【短編小説】もうひとつの物語

何か一つ選択をする度に、選ばれなかった物語が消える。それは自分が自分の意思で選ばなかった物語でもあるのだが、それでも後悔が残ることはある。そうして布団の中に蹲りながら、有り得たかもしれない可能性について、ウダウダと思いをめぐらせることも少なくないだろう。
しかし、人は決してその物語に手が届かないことを知っている。知っているからこそ、それに伴う困難をことごとく棚に上げて、都合のいい部分だけを掻い摘んで、作り上げた物語を夢想する。
そのようなただ甘いだけのインスタントな妄想に耽溺している時間を不毛だと切り捨てる不届き者もおろうが、それでも僕はこの活動をやめる気はない。なぜなら、それに勤しんでいる間だけは苦いだけの現実から目を背けていられるからである。
周りから見れば、生産性のない空虚な生活だろうけど、現実の苦味を実感し続ける生活よりマシだと僕は思うのだ。
空想の中の僕は能力や人格に補正がかかっていて、やることなすこと全て上手くいく。対して現実の僕は小心者で、能力も低い。能力をあげるための努力すら、面倒ですぐにやめてしまう。
だから、仮に神様か何かに、過去に戻って自分の選ばなかった物語を体験させてくれると言われても、僕は断固として断るつもりだ。
勿体ないって?冗談じゃない。上手くいくなら勿論いいが、現実はそんなに甘くない。どのみち僕は行動出来ずに、惨めな気持ちをもう一度味わうだけだ。
それだけじゃなく、今僕が心の拠り所にしている妄想も二度と出来なくなってしまう。上手くいく想像すら出来ずに、絶望的な気持ちで布団にとろけていくだけのモンスターが出来上がってしまう。
だから、あの時に戻ってやり直せたら、だなんて不可能でなおかつメリットの薄い愚かな望みを僕は抱かない。分布相応という言葉を知らない小二の頃にも先んじてそれを実感していた僕には、そんな誘惑は通じないのだ。

「じゃあやらないってことでいいか?」

「やらせてください!!!!」

これほど自分の体が軽快に動いた瞬間を知らない。
言い終わるころには、すでに土下座の体勢が形成されており、聞いたことないボリュームの返事が部屋に轟いた。
部屋といっても、自分の部屋ではない。
白の壁に囲まれただだっ広い部屋である。
部屋の中央、宙空には全身白タイツのオジサンが浮いていて、その見下す先に僕の土下座がある形である。
なぜこんなところに来たかは分からない。
この白タイツが誰なのかも分からない。
だけど、「お前を2020/8/24に戻してやろう」などと話をもちかけられては、僕はそれを断ることは出来ない。

なんなんだお前、と呆れた様子の白タイツに、さらに二段階ボリュームをぶち上げた「頼んます!」を追撃した。
これもまた都合のいい夢なのかもしれないけれど、それでもお願いせずにはいられないのだ。
2020/8/24は僕の幼馴染である山城ひかりの命日の1週間前なのだから。
散々述べ立てた能書きも、全部帳消しにしていいから。
もう一度後悔することになっても構わないから。

「……戻してください。あの時に」

次は絞りカスのような声しか出なかった。
白タイツはダルそうに頭の後ろを小指でかいた。

「こっちは最初からそのつもりで来てるんだけどな。情緒不安定野郎が。喚きやがって」

暴言を散らしつつ、手に持った時計を見る白タイツ。
行ってこい、と聞こえた時、頭の奥が痺れる感触があった。
脱水症状の時に似ているな、と思いながら、僕はドロドロになっていく視界を他人事のように眺めていた。

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