「彼女が死のうと思ったのは」第5話 #創作大賞2023

街の古本屋を3軒めぐって、目的のものを買い集めた。自転車で結構漕いだから、終わったころには汗だくだった。なかなか見つからず困っていたけれど、最後の1軒にだけは大量にあった。日傘の母親がここで売ったのだろう。レジ袋を覗いて目視で数えてみる。全部で20冊くらいはあるだろうか。幸いどれも分厚くはなかった。1冊1時間くらいで読めるだろうか。それでも普通ならどんなに急いでも、1週間くらいはかかるだろう。しかし、そんなに待ってはいられない。2日で読み切ってやる。
決意を固めて、部屋に籠った。本を開くと物語が頭の中に飛び込んでくる。ジャンルが全部ミステリでよかった。どうせ沢山食うなら、好物の方がいい。

部屋に入ってきた日差しで目が覚めた。いつの間にか寝てしまっていたようで、読みかけの本が1冊と、寝ている間に倒してしまったのだろう小説の山が崩れた跡があった。こういう時は、不思議と起きた瞬間にすぐわかる。遅刻だ。

リビングに行くと、朝食として皿の上にパンが1枚置いてあった。できれば起こしてほしかったけれど、十分ありがたい。せっかくなのでコーヒーを淹れながら、支度を進めた。今はもう1限が終わったくらいか。3限までには間に合いたいな。コーヒーが出来上がると、食パンにマーガリンを塗って、口に運ぶ。まだ頭はボケていたけど、咀嚼している間に少しずつ意識がはっきりとしてきた。

どうやら僕は8冊目を読んでいる途中で寝落ちしてしまったらしい。どうりで序盤しか思い出せないはずだ。やろうと思えば、授業中にも読めなくはないか。僕の席は教室の左後ろだ。机の引き出しのところに隠して読めば、バレないだろう。ノートをねこそぎ抜き取ると、代わりに小説を入れた。教科書はダミーで必要になるだろう。

説教のフェーズは幸い5分程度で終わった。先生も少しずつ慣れてきているらしい。こちらとしても、僕のために時間を使わせるのは申し訳ないので、早めに終わるよう平謝りした。申し訳ないとは思ってるんだ。本当に。

3限の授業は日本史だった。日本史の先生は、かなりのおじいちゃん先生で、生徒が寝ていても、ほとんど気付かない。ここで稼いでおきたいところだ。朝、読みかけで寝てしまった8冊目と9冊目の後半まで読むことができた。成果は1冊半ほど。ペースは上々だ。4限が始まる前に残りを読み切って、次に備える。次は国語だ。国語なら気兼ねなく文章を読むことができる。これも学習の一つと捉えて差し支えないだろう。10冊目は少し文量が多かったから、1冊読み切るのでギリギリだった。読むほどに、文章はあの時見たものに近付いている気がした。

昼休みは部室でパンを齧りながら、11冊目を読み進めていった。この時点で、僕は自分の仮説が正しかったということを、ほとんど確信していた。物理トリックと心理トリックの使い方も、クローズドサークルへのこだわりも、気持ち悪いくらいに正確な景色の描写も、全部があのUSBに入っていた小説と一致する。ここらで読むのを止めてもいいくらいだけど、ただ1つ。パスワードにつながるものだけが分からない。

その手がかりを見付けるまで、僕はこれを読むのを止められない。途切れそうになる集中力を何とか繋ぎ止めながら、物語を読み進める。小雨先輩はパスワードをどこに隠したというのだろう。

5限は体育だから読むのは無理だけど、6限は数学だ。そこで一気に読み進めよう。そろそろ何か手がかりが見つかってもいいような気がした。

今日は部室に入るのは僕が先だった。日傘は後から来ると僕を見付けて、うい、と片手を上げた。
日傘に見つからないために、小説は全部バッグの中に隠している。膨らみで怪しまれないように、他には何も入れていない。

「樹、なんか目、血走ってない?顔色も悪いけどもしかして寝てない?」

こんな一瞬で僕の容態を見抜くとは、まったく日傘の観察眼には驚かされる。

「睡眠はたっぷりとったよ。寝すぎて二限に間に合わなかったくらいだ」
「絶対夜更かししたじゃん!駄目だよ。ちゃんと授業でなきゃ」
「そうだな、気を付けるよ」
「それで、この前のお姉ちゃんの彼氏の件、隣の高校の友達に色々聞いてみたんだけど、みんな聞いたことないって」

やっぱりか。

「僕もかなりいい線いってると思ったんだけどな」
「うーん、フリダシかー」

日傘は悔しそうに言って、机に体を投げ出す。フリダシじゃない。パーツは着々とそろってきている。
日傘は振る舞いこそ賢そうには見えないが、実は学年でもトップクラスの成績を誇る。
このまま行けば、僕と同じ仮説に辿り着いてしまう可能性があった。
だから、僕はここで日傘を止めなければならない。嫌われるだろうけど。それでも。
決意して息を吸い込んだ。外は昨日に続いて快晴で、肺を満たした部室の空気は少し温い。

「このへんで終わりにしないか」

 日傘が反応して体を起こす。僕の真意を確かめるように、こちらを覗く。

「諦めるってこと?」
「そうだ。この数日頑張って考えたけど、完全に手詰まりだ」

痛みをこらえるような顔をして、日傘は僕を見る。

「そんな……まだ可能性はあるよ。できることがあれば何でも手伝うし、諦めたくない」
「僕たちはできる限りやったよ。だけどパスワードはいつまでも分からないし、小雨先輩の言動の意味も掴めなかった。だからこそ思うんだ。小雨先輩はUSBの中身を誰にも見せる気はなかったんじゃないかって」
「だとしたらそんなもの残さなければいいじゃない。読ませる気もないメッセージのために、わざわざ小説を書いてUSBを入れるなんて、そんなことお姉ちゃんがするはずない」
「そうとも言い切れないよ。姉妹だからって相手のことを100パーセント理解するなんて不可能だ。USBは最後に色々吐き出してスッキリしたかっただけかもしれないし、案外、僕らを困らせてみたかっただけかもしれない」
「お姉ちゃんはそんなことしない!」

高い声が乾いた部室に響く。輪郭を伝った涙がぼたぼた落ちて机を濡らした。
分かってるよ。先輩は人をいたずらに困らせて楽しむような真似はしない。
これは詭弁で、僕のエゴだ。
僕自身が日傘を傷つけてしまうのは、本末転倒に思えるけど、それでも、真相を知るよりマシだと思うから。
僕を軽蔑している方が、自分を責めるよりマシだと思うから。

「とにかく、僕はこの件から引かせてくれ。解けない問題に向き合い続けるなんて不毛だし」

黙って俯く日傘に背を向けて、部室を後にした。
日傘にパスワードは教えない。眩むほどの夕焼けがうるさくて、顔を顰めた。

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