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武器考

この平和な日本において武器の重要性というのは極めて低い、と私は思う。
けれど私たちは模造刀やモデルガン、木刀などになぜか心惹かれてしまう。

誰もが、とは言わないまでも多くの人、特に男性は幼い時にエアガンを買い求めたことがあるのではないだろうか。
もちろん大人になっても買い求める人は多いだろうし、わざわざ海外に行って実銃を撃ったことがある人もいるはずだ。

何故私たちは武器に心惹かれるのだろうか。

一つの大きな要因は漫画やアニメ、映画など影響が欠かせないだろう。
それらに登場するヒーローは悪人たちと戦うために二丁拳銃をぶっぱなし、伝説の剣を手にし魔王と戦ったりなんかもする。
そして名誉を得たり財宝を手に入れたりするわけだ。

つまり劇中の主人公の模倣として武器が欲しくなるという仕組みである。
この要因での武器の役割はいわばコスプレの一種であり、自分を劇中の主人公に近づけるための道具である。
幼い時に戦隊ヒーローの武器を欲しがったりするのが分かりやすいと思う。

これは分かりやすく納得しやすい武器への憧れの説明だと私は思う。


けれども結局のところ、ヒーローへの執着が少年のころより減っても武器に心惹かれる人も多い。

それは平和な日本においても戦う、ということがある程度選択肢として心にあるから、というのも理由のひとつだろう。

つまり犬を飼いたいが何らかの理由に変えない人がぬいぐるみの犬を買い求めるのと同じである。
無いよりは全然いい、けれども本当は本物がいい。
そんな心持でモデルガンを買い求めるのだ。
実際、銃大国であるアメリカのエアガンメーカーは日本に比べて発展が遅かった。
つまり本物があればぬいぐるみはなかなか買い求めないものだ。



ここまで読んでいただいて恐縮だが、まあ正直ここまで述べた文章は堅苦しく理屈をこねこねしたナンセンスなものだ。

結局のところ武器はかっこいい、これに尽きる。
何故武器はかっこいいのだろう、美しいのだろう。

確かに日本刀は世界的に美術品として認められているし古い銃なんかも古美術品として取引されている。

けれどもそれは結局のところ後付けであり核心は生物を殺すためだけに作られている。というところだろう。
十手や刺股などは殺すためではないがそれ故心惹かれる力は弱まっていると思う。

命を奪うための武器、それは死を連想させる恐怖の物体でもあり、若しくは身を守ってくれるという安心感を与えてくれる。
人の争いの歴史を感じることもできるし、複雑な機構を持つ銃が作動する様は人間の執念すら見て取れる。

これほど人の心を揺さぶる道具が他にあるだろうか。
人間は狩りをするために棍棒を作り、より良い住処を奪い合うために二本足で歩き弓や槍などを改良していった。
青銅で剣を作り、火薬で大砲を作った。

人類の進化は常に武器の進化と共にあったといっても過言ではないだろう。
それゆえ私たちは武器に様々な思いを重ねることができる。



面白いのは日本人の日本刀に対する思いだ。
こんなにも武器を大切にしている民族は他にはいないだろう。

美術館に銃の特設展示がある、というのは聞いたことがないし同じ刃物であるサーベルやレイピアも日本刀までは芸術とされていないだろう。

人を殺すための武器の中に景を見出し、美しく感じるというのは今の世情的には不謹慎とのそしりを受けてもおかしくはない。
けれどももし自分が殺されるならば核爆弾やナパーム弾なんていうつまらないものではなく美しい日本刀で、なんて思うのはおかしなことだろうか。


江戸時代に銃が日本に入ってきた際、美しい装飾の施された火縄銃や馬上筒がいくつも作り出された。そもそも日本人は理屈抜きで武器が好きなのかもしれない。



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