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傘の浮力

人生でいちばん幸せだったこと、をふと考えてみた。
まっさきに思い浮かんだのは、子どものころ雨傘で飛んでいたことだった。

昭和晩期、新興住宅地の地元には広大な宅地造成地があった。その地域はたびたび水害に遭っていたため、かなり高くまで盛り土がしてあった。

その盛り土の斜面を、雨傘を開いて駆け下りると、ほんの一瞬、体が浮くことを私は発明した! 実際は、大した発明ではないことは子ども心にわかっていたけれども、誰に教えられたわけではないのにこんなに楽しい遊びを生み出した自分に興奮したし、足が地から離れるその一瞬に、「もっと飛んでいけるのではないか」というささやかな刺激を感じて、ひとりで何度も何度も傘を開いて飛び続けた。

くだらない。

くだらない。

くだらないのになぜあんなに楽しかったのだろう。改めて考えてみた。くだらないし、発明ではないし、誰の役にも立たないし、あげく友だちにもそのおもしろさは共感されなかったし。でもそんなことはこの遊びの楽しさを損なうものではなかった。あの時はそんなことは考えなかった。私が楽しいと思ったから楽しい。ただそれだけだった。その「楽しい」でギュウギュウに満ちた時間が幸せだった。

ではなぜ、あれ以上に楽しい記憶が私にはないのだろう。楽しい時間の隙間に「これってくだらないんじゃないか」「これは意味がないんじゃないか」「コスパどうよ」「それよりタイパが」と水をさされたからだ。自分に。

もう一度、あの楽しさを味わいたい。そんな気持ちでインターネットという虚空に向かってテキストを投じてみる。小さな傘を開いたり閉じたり。「楽しい」が満ちていくあの時間を探してみる。


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