きているような状態である――満月の夜を除いては。
 満月の晩に中年男性の体になって街を歩き回るのが、今の唯一の楽しみである。自在に体が動くとは、なんと素晴らしいことか。昔のように酒を飲んだりどこかの店に出入りしないでも、ただ自由に動く体で自由に動いているだけで幸せである。昔はこの中年男性の体を牢獄と思っていたが、今や普段の体が牢獄で、中年男性の体こそが自由の身である。そこで私は思い出す。最初に噛みつかれたあの時、確かに彼は「プレゼントをあげよう」と言っていた。若いうちは意味が分からなかったが、今ならばそのとおりだと感じられる。もしかすると、彼も私と同じように噛まれておっさんになった誰かで、年を取ってから自分の体質に感謝するようになったのではないだろうか。そして、彼と私が同じならば、私もまた誰かに噛みつけば――。
 そう、だから私も、満月の晩に一人きりで歩いている、昔の私に似た若い女の子を見かけると、こう声をかけるのだ。
「プレゼントをあげよう」

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