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トマト

まだ私が幼いころ、山間の小さな集落に暮らしていた。
といっても車で一時間も走れば都市部にでることが出来、私の感覚的にはちょっと田舎といった程度の村だった。

集落の中心にはきれいな川が流れており集落の人々はその水を利用し農作物を育てたり養蚕などをして質素ながら不便無く生活していた。

あるとき私の実家で育てている農作物のひとつだったトマトの苗が2、3本余った。別段そんなことは珍しくなくいつもなら適当に畑の隅に放ってしまうのだが気まぐれで私が「ちょうだい」と言い貰ってみたのだった。

気まぐれといっても何の考えもなかったわけでは無い。苗をもらう少し前に私は家の裏の山を少し上ったところにぽっかりと木の生えていない、ちょっとした広場のようなものがあることに気が付いていた。
学校に行けば同い年の友人が何人もいたがこの集落には歳の近い子供がおらず私はいつも一人で遊んでいた。その一環で見つけたこの広場を私は自分だけの秘密の場所として落ちていたがらくたを集めたり、元からボロボロの納屋のようなものを手直しし、秘密基地のようなものを作ったりして遊んでいた。

この場所でトマトを育てて夏に収穫出来たら素敵だな。
幼心にそんなことを思い父から余った苗をもらったのだった。


その苗は順調に育っていった。春が過ぎ、夏になると家の畑で育てているものにも負けず劣らずの立派なトマトがいくつも実った。


私はうれしくてうれしくてたまらず早速一口かじった。

その瞬間口の中に言いようの無い、苦みのようなえぐみのようなものが広がった。
たまらず吐き出すと口から出てきたのは何やら黒いぐちゃぐちゃしたものだった。
私は手に持ったままだったかじりかけのトマトを恐る恐る見てみた。
外側はおいしそうなトマトなのだがその中身は泥のようなものでよく見るとところどころに毛のようなものすら混じっているようだった。

それから無我夢中で山を下り、家へ帰った。

それから私は何度か嘔吐し高熱を出した。
始めは夏風邪をこじらせているのだと思っていた私の両親だったが私の吐しゃ物の中に髪の毛や泥のようなものが混ざってるのを見て血相を変えた。

高熱でもうろうとする意識の中で祖母が「バンサンのヤマで…」「トマトにケが…」と言ってるのがとぎれとぎれに耳に残っていた。

その日、私の夢に変わった旗のようなものが出てきた。
それは魚を模してあるようでその長さは10メートルほどのようにも1000メートルもあるようにも見えた。
私はそれを自分の家の庭から見上げており、巨大な布製の魚は空を川のようにするすると泳いでいるようだった。

朝、起きた時私はすっかり元気になっていた。
父や母はまるで私が死んで蘇ったかのように大げさに喜んだ。

両親が落ち着き、部屋から出ていきしばらくしてから祖母が来た。

祖母は私が元気なことを確認すると「よかったよかった」とうなずいた。
それからふっと真剣な面持ちになり「もうあの山に入ってはダメだ」と言った。

そのような強い口調を祖母から聞くのは初めてだったので私は黙ってうなずくことしかできなかった。


それから18歳になり都市部に住むようになった私は夢に出てきた「魚の旗」が鯉のぼりと言われるものだと知った。

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