「彼女が死のうと思ったのは」第6話 #創作大賞2023
昨日は22時に就寝し、6時に起床。教室に来たのは一番乗りだった。授業も真面目に受けて、いつの間にか放課後を迎える。日常はつつがなく進行していた。問題は天気予報を見ていなかったので、帰りの傘がないことくらいだ。まあそれも近くのコンビニまで走ればいい。
日傘とは顔を合わせたくなかったから、ホームルームの後、すぐに教室を出た。廊下に目を向けると、見覚えのある姿がある。日傘は腕組みで仁王立ちだったが、息を切らして、怒っているような表情だった。
「ようやく来たね。今日は金曜日だから、部活に行こう」
「悪い、今日は塾があるんだ」
「なんて塾?」
「田沼塾っていうんだけど」
「聞いたことないし、見たこともない」
「マイナーな塾だからね。田沼師範代が1人で切り盛りしてるんだ」
「へえー、松下村塾と同じシステムなんだ。……いや、樹が塾とか行ってないの知ってるから」
「……今日から体験入塾なんだ」
「往生際わる。一回バレたら諦めなよ」
ホラ、と先を進む背中にとぼとぼとついていく。
こちらを何度か振り向きながら、何も言わずに日傘は進む。
昨日、あんなことを言ったのに、どういうつもりだろう。
ただ、日傘の足取りに迷いはない。
職員室で鍵を借りて、部室へ入る。
ホワイトボードの前に座ろうとすると、「そっち」と反対側の椅子に座らせられた。
「昨日、ずっと考えてたんだ」
「なにを」
「樹の言動の意味」
「考えるまでもないよ。昨日言ったとおりだ」
突き放すように言う。
日傘は少し悲しそうな顔をしたが、振り向いてホワイトボードに何か書き出した。
USB①、USB②と縦に並べて書く。
「まず、お姉ちゃんがUSBを2つ用意したわけを考えてみた。よく考えてみたら不思議なんだよ。だって、メッセージを残すだけならUSBは1つでいい」
USB①の隣にメッセージ、USB②の隣にミステリ小説と書き足して続ける。
「ミステリ小説のデータなんて分かりづらいもの入れなくても、直接メッセージを入れればいい。だけど、お姉ちゃんがわざわざUSBを二つ用意したのは、私以外の誰かに先にメッセージを見られるのを避けるため。じゃあ、誰に見られたくないか、あの家で先に見つける可能性があるのは、お母さんだけ。だから、USB①にはパスワードをかけて、USB②にその手がかりを隠した。万が一、お母さんがUSBを先に見つけても、絶対気付かれないようにするために、USB②にも鍵をかけたんだ」
「その鍵がミステリ小説だって?おかしいだろ。だって日傘はミステリを読まない」
「いや、私が同じ立場でもそうするかも。お姉ちゃんは知ってる。お母さんになくて、私にあるもの。ミステリ小説が錠だとすれば、鍵はミステリを解読できる人、それって……樹のことなんじゃないの」
日傘の双眸がまっすぐ僕を捉えていた。
一瞬ひるんだけれど、必死に頭を回転させて言葉を探す。
「僕が鍵なら人選ミスだ。実際、必死に考えてみたけれど、こうして何も分からないままじゃないか」
「本当に?思い返してみれば昨日は少しおかしかった。その前は一緒に考えてくれてたのに、急に焦り始めたみたいだった。だから思ったんだ。樹は真相に辿り着いたけど、それを私に教えたくないんじゃないかって」
「買いかぶりすぎだ。もし分かってたとしたら、教えない理由がない」
「あの小説見た時に樹、言ってた。「知らない方が幸せだったのかもな」って。それで分かった。真相を知れば私が傷つくって、そう思ったんでしょ?」
窓の外では昼過ぎから降り出した激しい雨が、街を白くぼかしていた。
「私、お姉ちゃんが死んだ時、悲しいだけじゃなくて、悔しかった。ずっと一緒にいたし、お姉ちゃんのことはだいたいわかってるつもりだった。だけど、お姉ちゃんが死ぬほど悩んでたことなんて気づかなかった。自分だけ幸せにのうのうと生きて、お姉ちゃんの苦しみに気付かなかった」
日傘はほとんど叫ぶように言う。溢れる涙を袖でぬぐいながら、声を震わせる。
「そんなんだから、私はお姉ちゃんに相談すらしてもらえなくて、今もこうやって樹に頼りきりで、何にもできない。それでも、せめて知りたいの。自己満足だって知ってる。傷つく可能性もあるってわかってる。でも同じ後悔はもうしたくない。だから、樹。お願い」
最後の方はほとんど声になっていなかった。
沈黙の部室に雨音が響く。古本のかび臭いにおいがした。
「分かった。じゃあ全部教える」
「……ありがとう」
「ここじゃ無理だから、移動しよう。日傘、パソコン借りてもいいか?」
「もちろん」
涙をもう一度拭いて、バッグを手に取った。
日傘は伸ばした手で鍵を掴む。
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